カテゴリー:「広報」の記事
ノーベル賞週間
2016.10.04大隅氏にノーベル賞が授与されることが発表されて、今年もノーベル賞週間が始まりました。日本人が受賞するとメディアはその話題ばかりになりますが、そんなことがいつまで続くのでしょうね。
湯川博士が1949年に受賞してからしばらく日本人の受賞がありませんでした。もう日本人は受賞できないのではないかとか、人種差別だといった悲観論が出ていたときに、16年ぶりに朝永博士が受賞しました。そのときは日本中が大喜び。そういうことならまあ理解できますが、すでに26人も受賞しているんですからね。日本人以外の受賞者に対しての冷淡さと比較すると、さらにその異常なはしゃぎぶりが際立ちます。受賞は素直に祝福するとしても、授賞式までの間の大騒ぎにはメディアの商業主義の臭いもして、いささか違和感を覚えますね。
反論は無茶でしょう
2016.10.03国立がん研究センターが、受動喫煙によって日本人の肺がんリスクが約1.3倍に増えると発表したのに対して、JTがすぐに社長名で反論しました。ところが、がんセンターが先週、再反論をホームページのトップで発表したと朝日新聞が報じました。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ9Y5GC8J9YULBJ00J.html
さっそくそれらの文書を読んでみたのですが、がんセンターの反論は極めて冷静かつ理論的で説得力のあるものでした。明らかにJTの負け。疫学ないし医療統計学に対する無知をさらけ出し、科学的な会社ではないなあ、というイメージを発散させてしまいました。
想像するに、がんセンターの発表で、JTははらわたが煮えくりかえったのでしょうね。「すぐに反論しろ!」とトップから号令がかかったのかもしれません。しかし、敵は日本の疫学の総本山。生半可な知識と理論で対抗しようとするのは極めて困難です。そのことに気づかなかったのがそもそもの敗因ではないでしょうか。広報的にはツッコミどころがいっぱい。いきり立って真っ正面から反論するのではなく、ほかにも有効な手段が考えられたと思うのですが、筆者もアンチタバコなので、これ以上は書きません(^O^)。
国立がん研究センターの発表「受動喫煙による日本人の肺がんリスク約1.3倍
肺がんリスク評価「ほぼ確実」から「確実」へ」8月31日
http://www.ncc.go.jp/jp/information/press_release_20160831.html
日本たばこ産業株式会社(JT)の反論「受動喫煙と肺がんに関わる国立がん研究センター発表に対するJTコメント」(8月31日)
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/opinion/fsc_report/20160831.html
国立がん研究センターの反論「受動喫煙と肺がんに関するJTコメントへの見解」(9月28日)
http://www.ncc.go.jp/jp/information/20160928.html
生徒が先生?
2016.09.26たまたま再放送していたNHK「総合診療医ドクターG」という番組を見ました。患者の症状を劇中劇で見せて3人の研修医が診断を下し、それを経験豊富な医師が先生となって正しい診断へと導くというもの。少々専門的すぎるような気もしないではありませんが、一般の人たちにとってブラックボックス化している診断学を公開するという意義はあると思います。それはともかくとして、違和感を覚えたのは、先生役の医師が研修医に対して「○○先生」と呼ぶことです。医師免許を持っている同士は先生と呼ぶという長い業界の慣習によるものですが、生徒に向かって「先生」呼ぶのはやはりおかしい。
先日、読売新聞医療部におられた方のお話を聞く機会がありました。同紙の看板コラム「医療ルネッサンス」では、スタート以来、医師も患者さんも「さん」づけにしているとのこと。一つの見識だと思います。
テクニカルな要素も大切ですが
2016.09.15相変わらず企業の不祥事は続いていますし、有名人や芸能人の犯罪やら不倫やらの報道も尽きることがありません。
広報コンサルタントの延長線上に、そのようなクライシスでのアドバイスを専門にしている方々がおられます。謝罪会見には5秒以上アタマを下げろ、高級腕時計ははずせ、などという指導をしておられる方々です。
先日、そのような仕事をしておられる方からいただいたメルマガに、強姦の容疑で逮捕された芸能人の母親の記者会見が成功だったと書かれていました。立ったまま記者会見に臨んだのがよかったとか。「まあそうかもな」とは思うのですが、なんとなく違和感も感じました。危機に臨んでは、このようなテクニカルで細かい要素も非常に大切で、弊社でもご依頼を受ければ同様のコンサルティングを行いますが、本質はどこか違うところにあるような気もするのです。それがここだと明確に説明できないところがもどかしいのですが・・・。
知りすぎたのね
2016.09.05私たちのような仕事で何年かおつきあいをしていると、その会社の製品や業態や企業文化などを深く知るようになります。また、そうでなければよい仕事はできません。ところが、同時にその会社の内部事情もわかってきます。立派なトップだと見えていた人が実はかなり人間くさい(微妙な言い回しですが^^;)人だったり、幹部間の競争が激しかったり、常識を疑うような方が要路におられたり・・・。そんなことは仕事には直接関係ないのですが、否応なしに知るところとなります。このような内部情報は多少仕事に役立つ面もありますが、どちらかと言えばマイナスの方が多いような気がします。私たちのようなビジネスでは、ある面で知りすぎてはいけないのかもしれません。
読書感想文は事務文書である
2016.09.02小学校の夏休みの宿題として課される読書感想文の書き方マニュアルを配布した学校があるそうで、ネットの世界で話題になっています。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ8W4RCMJ8WUTIL00M.html?iref=comtop_8_01
私も小学生のとき、作文には多少の自信がありましたが読書感想文は苦手でした。
子供心に思ったのは、課題図書を読んでも感動する部分が見つからないから、何を書いてよいかわからないということでした。本の選択が自由であっても、感想文を書かなければならないとなると、そう気ままに選ぶわけにも行きません。先生に感心してもらえるように書かなければならないという意識も強く働いて、かえって書く意欲をなくしたのでした。
文章には実務的な文章と文学的な文章に分けられます。プレスリリースは実務的な文章の典型です。こういう文章を書くにはマニュアルは有効であると思います。一方で、文学的な文章をマニュアルにしたがって書けと指導するのはナンセンスもよいところです。従来の作文教育は、どちらかと言うと後者に偏っていたように思います。しかし、仕事をする上では実務的な文章能力が求められますから、そちらの教育も必要不可欠です。
読書感想文の宿題というのは、事務文書作成のトレーニングだと思えばよいのかもしれません。必要な要素をすべて満たして、誰からも後ろ指を刺されない文章をつくりあげる。小学生のときにそのことに気づいていればコンクールで入賞できたのに、と思うと少し悔しいなあ。