Cocoknots

株式会社ココノッツ

君島邦夫のココノッツブログ

ココノッツ創立者であり現在は取締役会長の君島邦雄が
広報や医療に関する話題を中心に日常感じたことを勝手に書いています。

君島邦夫のココノッツブログ

ココノッツ創立者であり現在は取締役会長の君島邦雄が広報や医療に関する話題を中心に日常感じたことを勝手に書いています。

そのうちに・・・

2009.09.29

「ご相談したいことがあるんで、近いうちにお電話しますよ」
「一度ゆっくりお話したいのですが」
「お時間のあるときに一杯やりましょう」
このようなお話を承ることがしばしばあります。しかし、それが実現される確率は一割以下です。「あのお話は、その後どうなりました?」と改めて問い直すのもはばかられて、たいていはそのままになってしまいます。
いくら待っても実現しないということは、そのお話はウソであったということになります。
〈まあまあ、そう目くじらを立てずに。外交辞令なんですから・・・〉と言われそうですが、どうにも釈然といたしません。
辞書には載っていませんが「キョウト」と呼ばれる一連の外交辞令があるそうです。
「あ、ずいぶん長居をしてしまいました。もうお暇しなくては」と客が主人に告げると、
「まあまあ、よろしいやおへんか。いま夕飯をそう言いますさかいに」などと京都の人は引き留めるんだそうです。しかし、間違っても、
「そうですか、それならもう少し・・・」と居座ってはいけません。ご主人は夕飯の注文など全然する気がないからです。念の入った京都の奥様は、何も載せていい俎板を包丁で叩いて、夕飯の支度をしているふりをする、という話も聞いたことがあります。これは、早く帰れという客へのサインなのだそうです。
京都人でない私は、とてもそのような高度な交際術は身につけておりません。「相談したいことがある」と言われれば真に受けます。「一杯やりましょう」と言われれば、その日を待ちます。しかし、みんな待ちぼうけです。
反対に、こちらから「そのうち一杯やりましょう」と申し上げたら、必ず実行することにしております。忘れてしまうこともたまにはあるので100%ではありませんが、85%は実行している自信があります。そうだ、あの人との約束はまだ果たしていなかったな、と夜中に目覚めることもあるほどです。だから、あまり「そのうちに・・・」の安売りはしないように心がけております。
それにしても、あれ以来梨のつぶてのあの人、この人(5~6人の顔が浮かびます)、私への約束は一体どうなったのでしょうね。〈kimi〉

レトロスペクティブ嫌い

2009.09.18

弊社のAは実にこまめにノートをとります。打ち合わせのときなど、手が動きっぱなし。使っている筆記具は水性ボールペンで、そのインクがすぐになくなるとボヤいています。すげ~。
反対に、私はめったにメモをとりません。ビジネスマン失格なんて言われそうですが、メモをとっても後でそれを見ることがほとんどないことに、ある日、気づいてしまいました。読み返さないなら書く必要がない。これって正論でしょ。
思い起こすと、小学校のときから私は復習をしない子でした。そもそも勉強というものをほとんどしませんでしたけど、イヤイヤやるのは予習だけ(だから成績がふるわなかったんだな)。仕事をするようになってからも、過去の仕事の検証とか報告書の作成などは、できれば御免被りたい。それより新しいプロジェクトの企画とか新製品の発売準備などの方が意欲が湧きました(だから出世しなかったんだな)。
難しい言葉を使えば、レトロスぺクティブな仕事よりプロスペクティブな仕事の方が好きっていうことになりますでしょうか。
そんなわけで、セミナーを受講するときも、一生懸命ノートするより、「なるほどなあ」とか「そうだったのかあ」とか「そうかなあ?」とか「そうじゃないだろう」とか、講師の言葉に触発されながら頭を動かす方がよほど面白い。頭に残らなかった部分は、たいし内容じゃなかったからだ。そう思うことにしました。近頃はスライドがハンドアウトとして配布されるので、ますます細かくノートをとる必要はなくなりました。
誤解のないように付け加えれば、ときには熱心にメモをとることもあるんです。会議の内容をまとめて文章にしなければならないときとか、イベントの手順を打ち合わせるときなど、要点をメモしておかなければ仕事にはなりません。
しかし、そのメモは実に汚い。悪筆にしてグチャグチャです。東大生のノートの対極に位置すると自負しております。そんなお粗末なメモでも、内容の再現性には自信があります。ポイントは外しておりませんのでご安心ください。しかも、他人には何が書いてあるのか判読不明です。セキュリティーも万全ですからご安心ください。〈kimi

日米リリース事情

2009.09.16

外資系企業では、海外の本社で原稿を起こしたニュースリリースを翻訳して日本で発信する業務を頻繁に行っています。
医薬品や医療機器の分野に関して言えば、このような外国ネタに対するジャーナリズムの反応は一般に冷たいようです。やはり活きのよい日本のネタがの方がニュースバリューがある、というのが日本人記者の本音なのです。
だからといって、海外からの情報を日本で流さなくてよいということにはなりません。グローバル化が進んでいる今日、海外企業の動向は日本にも十分伝えられるべきだと思います。IRの面からもグローバルに情報を流すのは当然と言えます。
ところが、ちょっと困ったことがあります。欧米流のニュースリリースと日本のニュースリリースの書き方が違うのです。とくに米国は、企業発の情報がそのままストレートニュースとして地方新聞に掲載されることが多いようで、ニュースリリースをそのままコピペしても記事として通用するよう書かれています。日本の新聞社では、ニュースリリースはあくまで記事を書くための資料です。だから、日本のリリースはそのように書かれています。この違いが、英文のリリースを日本語に翻訳して発信するときに問題になります。どうにも違和感が生じてしまうのです。
一例を挙げれば、英文のリリースには、権威者のコメントが掲載されるケースが多い。たとえば、
「術直後の嫌気性菌性腹膜炎患者にとって、外科的治療は必ずしも最善の選択肢ではなく、当抗生剤による内科的化学療法が選択可能であることが証明されたことは医療界にとって大きな朗報です」と、ワシントン・リバーサエナイ病院医療センター感染症部長兼化学療法部長代理兼ICU部長で、ビクター大学医学部内科教授であり、NIHの臨時研究員でもあるブレイク・プアハンド先生は語っています。(内容は私の創作です)
こんなコメントをリリースに書き込んでも、日本の新聞に掲載されることはまずありません。記者自身の取材に基づかないコメントを掲載することなど、まともな日本の新聞は許しません。彼の地では著名でも日本では無名なドクターのコメントをそのまま受け入れる記者さんもまた100%いないでしょう。
日本で記事にしたいなら、徹底的に日本流のリリースに書き換えてしまう方がよいと私は考えています。しかし、逐語訳でないと許さない企業も少なくありません。それも理解できます。ちょっとしたニュアンスの違いで、NYSEに上場している本社の株価が大きく変動してしまう、というリスクもたしかに存在するからです。鳩山首相の論文の一部分が翻訳されて、米国メディアから批判された、と近頃話題になりましたが、それと同じようなことですね。
さて、どうしたものか。翻訳リリースの原稿直しを依頼されるたびに、悩みは深くなるばかりです。〈kimi〉

エラ過ぎる人をトレーニングできるか

2009.09.10

メディアとコンタクトする可能性のあるエスタブリッシュメントの方にはぜひメディアトレーニングを受けていただきたい(カタカナばかりでゴメンナサイ)。このような地位にある方々はスピーチをなさる機会も多いので、スピーチのトレーニングも必要でしょう。
ココノッツでは企業の皆様を対象にメディアトレーニングを行っていますが、一番エライ人、カリスマ経営者、オーナー社長などにトレーニングしてほしいというご依頼はほとんどありません。仰ぎ見るような地位に君臨し、周囲にオーラをまき散らしているようなエラい方に向かって、部下が「トレーニングを受けてください」とはとても言えないのでしょう。その気持、よ~くわかります。
ところが、そのような方ほど話がお上手ではないケースがしばしば見られます。エラ過ぎる人は、どんな回りくどい話し方をしても、どんな非論理的な話をしても、どんな飛躍の多い話をしても、どんな不遜な話し方をしても、周囲の人たちはかしこまって聞いてくれます。だからご本人は「それでイイノダ~」と天才バカボンのパパ状態になってしまいます。
なんとかアドバイスをして差し上げたいと、広報コンサルタントとしては歯がゆい思いをすることが少なくありません。部下の方ではとても言えないアドバイスが、外部のコンンサルタントならできる場合もあります・・・と、セールスプロモーションみたいなことを書いてしまいましたが、誰がアブナイって、一番エラい人が一番アブナイんですから。某政党の例をみればよくわかりますね。〈kimi〉

社内の理解

2009.09.03

私が広報の仕事をメインにし始めた頃、広報の世界の先輩たちが「会社が広報をちっとも理解していない」、「社内で広報活動を理解してもらえない」と悲憤慷慨されている声を何度となく耳にしました。それから20年、それらは改善しているのでしょうか。
その後、日本の多くの大企業に広報セクションが設けられ、強化されてきたのは間違いのない事実です。その意味では改善されていると言えるでしょう。しかし、それらの企業においても、社員の一人ひとりにまでパブリックリレーションズの理解が及んでいるとはとても言えない状況です。
実際現在においても、広報を仕事をしている人たちの間では、同じような嘆きを聞くことが度々ありますし、あきらめにも似た気分さえ漂っているように思います。
「わかっちゃいねえなあ」などと、広報に無理解な幹部や社員をののしっていても仕方がありません。このような広報やIRに対する無理解には構造的な問題があると、私は考えています。
サラリーマンという存在は、本質的に企業(全体)としての利害より、自己ないし所属部門(部分)の利害を優先するものです。現業部門は、自部門や自分に与えられた売上げと利益目標だけに責任を持たされています。スタッフ部門でも、評価は「自分の仕事の成果」に対して与えられます。だから、自分の業務外の仕事に時間やエネルギーをとられたくない、というのが本音なのです。当然、広報に協力して自分たちにどんな得があるの?という疑問も生じます。
ところが、広報やIRは本質的に全体に奉仕する仕事です。だから、広報と社内各セクションの間で、全体対部分という図式の対立が生じやすいのです。広報と他のセクションが協力してやって行こうというプロジェクトでも、自部門の予算がそれに使われることには拒否反応が出たりもします。自分のものは自分のものなんです。国益よりも省益などと言われるのも、根は同じことでしょう。
また、広報やIRの仕事に協力することは、自分の仕事を公の場にさらけ出すという一面があります。すると、思わぬミスや隠し事が表に出るかもしれません。そのようなリスクをサラリーマンたちは本能的に感じとるので、できればそれを避けたいという思いが強くなります。触らぬ神に祟りなしです。できるだけ情報公開はやめておきましょう、という結論にもなりがちです。
これらの本質的な解決は、経営者の強いリーダーシップなくしてはあり得ませんが、そのようなリーダーには滅多に出会えません。
幾多の障害要因を突き抜けくぐり抜け、うまく回避しつつ目標を達成する。それが広報やIRに携わる人たちのやり甲斐です。どんな仕事にも困難はつきものだし、問題解決することこそ「仕事」というものですからね。〈kimi〉

時計はどっちを向いている?

2009.08.31

このところ大学や大学院の教室にうかがう機会が多くなりました。先生の席にすわったり学生の席にすわったり、いろいろなんですが、どちらにすわっても時間が気になります。そこで不思議なことにがついてしまいました。教室の時計はたいてい生徒の方を向いている、つまり先生の背中側の壁にかけてあるという事実です。
ところが、落語や漫才をやる寄席では、時計は必ず芸人さんの正面、つまり客席の背中側に掛かっています。教室とは正反対です。
寄席では、お客さんには楽しい時を過ごしてもらいたい。上演中は時間を気にしないでもらいたい。お客さんが時間を気にするようなら、その芸はお粗末ということになります。だから時計は観客から見えにくい位置に掛かっています。
出演する落語家や漫才師には15分とか20分とか、持ち時間が厳しく指定されています。プログラム通りの時刻に「お後がよろしいようで」と下がってもらう必要がある。そのために芸人さんの真正面に時計があるわけです。寄席の時計の位置は実に合理的です。
教室の時計の位置は、つまらない講義から解放されるまでのカウントダウンを学生にさせるためなのでしょうか。教師は時間を気にせず好きなだけ講義を続けなさいということなんでしょうか。よくわかりません。時間を気にする講師はわざわざ腕時計を外して台に置いたりしています。これってすごい不合理です
大学の事務当局はただただ前例にならっているだけで、な~んにも考えていないということなんだろうと思いますが、これって顧客視点に立っていませんよね。少子化が進んで大学も大変な時代だというのにねえ。〈kimi〉

「ココランチ」公開

2009.08.21

この5月に開業1周年を迎えたのを記念して、何かやろうよ、ということになりました。あれこれ考えた末、オフィスのある半蔵門・麹町界隈のランチのお店を紹介することにしました。少々手間取ってしまいましたが、今日、ようやく公開することができました。トップページの左サイドのバナーからお入りください。
半蔵門で仕事を始めた当初は、「これは、というお店があんまりないなあ」という印象でしたが、だんだん街を知るほどに、特色あるお店があちこちに隠れていることがわかってきました。
このあたりの特徴としては、イタリアンが多いこと、回転寿司が絶無であること、老舗が少なく新しいお店が多いこと、しかし、チェーン店は少ないこと、などが挙げられます。
イタリアンが多いのは、外資系企業が多いことが背景にあると思います。ガイジンとその秘書みたいな組み合わせがイタ飯屋では目立ちます。働く女性の多い地域であることも理由の一つでしょう。
立ち食いソバ屋が繁昌しているのに、なぜ回転寿司はないのでしょう。地価が高いので、一定の店舗面積を要求される回転寿司は採算がとれないのかもしれません。なくてもとくに問題はありませんが・・・。
江戸時代、この近辺は武家屋敷でした。番町は幕府を守る武士たちの屋敷が連なっていたところです。そのような場所に繁華街は成立しません。旧住宅公団の団地のようなもので、民間が勝手に蕎麦屋や寿司屋を開店するわけには行かなかったでしょう。老舗が少ないのは、そのためだろうと推測します。江戸城に近すぎるんです。老舗と呼ばれるような店は浅草とか日本橋とか、町人の街に残っていますものね。
チェーン店が少ないのは、大きなビルが少ないからです。最近建設されたビルの地下に行くと、どこもここも同じようなチェーン店ばかりが並んでいます。面白くないですね。そこへ行くと半蔵門・麹町は路面店が多く、個人営業のお店が多いんです。それだけバラエティに富んでいます。
というわけで「ココランチ」、ぜひご利用ください。コメントも歓迎です。〈kimi〉

PCでテレビ

2009.08.17

私事で恐縮ですが、夏季休業中に自宅のPCでテレビが見られるように改良を施しました。書斎には小型のアナログテレビといまや貴重なVHSデッキがありますが、部屋の片付けをした際に、本棚の裏を這わせていたアンテナケーブルがはずれてしまったようで、見られなくなってしまいました。それならPCで見られるようにしよう、と思い立ったわけです。
自宅のPCは(オフィスのPCも同様ですが)自分で組み立てたものなので、改造はお手のものです。秋葉原で地デジとBSが見られるチューナーカードと新しいビデオカードを買って来ました。計3万円余り。液晶テレビを買うより経済的です。ちゃんとPCのハードディスクに録画もできるんですよ。
実に快調、と満足したまではよかったのですが、見ているうちに、何か違和感を覚える。落ち着かないんですね。すぐに視聴をやめたくなってしまいます。どうしてでしょう。
PC用のモニターは、テレビ用とはやはり異なります。比べて見れば画質がいくらか落ちます。しかし、そのためとも思われません。原因はたぶんほかにある。
まる1日考えて、2つの理由を思いつきました。
1)姿勢。PCのディスプレーは机の上ですから、テレビ番組を見るときも、チェアにいずまいを正して坐らなければなりません。ソファにひっくり返っては見られない。これが長時間の視聴に耐えられない理由の一つでしょう。
2)距離。ディスプレーと眼との距離が近すぎます。改めて気がつきましたが、通常、テレビ受像器はかなり離れて見ています。文字を読むためのPCディスプレーはそこが違います。だから眼と鼻の先でSMAPが躍り出てくるCMなどを見せられると、すぐに画面を消したくなってしまいます
というわけで「PCでテレビ」はハード面は○、ソフト面は×、という結果になりました。使い方によってはなかなか便利ではありますが。〈kimi〉

スーツにネクタイ

2009.08.07

梅雨が明けたんだか、明けていないんだか、なんだかわからないうちに暑くなりました。
私、夏が大嫌いなんです。その理由は服装にあります。毎日Tシャツにチノパンで仕事ができれば、それほどイヤではないのですが、スーツで夏を過ごすのがたまらないんです。しかし、10年前と比べるとずいぶん上着を手に汗をかいているサラリーマンは少なくなりましたね。押しつけがましいクールビズには心理的な抵抗も感じるのですが、涼しい服装は大賛成。蒸し暑い日本の夏なのに、スーツにネクタイでなければならないなんてナンセンスですよ。社員がチノパンで仕事をしている外資系の会社には、こちらもラフなスタイルで訪問できるので大助かりです。こういう会社がもっと増えてほしいものです。
しかし、その場に合わせた服装ということもあります。お手伝いしているIRセミナーの初日、司会と講義をする役割となれば、やはりスーツにネクタイだろうと思いつつ朝、家を出たところで某社のトップから携帯に電話が。昼過ぎに某著名ジャーナリストが来社するので立ち会ってほしいとの急な要請でした。某社に行ってみれば、みなさん揃って上着にネクタイ姿。スーツにネクタイ、着てきてよかった。でも大汗かきました。〈kimi〉

ありました

2009.08.05

teikiire1.jpgありました。見つけました。紛失したと思った定期入れが、自宅のタンスの隙間の奥に挟まっているのを発見しました。
タンスの上のトレーが、自宅での定期入れと財布と時計の定位置となっています(ドロボーさん忘れてください!)。どういうはずみか、そこから定期入れだけが滑り落ちたようです。焦げ茶色の定期入れは、タンスの隙間の奥でまんまと保護色となって身を潜めておりました。
よかったよかった。でもクレジットカード2枚とキャッシュカード2枚、パスモ1枚はそれぞれ紛失届を出してしまったので、再発行まで使えません。しかもそれぞれ1000円前後の再発行料をとられます。大損をまぬかれたのですから、小損は我慢しなければならないとは思うのですが、なんとなくバカバカしくもあります。人間、のど元過ぎればなんとやらですね。〈kimi〉

新聞の占いは・・・

2009.08.03

土曜日の昼過ぎ、近くの商店街に出掛けてATMで3万円を降ろしました。記憶があるのはそこまでです。
脳梗塞で記憶障害になったわけではありません。キャッシュカードを入れていた定期入れの存在を意識していたのがそこまでなんです。日曜日は天候不順でしたので、家から一歩も外に出ませんでした。月曜日の今朝になって、出がけに確認したら定期入れがありません。家の中、車の中、あちこち探しましたが見つかりません。
土曜日に拾われたとすれば、すでに連絡があってもよさそうです。それがないということは・・・
免許証や健康保険証は別にしてありましたから無事でした。しかし、クレジット2枚とキャッシュカード2枚が入っていましたので、それぞれ電話して使用停止にしてもらうことにしました。
まずクレジット会社。カードの紛失はよくあることなのでしょう。実にスムーズに処理してくれました。幸い不正利用はなかったようです。
次に銀行です。ホームページにアクセスしましたが、どこに電話したらよいのかさっぱりわかりません。サイト内の検索でも見当違いばかりがヒット(ファールかな?)します。キャッシュカードの紛失を受け付ける電話番号を見つけるまでに15分ほどを要してしまいました。これはとっても不親切です。銀行というところが、いまだにお客様視点で仕事をしていないということを示してもいるようです。
交番で遺失物の届出も済ませました。暇そうに机に向かっていた中年の警官が極めて事務的に処理してくれました。駅にもけました。定期券はパスモであれば再発行可能。磁気カード型の定期券はまるまるの損となることが判明しました。大損失。電器量販店のポインカードはあきらめるほかなさそうです。すいぶん貯まっていたのに・・・
そう言えば朝日新聞土曜日夕刊の占いでは、月曜日は★一つでした。あれって、当たるのかなあ。〈kimi〉

礼!

2009.07.27

麻生首相が記者会見の演台に上がるとき、軽く一礼するのにお気づきですか。
プロ野球の選手でバッターボックスに入るときに一礼する人がいます。高校野球では必ず審判に「お願いします」と頭を下げるのが慣習になっているようで、プロになってもその習慣が抜けないのでしょう。柔道家も畳に上るときには必ず一礼します。サッカー選手の場合は、フィールドを出るときに、わざわざ振り返って一礼する姿をよく見かけますが、これは日本選手に限られるようです。戦ったフィールドとサポーターに対する敬意なのでしょう。悪いことではありません
さて、麻生首相ですが、彼は一体何に頭を下げているのでしょう。会見場には国旗が掲げられていることが多いので、国旗に対してだろうと思っていたら、赤い緞帳を背にした解散時の記者会見では、国旗がなくても一礼して演台に上がっていました。こうなると解釈が難しい。スポーツ選手のように記者会見という神聖な勝負の場に対して敬意を表している、とも考えられますが、日頃の首相の言動を拝見している限り、どうもそうではなさそうです。
ある企業経営者は、社員を集めたセレモニーの場で、麻生さん同様、演台に上がるときに深々と一礼をします。演台のバックには国旗ではなく社旗が掲げられています。つまり社旗に頭を下げているわけですが、これって、ちょっと変ではありませんか。社旗って、ロゴマークを刺繍したただの旗です。そこに何か「神聖」っぽい意味づけをしようとしているとしたら、いかにも日本的な風景と言えます。
首相が一礼すべきは国民に対してであって、経営者が一礼すべきは業績を支えている社員に対してではないか。私は、そう思うのですがね。〈kimi〉

京都にて

2009.07.21

7月16日(木)から4日間ほど京都に行って来ました。大学院でコーポレート・コミュニケーションを講じておられる特任教授のご案内で、関西系大手電機会社OBでブランド管理の専門家氏、京都に本社のある制御機器・医療機器企業の女性CC部長さん、地元の女性イラストレーターさん等々の皆さまと親しく意見交換をしてまいりました。
と書くと、いかにも出張して仕事をしてきたようですが、真実は休暇をとって祇園祭の見物に行ってきたのであります。
南観音山
山鉾巡行の前日、山鉾の上のコンチキチンと鐘や太鼓でお囃子を演奏する場所に登らせてもらいました(南観音山)。こんなに高い。
宵山
午前1時、祇園の花街を行く日和神楽。長刀鉾(なぎなたぼこ)の町内だけが別格扱いで、宵山(前夜祭)に八坂神社へ神楽を奉納することができることになっています。その帰りに祇園などをコンチキチンと神楽を奏しながら巡ります。今回の京都行きの目当ては実はこれでした。日和神楽を迎えに舞妓さんや藝妓さんたちがお茶屋の前に勢揃いするのを逆に見物しようというわけ。個人情報保護のため、きれいどころの写真は公開いたしません。
辻回し
山鉾巡行の日。菊水鉾が室町通から四条通へ出るために方向転換(辻回し)しています。
神幸祭
祇園祭と言えば山鉾巡行ですが、実は7月いっぱい様々な行事が続く長い長い祭なんだそうです。これは巡行の日の夕方、八坂神社から三基の御輿が繰り出す神幸祭。御輿が出てくるのを2時間立ちっぱなしで待っていました。すごい迫力。いまどき、よくもこんなに若い衆(白髪頭も混じっていますが)が集まるものです。京都と言えば、女性と学生と年寄りの街のようなイメージがありますが、結構粋で荒々しい面もあるんですね。
2日間ずいぶん歩きました。お蔭でよい足腰のトレーニングになりました。休暇中、お電話やメールをくださった方、ごめんなさい。〈kimi〉

色白は百難隠す

2009.07.13

土曜日は、秋から兼任講師をする予定のビジネススクールで、学生たちのプレゼンテーションを講評する役目を仰せつかりました。
アナリスト・機関投資家向けの会社説明会用のプレゼンをつくって発表せよ、というのが課題です。この日は90分間に4組が発表し、それぞれ質疑を行ったので、講評に使えた時間はわずか10分間ほど。十分にお話できず残念でしたが、その分は秋からじっくり時間をかけてやるつもりです。
その学生たちのプレゼンの中に、すばらしく美しいパワーポイントスライドがありました。多くの日本企業の会社・決算説明会の資料を見て来ましたが、これほどの水準のものは目にしたことがありません。世界で最初にIRを始めた企業とも言われるGEのソフィスティケートされたスライド資料を、ビジュアル面では凌ぐのではないか、とさえ思いました。
「この資料の仕上げをした人は誰ですか?」
と教室を見回したら、隅の方にいた太目の男性がオズオズと手を挙げました。
「デザインの勉強をしたことがあるのですか?」
「デザイン会社を経営しております」
な~んだ、そういうことか。これが社会人が学ぶビジネススクールの面白いところなんでしょう。
色白は百難隠すなどと言いますが、美しいスライドは内容の問題点をカバーする効用があります。講師がこんなことを言ってはいけませんが、このグループの発表にはつい甘めの評価をしてしまいました。
秋からの講義に私が使うスライドも、もう少しブラッシュアップしなければならないなあ。少々プレッシャーも感じてしまいました。やれやれ。〈kimi〉

身のほどを知れ

2009.07.10

私たちのような仕事をしていると、メディアに対して批判めいたことは書きにくいのですが、そんなことばかり気にしていたら、言いたいことも言えません。と、そんなマクラで今日は書き始めることにしました。
NHKの看板番組である大河ドラマと朝の連続テレビ小説の評判がよろしくありません。ネットでは、「よろしくない」なんてものではなくて、最悪です。
大河ドラマの出だしは好調に思えました。子役がうまかったためかもしれません。その加藤清史郎クンが、イケメンの妻夫木聡クンにバトンタッチしたあたりから、なんか変だよなあと違和感を覚え始めました。とうとう我慢ができなくなって視聴をやめたのは、5月になってから。私はかなり辛抱強いんです。
何に我慢できなくなったかと言えば、ネットに山のように書かれている要因とまったく同じ。脚本がなっとらんね。
連続テレビ小説の方は放送時間の関係で見る機会は少ないのですが、家を出るのが遅くなったときなどに、ヒゲを剃りながら音声だけを聞いていることがあって、この番組に対するネット上の批判もよくわかる。
「身のほどを知れ」という言葉があります。自分はどういう人間か、自分の会社はどういう会社か、といったことを冷静に把握することはとっても大切なことです。同時に、そこから何を目指すべきかというビジョンを描く必要がある。ある本に、経営者はリアリズムと理想主義が必要だと書いてありましたが、まったくその通りだと思います。
NHKに話を戻すと、あの会社はインテリジェンスは高いがトレンドに乗ることが下手。最新のファッションを頭で理解して、それについて述べることはできても、そのファッションを自分の身につけることはできない。無理してやっても「なんか変」ということになる。そんな真面目で野暮くさい優等生がどこのクラスにもいたじゃないですか。これがNHKの企業風土、企業文化というものです。
優等生って、なんだかんだと陰口は叩かれるものの、クラスでは一目置かれる存在だったはず。他人が真似しようにも優等生には容易になれない。NHKにはすぐれたドキュメンタリー番組や「ハゲタカ」のようなドラマを制作する能力があります。その強みをもっともっと活かすことを考えるべきで、夢にもトレンディドラマを作ろうなどと考えてはいけません。できないことをしてはいけません。民放の真似をすることはないんです。隣の芝生が美しく見えても、自分の庭にはもっと美しい花が咲いているんです。
これは決して他人事ではありません。私たちも十分自戒する必要があると思っています。
先日、NHKの力の入ったスペシャル番組を見ていたら、司会者が上着のボタンを二つとも留めていました。もちろん二つボタンのジャケットです。いかにも優等生のやりそうなことですね。〈kimi〉

波平の年齢で考えたこと

2009.07.01

最近読んだ本によると、「サザエさん」の波平は54歳なのだそう。今の私の周りのこの年代の人と比べると、10歳は上に見える。さらに調べてみたところ、フネは原作で48歳、これは黒木瞳や川島なお美とほぼ同い年だ。
サザエさんが最初に書かれたことにくらべ、今の人たちの見た目が若くなっているのは豊かな食生活により栄養状態もよくなったことや、生活に余裕ができ、美容やおしゃれにお金や時間を使えるようになったためだろう。
当時の定年はおそらく55歳だっただろうから、波平は定年間近ということだろうが、今の54歳というのは、日本企業の中では、ようやく人間が練れてきて貫録もついてきて本当の大人と認められたというような年齢ではないだろうか?定年で思い出したが、私が以前勤めていたある日本の会社で、社史を読んでいたところ、昭和40年代頃だったと思うが、「女性の定年が30歳から35歳に引き上げられる」という出来事が載っていた。「これより前だったら、もうクビだよ!」と騒いで失笑を買ったが、男女雇用機会均等法後に就職した私にとってはちょっとしたショックであった。
「均等法なんて建前だけで内実は違うじゃないか」と思っていたが、就業規則で有無を言わさず退職させられることに比べればなんという進歩だろう。
よく昔に比べて人間が堕落した、社会が悪くなっているとか、昔は良かったという人がいるし、そう思う気持ちもよくわかるようになったが、人々が若々しく元気で働くことができ、たくさんの選択肢を持つことができるのは基本的には良いことだと思う。そのことによって生じている問題、たとえば高齢化や少子化などは深刻に考える必要はあるが、少なくとも私はサザエさんのころに戻りたくはないと思う。
不景気で暗いニュースも多く、ともすると後ろ向きに考えがちになってしまう今日この頃だが、波平の年齢の話で進歩が実感できたおかげで、未来を少しだけ楽観的に見れるような気がした。<Fuji>

ホテル出勤

2009.06.29

私ごとではありますが、自宅の給器がぶっ壊れました。日曜日にもかかわらずメンテナンス技術者がすぐに駆けつけてくれました。これはガスを使っているメリットの一つかもしれません。ガス漏れはとても危険なので、24時間対応しているのでしょう。
そこまではスムーズにことが運んだのですが、給湯器を開けてみたら、釜にヒビが入っているので交換する必要があるということがわかりました。
「その部品はいつ入るの?」
「今日は日曜日だから発注できないんですよ。明日発注して、早くて明後日ですね」
というわけで、わが家では風呂に入れないことになってしまいました。
たまには冷水シャワーもオツなものだろうと試してみましたが、水を出した瞬間、これは無理と観念しました。昨日は、とくに珍しく気温が低目だったのです。とても江ノ島海岸海の家のシャワーのようなわけには行きません。こちらもだんだん何とかの冷や水に近づいてもおりますし・・・。
対応策は限られます。①近くの親類に湯を借りに行く、②スーパー銭湯へ行く、③ホテルに避難する・・・。
もろもろ考えた末、カミさんは②を、私は③を選択しました。
そんなわけで、今日はオフィスの近くのビジネスホテルから出勤しました。通勤電車がないというのは楽ですね。今晩もう一泊する予定。さて夕飯はどこでとろうかなあ、と先ほどからそればかり考えております。〈kimi〉

20日間のご無沙汰でした

2009.06.25

とうとうお叱りのメールをいただいてしまいました。20日もブログに書き込みがない、どうかしてしまったのか、とのご指摘です。
いや、誠に申し訳ありません。このブログを楽しみにしてくださっている方がおられるということに、驚くと同時に感謝いたします。実にありがたいことですが、責任も感じます。そこで20日もサボっていた言い訳を書こうと、電車の中でいろいろ考えました。
忙しかったので・・・。これはよくある言い訳です。仕事が忙しいなら仕方がない、と相手をしぶしぶ納得させようという魂胆です。しかし、朝から晩まで奴隷のように働かされるということは、現代のビジネスシーンではほんどありません。要するに、その仕事のプライオリティを下げておりました、ということでしょう。大した仕事じゃない、とタカをくくっていたと白状していることになります。これはマズイ。
うっかり忘れていた・・・。これは事実に反します。たしかにブログのことを失念していた時間がほとんどですが、ときどき「書かなくちゃなあ」と思い出してはいたのです。私の長かったサラリーマン時代の経験によれば、「忘れていた」と言い訳する人は、その仕事をしたくないか、その仕事をする能力がないか、そのどちらかでした。これもちょっとマズイ。
文章を書く意欲が湧かなかった・・・。これはいくらか事実に近い言い訳です。このところ文章を書く仕事が多かったのです。ほかでたくさん書いていると、ブログを書く意欲が湧かなくなるのです。乏しい才能がそちらでほとんど消費されてしまうせいなんでしょうね。もっとも私の書くブログは文章が多すぎるようです。書けないときは、写真でごまかす。ショコタンのブログだって眞鍋かをりのブログだって、写真中心です。この手を使わない手はありません。でも、写真を撮るにもまた別のエネルギーが必要だしなあ・・・。
書くネタがなかった・・・。いくら考えてもネタが思い浮かばないということがあります。これにも波があって、どんどんネタが浮かぶこともあれば、全く浮かばないこともある。心の余裕と関係があるのかもしれません。
こんなところが言い訳のレパートリーですが、実際は怠けていただけです。しかし、このブログは私だけで書いているのではありません。ときどき弊社のスタッフが書いております。私が書かないときは、別の人間が書けばよいのですが、その問題を追求することは企業秘密にふれることになるので、ここではやめときます。〈kimi〉

1分のおまけ

2009.06.05

ココノッツのオフィスは、半蔵門線の半蔵門駅の3番出口から出るとすぐなのですが、初めての方が、他の出口から出てしまって迷子になる事故が多発しております。
半蔵門駅には4つの出口があります。永田町寄りの1番・2番出口は新宿通りの南側にあって、地上に出ると顔が東向きになります。3番出口は新宿通りの北側に位置して、西向きです。4番は閉鎖中で、九下寄りの5番は東向きです。それぞれ地上に出たときの方角が異なり、そこから他の出口を確認することができません。地図を頭に入れておいても、自分の位置を認識するのがとても難しい。
また、弊社にいらっしゃるお客様には、「常識」の裏を読むことを信条としておられるへそ曲がりや、他人の話を容易に信用しない修練を積んでおられる方が多く(いえ、これを読んでおられるあなた様では決してございません)、口を酸っぱくして「3番、3番」とお教えしているにもかかわらず、悠然と忠告を無視なさることが多いのです。
かくして迷子が続出することになる、ということが1年余にわたる研究の結果、判明したのであります。
その3番出口から弊社まで徒歩1分と地図に表示しております。ここだけの話ですが、これは「不動産の表示に関する公正競争規約」に実は反しております。3番出口から弊社まで地図上で計測すると91m。規約によれば「80メートルにつき1分を要するものとし、1分未満の端数が生じたときは、1分として算出する」とされています。これに準拠すると本当は2分が正しい。誠に申し訳ない次第ではありますが、弊社は不動産屋ではありませんので、11mの余分をお許しいただきたい。因みに、有楽町線麹町駅から3分と書いてあるのも、4分が正しい。それぞれ1分ずつ誤魔化して、いやオマケをいただいております。〈kimi〉

広報における生きがいについて

2009.05.29

昨夜は、株式会社宣伝会議主催の「広報担当者養成講座」。これで何回目になるかわかりませんが、いつも第一回目の講師をつとめています。そして、第一回は、なぜか雨の日が多いんです。昨日もお約束通りの雨でした。
約2時間の講義のあと、受講者から「広報の仕事における生きがいってなんでしょう」という質問がありました。
私は、広報は面白い仕事だと考えています。結果がすぐ出るからです。リリースを出したり、記者とコンタクトをとったりして情報を流すと、その翌日には記事となって、その成果を手にすることができます。こんな仕事って、会社の中でほかにあまりありません。
そのうち、「この間、こんな記事が出てましたね」などという声が、取引先からも友人からも家族からも聞こえて来ます。
それが重なると、会社の中が少し変わってきたような気がして来ます。社員が社外からの目を意識するようになります。「見られている」、「関心を持たれている」という意識を持つと、人間は活き活きとしてくるようです。いつも他人から注目されている女優さんはますます美人になる、という話を聞いたことがありますが、それと同じことです。
こんな仕事って、ほかにあるでしょうか。
これが広報という仕事における生きがいなのではないか・・・と、そんなことをお答えしました。〈kimi〉

校長先生のマスク

2009.05.18

とうとう新型インフルエンザの国内感染が明らかになりました。入ってしまった以上、これからは一人ひとりが感染しないように注意するしか有効な手立てはないようです。
しかし、どうして高校生ばかり(その家族や先生もいますが)感染するのでしょうか。海外へ行ってもいない生徒が突然罹ったのですから、学校側が慌てるのはよくわかります
そこで、ちょっと気になるのは、記者会見する校長先生のマスクです。
患者を出した学校ですから、校長先生も発症はしていないものの、すでに感染している可能性は捨てきれません。記者にうつしてはいけないからマスクをしているのでしょうか。それとも、記者から感染したくないからでしょうか。私が見たニュース映像では、マイクを突きつけている記者でマスクをしていたのは少数派でした。
医学的にはどうあれ、感染者を出した学校の責任者がマスクをしていないとは何事かと、誰かに叱られるのを恐れているのかもしれません。この際、マスクをする習慣を広めたいからお願いします、と所管の保健所から要請された、とも勘ぐってみましたが、これは考え過ぎかな。しかし、危機意識を煽るには一定の効果はあるでしょう。
広報的な観点からはどうでしょう。「生徒の感染対策に校長先生も大汗かいてます」という演出効果はあると思いますが、少々わざとらしさも感じますね。病院の記者会見でドクターが着る白衣と同様、意味があるようで実はあんまりない。
今日の状況では、校長先生のマスクはない方がよいように思うのですが、いかがなものでしょうか。〈kimi

ワンマン道路

2009.05.16

パシフィコ横浜で開かれた日本医療機器学会へ行くために、昨日、今日と久しぶりに東急東横線に乗りました。渋谷から横浜まで30分弱。目的地のみなとみらい駅まで30分ちょっと。速いですねえ。
車窓からぼんやり外を眺めていたら、一瞬、切り通しと幅の広い道路が見えました。そのとき「ワンマン道路」という言葉が不意に頭に浮かびました。
小学校だったか中学校だったか、バスで湘南方面に遠足に行くときには、その「ワンマン道路」を通ったのでした。吉田茂元首相が大磯から東京へ行くために、渋滞を嫌って作らせた道路というバスガイドさんの説明をいまも覚えています。大磯の旧邸は先日焼失してしまいましたね。あれは、どこの道路だったのだろうと、帰宅してからWikipediaで調べたら、横浜市戸塚区の柏尾町から原宿に至る国道1号のことだそうです。それなら東横線から見えるはずがありません。
それにしても、そんな公私混同が許されたのでしょうか。バスガイドさんの説明も、微笑ましい逸話という感じで、批判がましいニュアンスは感じられなかったように記憶します。
同じような話では、神楽坂の一方通行があります。午前中は北(神楽坂上)から南(飯田橋)へ、午後は南から北へと方向が変わります。田中角栄元首相が目白御殿から官邸まで、行きと帰りに都合のよいように決めたのだと、これはタクシーの運転手さんがニュースソースです。
露骨な利権や利益誘導とは少し違うのかもしれませんが、どちらも権力や特権によって公的なものを自分の都合のよいように動かしてしまったわけで、けしからん話じゃありませんか。その割りに批判されていないのは、それで一般の人も便利になったからかもしれません。
学会から帰ったら、民主党の新党首が決まっていました。お祖父さんの鳩山一郎元首相はどんなことをやったんでしょうね。ほとんど記憶がありません。〈kimi〉

芝桜で描く竜神伝説

2009.05.07

勤電車の中吊り広告やTV、雑誌などでバンバン特集されていた「富士芝桜まつり」。
あれだけ毎日、目で見て、耳で聞いては否が応でも興味が湧くというものです。最近の戦略広報の流れでもありますが、新聞、TV等でニュースとして取り上げられることにより、連鎖反応的に雑誌、ラジオ、TVなどが追随して特集を組み、それを経験した一部の人々が体験談をインターネットで発信し、それをみた消費者が情報の信憑性を確信し、さらなる消費行動へと駆り立てられるという仕組みです。まんまとその戦略の乗ってしまった言い訳をしてもしかたありませんが、これは一度は見なくてはと妙に落ち着かない気分になり、このゴールデンウィークにいってみることにしました。
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腰がうずうずしていた者が弊社にもう一人おりまして、彼女は早々と5月2日に現地にいったもようです。その情報によれば、6時半東京発でもすでに遅し!とのこと。サンデードライバーの事故渋滞に巻き込まれ、現地ではランチの食券を買うのに並ぶ、さらにそれを現物と交換するのに並ぶ、、、のだそうです。
それではと、こちらは山中湖近辺に前泊し、5月4日の朝8時半に出発しました。やはり出足がやや遅かったか、河口湖で早々と渋滞に突入してしまいました。しかし、渋滞はこのあたりだけ。最近はナビという便利なものがあります。美しい別荘地を通り抜け、混雑することもなく、無事にシャトルバス乗り場までたどり着きました。約一時間の快適ドライブです。
上の写真のごとく、白、薄紫、桃色、ピンク、濃いピンクと五色の芝桜で、かつて本栖湖に棲み、お山の噴火から村人を救ったという伝説をもつ竜神が美しく描かれています。
一見、人がいないように見える現地ですが、後ろを振り返るとこの人出です。それでも、早めのランチの食券売り場には、5〜6人程度が並んでいる程度で、ちょっと拍子抜けくらい。
しかし、これは序の口と気づいたのは会場を後にしてからです。
行きはよいよい、帰りはこわい、、、帰りの国道139号線はぴたっと止まったまま、上下線ともに車が動きません。行きに30分できた道のりを2時間半かけて通過しましたが、途中、会場に向かう車のナンバープレートには関西や九州の地名まで見えます。 午後から会場へ向かった方、おつかれさまでございました。人ごみに見え隠れする竜神はきっと息も絶え絶えに見えたに違いありません。
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インフルエンザ一色

2009.05.04

連休のド真ん中だというのに、今日はオフィスへ出てきました。
ココノッツでは、ほとんどの全国紙や主要産業紙を購読していますので、休日が続くと、配達された新聞が「ココノッツ特製巨大新聞受け」からあふれ出してしまうからです。また、お客様のご希望や私たちの問題意識に基づいて、複数のデータベースで掲載記事をモニターしておりますので、それのチェックも欠かせません。
というわけで、オフィスにやってきたのですが、データベースの方は空振りでした。連休前から新聞は豚インフルエンザ(インフルエンザA、H1N1)一色です。それもニュースソースが限定されているためか、各紙の記事はどれもこれも中味はほとんど同じです。各社の医療担当記者はインフルエンザにかかりっきりで、事前に入稿してあったと思われる記事以外には、注目すべき医療記事は見あたりません。
新型インフルエンザの情報は現在のところ最もプライオリティが高く、国民に正しい情報を十分伝達するのが報道機関の役割ではありますが、医療広報を仕事にしている私たちにはちょっぴりつまらない最近の新聞です。〈kimi〉

川の流れのように

2009.04.26

いつの頃からか、私は「世慣れた人間」と見られることが多くなりました。「世慣れた」という言葉には「清濁併せ呑む」ような、いやどちらかと言えば「濁をたくさん呑む」ようなイメージがあります。私に関してそれはまったくの誤解であると、ここで申し上げておきたい。
実は、仕事の上で初対面の方と名刺交換やご挨拶をしたりしているとき、「どうしてこんな大人っぽい挨拶ができるんだろうなあ」と自分を客観的に眺めているもう一人の自分の目に気づくことがあります。「いつからこんな世慣れたことができるようになったんだだろう」とも。おかしいかもしれませんが、私の内部には、いまだにオロオロしながら世の中を渡っているという感じがあるのです。
広報の仕事を長くしながら今日に至っているのですから、世の中に慣れていないということはありません。世の常識というものを知らなければ、この仕事はできません。それはそうなんですが、広報の仕事をしていると、同時に「世の正義」といったものを肌身に感じることも少なくありません。世慣れてはおりますが、青っぽいところもあるんですよ、こう見えても。
さて、神奈川県横浜市に生麦というところがあります。幕末、薩摩藩の島津久光の行列を馬上のイギリス人が妨げたとして、藩士が斬り殺した生麦事件の現場ですが、そのあたりから東京湾に注ぐ鶴見川という比較的大きな河川があります。以前は汚れきった濁流の川で、私などはいまだにそのイメージを持っています。最近はそれほどでもなくなったようですが、清流というにはほど遠い川です。その源流が、自宅からそれほど遠くない町田市にあることを今日偶然に知りました。幸い天気もよいので、思い立ってぶらりと(と言っても近くまでは車で行かなくてはなりません)そこまでに出かけて来ました。

鶴見川源流


この写真がその源流の池。地下から清水が湧き出ていました。その清らかな流れが、川崎市の北部を流れ、東名高速の市が尾ICの近くを通り、やがてJR横浜線に沿って流れて、鶴見総持寺から花月園競輪の脇を過ぎ、流れ流れて生麦に達して濁った川になる。いや、まったく人の一生に似ています。「川の流れのように」なんて美空ひばりの歌を思い出します。
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上の写真は、その源流付近の里山の風景です。このあたりは、朝日新聞「にほんの里100選」に、東京で唯一選ばれた「小野路」のすぐ近くでもあります。〈kimi〉

「新聞記者ってダメだな~」

2009.04.17

産経新聞のサイト「msn産経ニュース」が、首相のぶらさがり取材をそのまま掲載するようになって、これが好評だったのでしょう、他の新聞サイトも同じようなことを始めました。インタビューの受け答えを考えるのに、これは大変参考になります。
今日は朝日新聞のサイト「asahi.com」で”ぶらさがり”のやりとりを読みましたが、本当にがっかりですね、いまの首相には。
イチロー選手の新記録に関する質問に対して、あぶさんの年を知っているかと逆質問していました。記者が答えられないと、「新聞記者ってダメだな~」だって。
日経だったでしょうか、何日か前に、今期限りで「あぶさんが引退する」という記事を書いていたように記憶しますが、あぶさんの年齢なんて政治部記者が知らなくても「ダメだなあ~」と言われる筋合いはありません。しかし、取材している政治部記者たちは怒らない。クライシスのときに集まってくる社会部記者はあんなに怒るのにねえ。ま、そのことは置いておいて・・・
企業のトップや重役の中にも、首相と同じように、親しい記者に逆質問をして、「新聞記者ってダメだな~」などと発言する人がときどきいます。これは絶対にやめた方がよい。広報担当者として立ち会っていて、これをやられると、本当に参ってしまいます。突然の発言なので止められません。
新聞記者の質問は原則として、社長なら社長の立場としての回答や意見を求めるものです。それには何らかの回答をする必要があります。事情があって、「お答えできません」と言うのも、印象の善し悪しは別にして、仕方のない場合もあります。しかし、その企業の経営者として、常識的に知っているべき事柄について知らなければ、記者は「社長ってダメだなあ~」とも言わずに、単に軽蔑するだけです。そして新聞社に帰ってからデスクに言います。「あの社長って、ダメかも~」
インタビューを受けている社長は、それを本能的に感知しているので、いつ自分の知らないことを聞かれるのではないかとビクビクしながら質問を受けています。だから、少し余裕ができると、つい首相と同じことをしてしまうのでしょう。
記者は、知らないから取材をしているのですから、知らなくても一向に構わないのです。「知らないから教えてください」と逆再質問をすればよいだけです。
もう一つの問題は、社長が記者を見下していることです。企業経営者に比べれば、一般に取材記者ははるかに若い。人生経験も未熟です。つい自分の会社の若手社員と話しているような気分になってしまうのでしょう。これも大きな間違い。記者は他社の人、社会の人です。バカにしたらよい記事を書いてくれるか、と言えばまったく正反対です。
いまの首相の大間違いは、記者との質疑応答が、首相と国民との質疑応答であるという意識をまったく持っていないところにあります。近頃、敵失で支持率が上がっているそうですが、このような点だけをとっても、この人で本当にいいんだろうか、と思ってしまいます。〈kimi〉

医療政策を勉強する

2009.04.14

先週から毎週金曜日、「安心と信頼の医療・福祉のデザインー医療・福祉ジャーナリズムの視点からの考察ー」という長い長いタイトルの講座に出席することにしました。国際医療福祉大学大学院が讀賣新聞とタイアップして開いている特別講座です。医療広報を専門としている以上、こういうところにも積極的に出席して勉強しておかなくっちゃ仕事になりません。
というわけで出席してみると、会場には大手製薬会社の広報部長さんの顔がいくつも見えます。みんな勉強家だなあ、とも思いますけど、讀賣新聞の医療情報部や社会保障部の現役・OB記者がずらりと講師陣に名を連ねているのですから、その下心は知れています。私自身も、そうではないとは言いませんが、広報・IRコンサルタントとして仕事をしていると、日本の医療の本質的な問題をもっと理解しておきたいという気持が、企業の広報室長としていたときよりはるかに強くなってきました。
第1回のゲストスピーカーは元厚労省医政局長で副学長の岩尾総一郎氏でした。医療行政に関わってこられた実体験談など、有益なお話がたくさんありましたが、会場からの「政策をつくっているキーマンは誰か」という質問に、「役所は合議制なので、課長代理あたりから提案が上がって来る」と答えられたのには、なるほどと思い当たりました。
このところ仕事上の必要から、厚労省や経産省の方々とお話する機会が増えましたが、民間からの具体的な提案に対して、課長代理クラスの行政官のみなさんが予想以上に関心を持ってくれます。
吉村仁元厚生省事務次官が1983年に唱えた「医療費亡国論」が日本の医療行政に大きな影響を与え、四半世紀近くもこの発想に縛られ医療費抑制政策が続いてきました。ところが現在の経済危機を乗り切るための補正予算が連発されるようになって、いま状況は大きく変わってきました。岩尾氏によれば、すでに「医療費亡国論」の影響はなくなっているのではないか、とのことでした。
民間の提案への許容度が高くなったのも、そのためなのかもしれませんが、その場しのぎの予算執行のアイデアだけではなく、将来につながる制度改革の提案を業界もしなければならないし、政策立案者の側もそれをしっかりと受け止めてほしいものです。〈kimi〉

本社内って?

2009.04.07

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昨日はうららかなよい天気。満開の桜の下の千鳥ヶ淵公園で見つけました。
花見の場所取りのためにガムテープで囲って占有を宣言。それにしても「本社内」とは何ぞや? どこの会社の本社だ?
いやはや企業で生きるってことは・・・以下コメントする気なし。〈kimi〉

短気じゃないんですけど

2009.04.04

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自宅の近所で撮った今日の桜です。都心より少し遅いようで、まだ9分咲きといったところ。
実は、4月初めというこの季節が私はちょっと苦手です。
そのわけは新人の季節だからです。新入社員や新入生など、新しい環境に身を置くことになった人たちが突然大量に街にあふれ出てきます。その人たちが、街角でも駅でも電車の中でも一斉にマゴマゴしています。慣れない通勤・通学ルートに戸惑っています。新入社員教育の会場への道を地図を見ながら探しています。新しい仲間ともまだ互いの気心が知れないので、グループで移動するにも統制がとれずに右往左往しています。自分だってはるか昔にはそんなときがあったに違いありませんが、しかし歩きにくいったらありゃしない。なかなか前へ進めないと、私の瞳の中にイライラの炎がともります。
私はとくに短気ではないつもりですが、「前へ進めない状態」というストレスには滅法弱いのです。
同じように前に進めなくてイライラの炎が燃えるのは、要領を得ない話し方をする人に出会ったときです。
要領を得ない話し方にも2種類あって、一つは、何を言おうとしているのか最後の最後までわからない人。もう一つは、何を言いたいのか、相手はすぐに理解したのに、なおもクドクドと説明を続ける人。どちらも話が長い。
こういう方々の多くは几帳面な性格をお持ちのようです。きっちりと初めから終わりまで話さないと気がすまない。枝葉まで説明しないと気がすまない。不正確な表現があっては気がすまない。話し洩れがあっては気がすまない。相手に誤解を生じては気がすまない、などなどなど。
また、この手の方は、話しを途中で遮られることをとても嫌うようです。最後までとにかく話させてほしいという気持が伝わってきます。その長い長いお話が終わると、ホットした顔をされます。誠にご苦労様なことですが、「結論を先に言ってくださいよ」とか「わかったわかった」などとは決して言わずに聞いているこちらも誠に苦痛であります。
繰り返しますが、私は短気ではありません。ただ人間的にまだ修養が足りないんでしょうね、きっと。 〈kimi〉

トップの椅子

2009.03.30


この季節、連日新聞にトップの交代が報じられています。企業にとって、トップ交代は最大のイベント。広報も発表準備に神経を使い、発表後はトップインタビューが続いて気が抜けません。そんな経験を思い出すだけで、その頃の疲労感が甦ってきます。
さて、そのトップになった人たち。なり立てはいたって殊勝なものです。いくら威厳を取り繕おうとしても、「どうぞよろしくお引き立てを願います」といったところがチラチラ見えます。それが2年たち4年たち、もう1期やろうかという頃になると、そこはかとなくカリスマ性を備えてきます。周囲は腫れ物にも触るように、トップに接するようになります。
その象徴は椅子に表れる、ということに最近気がつきました。執務室の立派な革張りチェアのことではありません。会議室や応接室の席のことです。役員会などでは、出席者は会議机の長辺に並んで座り、チェアマンは短辺に席を占めることが多いようです。そのうち、その短辺の席はトップ本人以外は座らなくなります。トップの加わらない打ち合わせでも、その席だけは空席で残されます。畏れ多い、といった気持でしょうか、そこに座ると叱られるとでも思うのでしょうか。応接室も同様です。たいていトップの座る椅子は決まっています。その席には副社長も座らなくなります。
そうなったときにワンマン化が始まり、やがて独裁経営となり、ついには老害経営となります。
このようなことは外資系の企業ではほとんど見られません。つい先ほどまで社長が座っていた椅子に平社員が平気で座っています。日本人と欧米人との考え方の違いと言ってしまえばそれまでですが、このような企業文化の違いは、企業経営のいろいろな面に表れてくるようです。どんなところに表れるか・・・たくさんあって、今日はとても書く気になれません。いずれまた。
写真は自宅近所の桜です。このところの寒さでまだ一分咲き。〈kimi〉

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