カテゴリー:「よもやま」の記事
ココノッツはいけませんか?
2018.07.06ネット上の情報によれば、「9」と書いたTシャツを着て国会の傍聴に行こうとすると、衛視に入場を止められるとか。「9」は憲法第九条を連想させるから、ということらしいのですが、これが事実だとすれば(フェイクニュースでなければ)、思想の自由、言論の自由という民主主義の根本にとって由々しき問題だと思います。
と同時に、これは困ったことになりました。弊社の社名「ココノッツ」です。
ココノッツの由来として、弊社のサイトには次のように書いています。
「coは『一緒に』、『お互いに』といった意味を持つ接頭辞です。Knotは『結び目』です。『絆』、『集団』といった意味もあるそうです。 広報という活動を通じて、企業や団体と社会を結びつけて行きたいという思いから、CocoKnotsという社名にしました。 もう一つ。ココノッツは『9』でもあります。『満れば欠くるは世のならい』と申します。10になることを目指して常に努力したいという気持も込めています。」
http://www.cocoknots.co.jp/mission.html
「9」でもあるんですよ、「ココノッツ」は。ということは、弊社は国会には入れないことになる。
この社名を考えた10年前に、「ココノッツ」が憲法第9条につながるとは想像もしていませんでした。変な世の中になってしまったものです。
いい先生だったんだなあ
2018.07.03
先日、卒業した高校の同期会がありました。なにがなんだかわからないうちに幹事の一員にされてしまい、及ばずながらお手伝いをしました。
そこは、都立高校としては最低レベルの偏差値を誇っていました。前身が女学校だったこともあって男女半数ずつ。卒業後の進路も進学と就職がほぼ半々でした。当時の4年制大学進学率は全国平均で約13%、男子が20%で女子は5%に過ぎません。それを考えれば、偏差値の割にはかなりの進学率と言えるでしょう。同期生の中には、それなりに著名な画家や元大臣の野党代議士などもいます。
開催の準備をしている中で気づいたのは、当時の先生方の何人かが、その後大学教授になっているという事実でした。大学教授になったからエライというわけではありませんが、高校教諭をしながら専門の勉強や研究をコツコツしておられたのだなあ、という感慨が起こったのでした。
3年時の担任だった現代国語の先生は折口信夫門下の文学者として、研究者の間では知られた存在でした。所属したクラブの顧問だった倫理社会の先生はドイツ哲学、社会学の研究者で某私大の経済学部長でした。そのようなバックグランドを持つ高校教師だったことなど、現役高校生のときはまるで知りませんでした。ネットが発達した現在だからこそ調べることができた事実でもあります。
日経新聞の「私の履歴書」など、有名人や経営者の自伝に、恩師がいかに素晴らしかったか、といった記述を見かけることがありますが、その先生に教わっていた当時に、本当にその偉大さを認識していたのでしょうか。後付けじゃないの? 自分のうかつさを棚に上げて、そんな素朴な疑問が浮かんだりしたのでした。
日本的な重大問題について
2018.06.21
なるべく始発電車を利用して、座って出勤することにしています。同じ考えの人が多いので、発車時刻の20分前にはすでに列ができています。
鉄道会社では3列に並ぶように促していますが、実際にはある駅では4列であったり別の駅では2列であったり、駅によって異なります。いつも使うこの駅の慣習では、何年も前から2列です。ところがここに一つの重大問題が進行しつつあります。
2列で10人以上が並んでいる先頭の横に、最近男が一人立つようになったのです。これで3列になるわけですが、男の後に並ぶ人は誰もいません。後から来た人はみな長い2列の後につきます。男に苦情を言う人はこれまでのところ現れません。複雑な表情で男を見ていたり、知らん顔してスマホを見ていたりするばかりです。
鉄道会社が3列での整列乗車を促していることを考慮すれば、この男の行為が非難される筋合いはないとも言えます。しかし、日本的な、極めて日本的な空気の読み方からすれば、違和感を持たれて当然ということにもなります。後から来て先頭に並ぶのは「列の割り込み」と判断できないこともありません。
さて、あなたならどうしますか?と、ハーバード大学のナンチャラ教授の授業のテーマになりそうですが、私ならどうするか? わかりません。幸か不幸か私がいつも並ぶ列の問題ではないし・・・。
この問題の行く末がどうなるのか、注意深く経緯を見守りたいと思います。
オヤジがゴルフ好きの鮨屋には行くな
2018.06.08昔の勤め先の社長は、「オヤジがゴルフ好きの鮨屋には行くな」としばしば言っていました。ゴルフに凝ると本業がおろそかになって、握る鮨がうまくなくなるといった趣旨であったかと思います。大手企業の経営者兄弟がゴルフに凝りすぎて経営が一時傾いたという話は、ご本人がどこかで書いていたので事実なのでしょう。しかし、ゴルフと鮨の味との相関関係についてはよくわかりません。
傍証を挙げれば、店にゴルフのイラストを掲示していた鮨屋はその後居酒屋に衣更えしてしまいました。ココランチにも掲載していた麹町の鮨屋もオヤジがゴルフ好きでしたが、いつか消えてしまいました。
こんなことを思い出したのは、先ほど昼食で入った鮨屋のオヤジが大声で客とゴルフの話をしていたからです。ランチのサービスメニューを食べただけなので、味を云々するわけには行きませんが、先日行った近くの鮨屋よりはうまかったような・・・今後を見守りたいと思います。
「丁寧に説明したい」
2018.05.30近頃、あちこちで「丁寧に説明したい」というフレーズを見かけるようになりました。その端緒は国会の政府答弁なのでしょうが、これは一時の逃げ口上で、実際には少しも丁寧でないとは、誰もが感じるところです。
・・・と思いながら、電子辞書の広辞林を引いてみたら、「(1)注意深く念入りであること。細かい点にまで注意の行き届いていること。また,そのさま。(2)動作や言葉遣いが,礼儀正しく,心がこもっている・こと(さま)。(3)何度も繰り返すこと。特に何度も忠告すること。(4)文法で,話し手が聞き手に対して直接に敬意を表現する言い方。→丁寧語(一部省略)」となっていました。
これを政府答弁その他に当てはめると、どうやら(3)の意味でお使いになっているのではないか、と思い当たりました。何度も何度も同じことを繰り返している(新事実が出てくるたびに少しずつ修正されていますが)。なるほど。確かに「丁寧に説明して」いるのに相違ありません。
ウソをつくことは得なのか?
2018.05.22世の中、ウソつきが多いのだなあと、このところつくづく思い知らされます。
広報の仕事をしていると、なんとかコトを大きくしないように計らったり、アドバイスしたりはしますが、「ウソはいけません」ということは一貫しているつもりです。ウソはいつかばれる日が来ます。それが明日だったり50年後だったりするだけのことです。
危機に際しては、自分の身や自分の利益を守ろうとすればするほど、身を滅ぼしたり大きなダメージを受けたりする確率が高くなることが経験則からわかっています。本気で身を捨てるつもりになることで身が守られる確率は決して少なくはありません。しかし、すべてを失う確率の方もまた少なくありません。どちらをとるか。
人間の尊厳とか名誉とか品格とか、そのような要素を加味しようとすれば、ウソはつかない、過去のウソは撤回して謝る、自分を守ろうとしない・・・という選択になります。今後の利益が守られるなら、そんな要素はどうでもよいと考えるならば、ウソを貫くのも一つの選択肢ではあります。ただし、それが成功する確率も100%ではないのが悩ましいところです。
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と書いたところで、反則を犯した日大アメリカンフットボール部の選手の記者会見が始まりました。近頃まれに見る謝罪会見の成功例です。誰が見てもウソを言っているようには思えないでしょう。関西学院大学の監督も敬意を表するとコメントしました。彼の前途が開けますように、と願わずにいられません。
7-38-55で負けでしょう
2018.05.11発したメッセージ内容とは異なる表情や態度を示した場合、話の内容などの言語情報から受ける影響は7%に過ぎず、声のトーンなどの聴覚情報による影響が38%、表情など非言語の視覚情報によるもの55%だというのが、メラビアン(またはマレービアン)の法則と言われるものだそうです。「そうです」と伝聞で書いたのは、原著を読んだことがなくWikiを読んだだけだからです。原著の翻訳は古書で5000円もするのです。
広報に関係している人の中にも、この説を曲解した“メラビアンの俗説”を信じている人が少なくありません。「人は見た目が9割」などという本がその代表で、説明は省略しますが、皮肉なことにこちらの本は読んだことがあります。
こんなことを思い出したのは、このところ国会の証人喚問や参考人招致、さらに政府の答弁などをニュースで繰り返し見るからです。確かに証人や参考人や政府関係者は上手に言い逃れています。しかし、それらの中継やニュースを見ている国民は、せっかく知恵を絞って練り上げた答弁という言語情報からは7%しか影響を受けないことになります。これはどうにも政府側の分が悪い。ではないですかね。
チャーチルとダンケルク
2018.04.1915日日曜日の東京新聞「こちら特報部」の“本音のコラム”に山口二郎氏が映画「チャーチル」について書いていました。日本の現首相も見たのだとか。
たまたま飛行機の中で、この映画を見る機会がありました。
チャーチルが首相に選ばれるプロセスから始まり、フランスのダンケルクでドイツ軍に包囲されている英軍をどのように救出させるかに苦悩し、対独和平への誘惑を、生まれて初めて乗った地下鉄の中で直接国民の声を聞くことで振り切り、議会で、戦いの継続を「すべての英単語を駆使して」訴えるまでを描いています。このような演説の語法が日本語にはいまだに存在しないことをつくづく認識させられました。とくに最近の国会でのやりとりを見ると・・・。
さらにムービーのプログラムを検索すると、なんと「ダンケルク」があるのを発見。「チャーチル」が政治の場での英独戦を描いたものなら、こちらは同じ時系列における戦いの現場を描いたもの。ダンケルクに追い詰められている英軍を動員された多くの民間船舶が救出に行くエピソードを中心に描いています。
たまたまですが、日本人には馴染みの薄い第二次世界大戦初期の英独戦を、二つの面から知ることができたのでした。
記者会見とストロボ
2018.03.27メディアトレーニングで、記者役の他にカメラマン役も用意して、パッパッパッとストロボを発光させることがあります(実際にやったのは数回ですが)。臨場感を演出して、本番の記者会見で緊張しないように慣れていただこうという意図です。
マリリン・モンローとかジョー・ディマジオとかジョン・F・ケネディ(3人の関係にこだわったわけではありません)などの「時の人」がフラッシュライトを浴びながら、突きつけられた大きなマイクに向かってコメントしているシーンなどが、昔のニュースフィルムに残っていたかと思います。記者会見と言えばフラッシュがつきものでした。
現在の記者会見でも、とくにニュースバリューの高い事案では、会見者の前にスチールカメラマンがずらりと腰を下ろして盛んにストロボを発光させています。
ところが知人のプロカメラマンによると、感度を高く設定できる最新型のデジタルカメラならストロボは必要ないのだそうです。
デジカルカメラはさらに進歩しつつあって、4Kで動画を撮影しておき、一番よいカットを静止画像として切り出すことが可能になっています。新聞やネットニュースで使う程度なら十分な画質だそうです。8Kならさらに解像度の高い写真が切り出せます。
1台のカメラでニュース動画もスチール写真も得られるということなら、スチールカメラマンたちの職が危うくなりそうです。だから必要がなくてもストロボを発光させて自らの存在をアピールしているんだ、というのは少々皮肉が過ぎる気もします。動画と静止画は画の特性が全く異なる、という説にも理解できるところがあります。
シャッター音もない静まりかえった会場で聞こえるのは、会見者の読み上げるコメントと質疑応答、それにキーボードを叩く音だけ・・・という記者会見は、ちょっと妙な気分のものでしょうね。
事実とリアル感と、そして真実
2018.03.22朝のNHK連続テレビ小説に、現像された映画フィルムを手に取る戦争中のシーンがあって、そこに小道具として使われていたのがオレンジ色に着色された最近のネガカラーフィルムだった、と知り合いのカメラの専門家が指摘していました。色素のにごりをとる目的で、ネガカラーフィルムがオレンジ色に着色されるようになったのは戦後のことなのだそうです。
そのNHK連続テレビ小説を出張先のホテルで見ていたら、フィルム以上に気になることがありました。戦時下のストーリーなのに、男性出演者のヘアスタイルが現代そのものなのです。昔の人は、一部の「変人」を除いて、長髪は鬱陶しいという価値観を持っていたはず。ましてや戦時下だったら「非国民」と非難されていたでしょう。戦争中に現代人がタイムスリップしたような違和感を感じました。長髪はビートルズ以後に一般化しました。
俳優さんとしては、あるいは所属するプロダクションとしては、このドラマのために丸刈りなどにしてしまっては次の仕事に差し支えるということなのかもしれません。役づくりのために体重を増やしたり前歯を抜いたりした俳優さんのエピソードも聞いたことがありますが、そこまでやる仕事ではないと割り切っているのでしょう。そういうところにドラマとしての完成度の低さを感じてしまいます。
時代考証は演出との兼ね合いもあって、必ずしも歴史に忠実とはいかないと、別のNHKの番組で専門家が話していました。ドラマの世界では事実すなわち真実ではない、それは理解できないこともありませんが、リアルワールドにおいては事実すなわち真実でないと、とても笑ってすますわけにはいきまへんな。