Cocoknots

株式会社ココノッツ

君島邦夫のココノッツブログ

ココノッツ創立者であり現在は取締役会長の君島邦雄が
広報や医療に関する話題を中心に日常感じたことを勝手に書いています。

君島邦夫のココノッツブログ

ココノッツ創立者であり現在は取締役会長の君島邦雄が広報や医療に関する話題を中心に日常感じたことを勝手に書いています。

欺されました

2009.03.23

新聞の書評を参考にして本を買うようになったのは、40歳を過ぎた頃からでしょうか。
学生時代は、大学近くの古本屋街で、毎日のように棚を眺めながら帰りました。自分が関心を持っている領域なら、どの店のどこの棚にどんな本があって、それがいつ売れたかまで、だいたい頭に入っていたものです。一冊読めば、次に読みたい本や読むべき本の見当がおおよそつきます。そうやってチェーンのように読み続けました。チェーンスモーカーならぬチェーンリーダーです。
ところがだんだん毎日の帰りが遅くなってきて、たまに書店に立ち寄ってもじっくり棚を眺める体力と気力と時間がなくなってきました。読みたい本はいろいろあっても、どこから手をつけたらいいのかわからなくなりました。そこで、それまで半分バカにしていた新聞の書評に頼ることになったのです。
近頃の新聞には、毎週掲載される権威がましい書評欄のほかに、気軽に読める本を紹介するメージが設けられています。これから述べることは批判というか悪口なので新聞名は伏せますが、何週間か前のある新聞のそのようなページに、ある時代小説が紹介されていたのです。書名まで伏せてしまったら、何のことやらさっぱりわからないでしょうが、お許しください。広報を仕事をしている以上、新聞社にはイイ顔をしておかなくてはなりません。
で、そのページの評者である文芸評論家によりますと、「これまで推薦文を書いた本の書評は控えることにしていたが、はじめてその禁を破る。それほどにこの一巻は素晴らしい」ということです。これ以上の絶賛はありません。数日後にAmazonに発注しようとしたら、なんと品切れです。売れているようです。これなら書評は本物だと思って、ますます読みたくなりました。数週間後にもまだ品切れ。そこで都心の大書店までわざわざ出向いて増刷版を入手しました。
読んでがっかり。プロットの流れに無理があって、半ばあたりではストーリー展開に汲々としているのがミエミエです。登場人物の描き方も平板で、人物像が浮かび上がって来ません。帯に「愛する藤沢周平に捧げた渾身の一巻」とありましたが、天国の藤沢さんもさぞかし迷惑されておられることでしょう。信用できませんな、この文芸評論家。
これまで書評を参考にして失敗したことはあまりなかったのです。書評を読めば、私が関心を持って読める本か、どの程度のレベルの本かなど、おおよそ見当がつくものです。しかし今度ばかりは失敗でした。手放しの絶賛ほど胡散臭いものはないと気づくべきでした。広報の仕事を長くやっているのですから、そのくらいのことはわきまえていなければなりません。欺される私が悪い。しかし、いまいましいなあ、本当に。〈kimi〉

奇跡のリンゴ

2009.03.13

miracle-apple.jpg

知人より「奇跡のリンゴ」を二ついただきました。抽選でやっとの思いで手に入れたリンゴなのだそうです。

皮の色は少し黒ずんだ感じで、お店でみるような鮮やかさはありませんが、見た目には普通のりんごです。とにかく食べてみればわかるとのことで、早速皮ごと食べてみましたが、これがとっても不思議な味がするのです。

 

なんというか、すごく甘いわけでなく、すっぱいわけでもなく、かといって味がないのではありません。とにかく、これ、りんごなの?と思うような、これまで食べたリンゴとはまったく違う味がします。ワインがそのワイナリーの土壌によってチーズやマッシュルームやチョコレートの香りを放つのと同じように、このリンゴは土のよい香りがするのです。

これはプロフェッショナル仕事の流儀でも紹介された、無農薬、無肥料で育てた木村秋則さんのリンゴでした。農薬をたくさん使わなければ害虫や病害で木が枯れてしまうのが当たり前のリンゴを、年の気の遠くなるような試行錯誤の末、無農薬、無肥料で育てることに成功した奇跡のリンゴなのです。

このリンゴとともに、『「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 奇跡のリンゴ』という本も貸していただきました。このリンゴ、絶対にこの本を読んでから食べるべきでした。だって食いしん坊のわれわれは、もうその奇跡のりんごを食べてしまって、お見せする写真もないのですから。

木村さんの農法は早く言えば虫も雑草も含めて自然の生態系を保つというものです。何か一種類の害虫(と人間が言っている)を農薬によって駆除すると他の害虫が増える。そうすると自然の生態系が狂ってくるから、仕方なく違う農薬を使うことになる。そうして、次々に農薬をたくさん使うことになってしまうわけです。また、肥料も与えずに育てると根がぐんぐん張っていって、必要な栄養素を自分で取りに行くようになるのですね。

それにしても、自然って不思議です。私は時々山小屋にいくのですが、毎年発生する虫が違います。ある年はおかまコオロギだったり、ある年はゲジゲジの大軍だったり、カメムシの時もありますし、ミツバチの時もありました。シロアリにはまいりましたが、それも、毎年続くわけではなく、翌年には違う虫になっているので私たちがお邪魔するときだけ、せっせと追い出しますが、特に農薬をばらまいたりはしません。どうせ、翌年には自然に数少なくなって、別の虫の天下になるのですから。 木村さんの農場でも同じような現象がみられるのだそうです。

この奇跡のリンゴ、切っておいても変色せず、そのまま置いておくと腐らずに香りよく小さく縮んでいくのだそうですよ。とてももったいなくて、そんな実験はできませんでしたが、そんな姿のりんごみてみたいものです。

ゴロゴロ考

2009.03.09

日頃持ち歩いているビジネスバッグは、PCを持ち運ぶことを前提にクッションが入っていたり、小物を上手に収められるポケットがついていたりします。ところが、いざPCを持って行く必要が生じると、ついキャスター付きのバッグを持ち出してしまいます。
PC仕様のビジネスバッグは空でもそれなりの重量があります。その上にPCと小物の重量約2kgが加わると、私にはとても重く感じられるんです。
bag1.jpg
キャスターつきのバッグは、ゴロゴロころがしている分には実に楽ちんです。ところが階段ではハンドルを畳んで手に持たざるを得ません。都心には意外に階段が多いんですね。そのたびに車輪とハンドルでより重いバッグを手に持つことになってしまいます。ベビーカーなら親切な人が助けてくれる可能性がありますが、キャスターつきバッグには助っ人は現れません。また、ゴロゴロやっているときも、後を歩いている人にぶつけないように常に注意しなければいけませんし、自動改札を通るときもひっかけないように操作しなければなりません。これが意外に疲れるんです。さあ、どっちが得かよ~く考えてみよう、です。
電車で東京駅に近づくと、だんだんキャスターつきのスーツケースを持つ人が増えてきます。成田空港行きの特急に乗ったら、ほぼ全員がキャスターつきです。海外旅行に必要なあれこれを詰め込んだ重いボストンバッグを手で持つというのは、いまや“あり得ないこと”になってしまったようです。
海外旅行なら迷わずキャスターつき。国内旅行でもメリットは多い。しかし、都心の移動なら、重さと総移動距離のバランスで選択するのが賢い人なんでしょう。
そうは言っても、ゴロゴロの魅力は捨てがたいものがあります。坂の多い町でも自転車に乗る人が少なくないのと同じことなのかもしれませんね。〈kimi〉

切られた!

2009.03.04

kirikabu1.jpg
どういう経緯でこうなっちまったのでしょうか。近くに梅林があるで、この切り株は梅の木かもしれません。東京郊外の某市にて。〈kimi〉

小確幸なひるげ in半蔵門

2009.02.26


まだまだ寒い日もありますが、春を感じるひとときが多いこの頃です。
なんだかうきうきしませんか?
私の義母はこの季節になると、「春は臆病者やから、なかなか来いひん」と言います。粋なフレーズです。
季節は三寒四温を繰り返し、確実に春へと近づいています。
さて、うきうきするのは春の訪れだけではありません。
作家の村上春樹さんは「小さいけれど確かな幸せ」を「小確幸(しょうかっこう)」と名付けていらっしゃいますが、当社のある半蔵門はそんな「小確幸」溢れる町です。
なぜって?
それは、ランチタイムにどこに行こうか考えるのが、すこぶる楽しい町だから、なのです。
この日はみんな出払っており、ひとりの昼食。
行先決定サミットを胃袋としばし開催した結果、『汐風』さんに決定です。
それは麹町大通り沿いにある、お魚がとても美味しいお店。
ひとりでカウンターでご飯を食べながら、短冊紙に書かれた夜のメニューに思いを馳せるのも、これまた、いとおかし。
この店の「汐風定食」は、日替わりのお魚が2種類付く、とってもお得なメニューです。
普段の私はあまり真剣にメニューを吟味せず、席に着くやいなや、ひと思いにこの「汐風定食」を注文してしまいます。
ところが先日、お隣さんが金目鯛の煮付けを召し上がっていらっしゃり、その美味しそうなこと!
よーくメニューを見てると「大サービス! 金目鯛のかぶと煮」と隅っこにちょっこりと書かれており、至極反省。
次回からは、必ずやメニューと真剣対面することを心に誓ったのでした。
前回の反省を思い出し、今回はお店に入る前にメニューを吟味します。
嬉しいことに、金目鯛がメニューに上がっているではありませんか。しめしめ。
この日の「汐風定食」も魅力的なコンビネーションでしたが、かぶと煮を注文することにしました。
shiokaze-3.bmp
日ごろからあまり「かぶと煮」に親しんでいない私は、どこまでが「可食部」なのか手探りでぎこち悪く不格好。まさに気分は川口浩探検隊。ほー、こんなところにもお肉があるんだ、と新たな発見があります。
途中、ふと、魚の頭の中に箸で侵入していくにつれ、人間の頭がい骨で祝杯を上げたとされる織田信長ばりに、「私って歌舞いちゃてるかも」と思いつつも、ちょうど良い甘さの煮汁にふっくらと炊かれた鯛を頬張れば、ご飯がすすむ、すすむ。これまた「小確幸」な昼下がりです。
でもこのメニューは、ひとりではなく、みんなで「おいしいねぇ」と言いながら食べたほうが、より美味であったに違いありません。
次回は是非、食いしん坊の名高きココノッツのメンバーと一緒に来なくては。
 『汐風』
千代田区麹町4-2 北島ビル地下1階
電話:03-3265-6097
http://www.shiokaze.co.jp/
ランチ営業:月~金11:30-14:00(土・日・祭日休)
shiokaze-2.bmp

波打つ硝子

2009.02.24

東大病院へ行くには有名な赤門ではなくて、本富士警察署の横の龍岡門から入るのが便利。病院行きのバスもそこを出入りしています。その龍岡門の前に一軒の古めかしいお煎餅屋さんを見つけました。
私、塩煎餅が大好きです。それもスーパーで売っている袋詰めではなくて、煎餅屋で売っている煎餅が好きなんです。好きが高じて「浅草・谷根千の煎餅」というサイトまでつくったことがあります。このサイトは5年間ほど、ほとんど更新をしていないので、すっかり情報が古くなってしまいました。近々取りつぶすつもりでおります。
そんな煎餅好きですから、店を見つけたら買わずに帰るわけには行きません。いまにもモゲてしまいそうな真鍮のノブを回し、上下でワナワナとたわむガラス戸を開けて店に入りました。奥に声をかけると、「はい」と小さな声が聞こえて老主人が出てきました。
煎餅30枚を包んでもらいながら
「おたくは古いんですか?」
と思わず出てしまった質問に、老主人の答えは、
「そこから斜めに窓硝子をみてくださいよ」
edoarare.jpg
これこそ迷回答にして、類い希なる名回答と言わなくてはなりません。
「ああ、波打ってますね。これは戦前の硝子ですね」と私。
「ここらへんは戦災でみんな焼けちゃったので、戦後間もなくなんですがね」
いまの板ガラスが極めて平滑です。斜めから見ても波打つなんてことはありません。しかし、昔は生産技術が未熟だったので、庶民の家に使うガラスはかすかに波打つのが当たり前だったのです。
老主人は、私の年格好をを見て、「硝子を見ろ」と言ったのでしょうか。硝子を見ただけで、答えがわかる人はある年代以上に限られます。
「あの頃は、硝子ビンにも泡が入っていましたね」と私。
「ほら、ここいらのビンにも泡が入っているでしょう」と老主人。
この店では、小さいあられの類はアルミの蓋のついたビンに入れて売っています。昭和40年代まで、こういう入れ物に飴やお菓子を入れて、量り売りをしているお店が多かったんです。
「この蓋もアルミだとわからない人が多いんですよ」
まさか。でも、そうかもしれないな、と思い直しました。
「江戸あられ 竹仙」というお煎餅屋さんです。これからもずっと商売を続けてほしいものです。〈kimi〉

『一瞬の風になれ』

2009.02.18

ちょっと古い話ですが、昨年の北京オリンピックでは、陸上4継(4×100mリレー)で36歳になる朝原選手率いるチームが、トラック競技として日本男子に初のメダルをもたらしました。選手たちの喜びが爆風となってTVの画面から吹き出してきたあの瞬間を思い出します。
でも、正直いえば、リレーなんて中学校の運動会位しか経験のない私の脳裏にちらっと浮かんでしまったのは、米国など強豪2チームがバトンパスで失敗しなかったら、日本のメダルはなかったのかな〜ということでした。
この銅メダル獲得のニュースが流れたあと、「一瞬の風になれ」という小説が話題になったのをご存知でしょうか。高校陸部の100mスプリントの選手 を主人公にした小説です。最近、この小説を見かけて、ぱらぱらと読み始めたら、これが実に面白い。通勤電車の中はもちろん、乗換えのエスカレータや階段で も目を離せず、危うく階段を転げ落ちるところでした。
高校に入学した主人公が夢をみて、挫折して、淡い恋をして、人間関係に悩にながらも人間的に成長していく様子を心理描写を通して緻密に描いていま す。読んでいると、私までジャージ姿になって、その中に入り込み、一緒に遠征のバスにも乗り込んでしまうのです。 (あの〜ですね、想像するのはやめてくださいませ。)
とにかく、部活に熱中する高校生たちも、コーチもライバルも実に個性豊かで魅力的なのです。そして、なによりこの小説は陸上の100m、4継の何たるかを教えてくれます。
先のオリンピックの話に戻ると、世界の100mスプリントが9.6秒台に突入した今でも、日本に9秒台で走る選手はいないのだそうです。400mト ラックを4人で走る4継は足の早い選手が集まったチームが早いに決まってます。でも早い選手だけをそろえて走れば一位になれるかというとそうではないとこ ろが面白い。アンカーで走った朝原選手は和製カール・ルイスと呼ばれ、カール・ルイス並みのスタートダッシュなので、かつての三走の選手はバトンパスで彼 に追いつけないのではないかと思うほどだったそうです。4人が全速力で走り、尚かつ、つまりもせず、絶妙なタイミングでバトンをつなぐ。お互いを信頼しきっ て、一瞬の迷いもなく、バトンパスを成功させたチームだけがメダルを手にすることができるということです。
やはり、北京オリンピックでの4継の銅メダルは凄かった!あの4継の4人が日の丸を広げ、思い切りいい顔している写真をみて、改めて感動してしまいました。青春時代にタイムスリップしたい方、「一瞬の風になれ(3巻)」をお試しあれ。くれぐれも階段での読書にはお気をつけあそばせ! -araki-
「一瞬の風になれ」(講談社:佐藤多佳子 2006年 全3巻)

この季節

2009.02.13

インフルエンザの季節がようやく過ぎようとしています。と思ったらスギ花粉がもうやって来ました。なんともうとましき季節ではありますが、そのようなこの季節に、私はうるわしき一つの真理を発見したのでした。
毎日、通勤電車の中で、この真理を補強すべき傍証の数々を発見しております。ひょっとすると世界的発見かもしれません。
その真理とは「この季節には美人が増える」というものです。
インフルエンザや花粉症の予防のために、この季節にはマスクをしている人がぐっと増えます。マスクをしていると、目から上だけが衆目に晒されることになります。その眉毛とまつ毛と目との三点セットにおいて、実に美しい方が多いのです。そう思いませんか。
ある日の電車の中で見つけた女性など、名人の筆を思わせる整った眉、ナチュラルな長いまつ毛とくっきりしたアイライン、黒眼がちの憂いに満ちた眼差し。実に美しい。すっかり魅せられてしまいました。彼女が降りる駅までずっとお付き合いしたいと思ったくらいです。こんなことを書くとスケベオヤジそのもののようですが、美しいものは断固美しいのです。もちろんストーカーに間違われそうなことはせず、清く正しく後ろ髪を引かれる思いで、途中下車いたしました。
これは一体どういうことでしょうか。顔を構成している主な構造物には、上からオデコ、眉、まつ毛、目、鼻、口、唇、歯、アゴがありますが、目から上の構造物だけを見せると美人に見える確率が高くなる。ということは、鼻から下の構造物を晒すと「それなり」になりがち、ということにもなります。
ここでフェミニストやセクハラ撲滅運動に従事しておられるみなさまに、一言エクスキューズして置く必要がありそうです。私は決して誰が美人で、誰が「それなり」といった特定の方のことを申し上げているのではございません。あくまでも真理の追求が目的であります。
話を戻します。
美人か「それなり」かという人生を左右する大問題については、オデコ、眉、まつ毛、目よりも、鼻、口、歯、アゴにより大きな責任がある、ということになります。
なぜそうなるのか? 一つの仮説は、目から上の構造物は動きが少ないということです。それに比して、鼻から下の構造物は可動性が高い。動くとボロを出しやすいのかもしれません。
もう一つの仮説は、上に比べて下の方が可塑性が高いというものです。つまり、いろんな形が可能になるということです。いろんな形がつくれると、それだけ失敗確率が高くなると考えられます。
例えば歯です。出っ歯、受け口、乱ぐい、虫喰い、変色などなど、形がさまざまで、それが上がったり下がったり、むき出しになったり、隠れたり。ここに唇という可動性と可塑性にとくに優れた構造物がからむのですから、これらを用いて美を表現するのは極めて困難になります。
そこへ行くと目は、多少の大小、上がり下がり、一重二重等々はあるものの、大きく形態が変わることは少ないと言えるでしょう。動きと言えば、開けるか閉めるかしかありません。これは失敗のリスクが少ない。
と、こんなロジックをもって、マスクの季節には美人が増える、という真理の追求をしてみました。
もちろん例外も少なくありません。また、この真理は男性にはまったく当てはまらないようです。その理由はいまのところ定かではありません。〈kimi〉

ビミョー

2009.02.09

「ビミョー」と若い世代の方がおっしゃるのは非常にビミョーでありまして、「微妙」の本来の意味からは微妙にずれているようでもあります
広辞苑第六版によれば、「微妙」は「(1)美しさや味わいが何ともいえずすぐれているさま。みょう。(2)細かい所に複雑な意味や味が含まれていて、何とも言い表しようのないさま。こうと断定できないさま」。
ビミョー」はもっぱら(2)の「こうと断定できないさま」に近い意味で使われているみたいです

kabenuri1.jpg

さてこの写真。
モルタルは長年風雨にさらされると、あちこちにヒビ割れが入ってきます。そこから水が浸入すると建物を腐らせる恐れがあります。早めに補修しておくに越したことはありません。とは言っても、全面的に塗り直すとなると手間も費用もかかります。そこでヒビの部分にだけに上塗りをするということになる。いずれ全面的に塗り直すとして、当面はこれで建物への影響を防止できる。その間の見てくれは我慢しようと、ま、そんなところだろうと、この壁を見て考えました。
さて、この壁をもう少し引いた場所から撮ったのが下の写真です。
kabenuri2.jpg
この位置から見ると意匠、つまりデザインの臭いがしないでもない。このマダラ模様を黒くすると、Gatewayというパソコンメーカーのパッケージに似ています。明らかに人為的なものを感じますが、デザインのように見せかけた上塗りであるという線も捨てがたい。実にビミョーなのであります。〈kimi〉

印象の良し悪しを決める要因って

2009.02.06

今朝は千代田線の遅れにより、いつもと違うルートで出社をしました。
車内からは、日差しの降り注ぐ美しいお天気に見えたのですが、四谷の駅に降り立ってみると、ズラが飛びそうなほどの強風が吹き荒れています。
そんな中、麹町大通りを歩いていると、こんな看板が目に飛び込んできました。
「クオール薬局」
090206_0916011.jpg
この看板を見るやいなや、私は切なくて愛おしい気持ちに圧倒されそうになりました。
なぜだ?なぜなのだ?
薬局の看板を見てこんなヘンな気持ちになるなんておかしいぞ。
ちょっと深呼吸して、突如として現れたこの感情を分析してみました。
そうです。ビンゴ。
カンの良い人ならもうお気づきでしょう。
その名称はある人(というか動物ですね)と一文字違い。それは:
盲導犬「クイール」でした。
盲導犬は本当に偉い。主に仕えることを喜びとし、何の邪念もなく、真摯に自分の役割に取り組んでいます。
私は「クオール」という薬局を見て、なぜかきわめて関連性の薄い「盲導犬」である「クイール」を思い出し、胸ぐらをわしづかみにされるような気持ちになっていたのです。はい、私は疑いようのない妄想オタクであります。
何の良いイメージを連想する広告もCMも観ていないのに、数秒で入ったこともない場所を、自分にとって既知の良い印象を持つものに結びつけた結果、親しみを感じるとはちょっと凄いことです。
その名称とロゴを見ただけで、瞬時に、私の頭の中にはこのようなマッピングができたのでしょう。
・クオール薬局→盲導犬クイール→黒々とした潤んだ瞳の働き者で誠実な薬剤師さんがいるに違いない→よい薬局
調べてみると、クオールとは’Quality of Life’からきているようで、よく見るとロゴに下にもその文言が配置されています。
会社の設立は平成4年とのことですから、「盲導犬クイールの一生」の本が話題になるよりも前に設立されている会社でした。
「やられた!相手方の意図にまんまとはまった!」と思った私は、「この薬局は私のような多数の人の良い印象を連想する名前を採用したのでは?!」と直感的に思ったものの、そんなことはなかったのですね。仮にそうだったとしても、こんな「ワイルドな」連想をするのは、私だけなのかも知れません。
自分の勝手な思い込みによる連想でしたが、人々がもつ良い印象や悪い印象は、以外にも何の根拠もなく、いい加減な形で形成され、一人歩きしていくこともあるのだなぁと考えさせられた出来事でした。
みなさん、素敵な週末を。〈Banana〉

みごと合格!

2009.01.29

「今年の漢字」を毎年発表している日本漢字能力検定協会が、公益法人のくせに儲けすぎだと叱られています。私の漢字能力も怪しいものですが、検定試験を受けてみようなどとは考えたこともありません。試験に落っこちたら面目ないし。というわけで、京都検定だとか常識検定だとか、その類には一切目もくれずにこれまで来ました。
ところが、なんの拍子か「茶道文化検定」なるものを受けてしまったのです。カミさんがお茶の先生から聞き込んで来たのですが、今回が初めての試験で、1級2級は来年から。初年度は3級4級の試験のみで、薄いテキストの中からしか出題しないというのです。
最初はやさしい、というのが検定界(というものがあるのかどうか知りませんが)の常識です。テキストを見てすぐにあきらめた日本アナリスト協会の検定も最初はやさしかったというウワサです。受けるなら今がチャンス。
私、恥ずかしながら、茶席というものに連なったことが一度もありません。いつか茶道を習ってみたいとは思いながらも、はい、そこでは手をこうやって、はい、そこで床の間の花を愛でましょう、つぎに茶碗を鑑賞します・・・等々、箸の上げ下ろしからお尻の拭き方まで指示されるのはかなわんなあと、どうにも気持が前に進みません。その上、なんだかんだと先生にお礼を包まなければならないのもちょっとコワイ。
そういう次第ではありますが、そのテキストについていた練習問題を試しにやってみたら、大学入試で日本史を選択しただけあって、かなりできる。がぜん挑戦意欲が湧いてしまったのでした。
テキストを3回さらりと読んで11月末の試験に臨みました。お茶は何科の植物か。てっきりバラ科と思いましたが、ツバキ科が正解らしい。これって、テキストに書いてないんですよ。ズルイ!
昨日、ついに結果の通知がまいりました。見事3級に合格です。91点で9問間違えました。カミさんは98点。ちょっと悔しいが、合格は合格です。さあ、お茶の文化ならなんでも聞いてくださいの心境です。
茶文化検定
ちなみに受験者数6,377名、合格者数6,303名。合格率98.8%だって。な~んだ、みんな受かってるじゃないの。原付免許よりやさしい。
来年の1級試験を受けるかどうかは、まだ決めておりません。こうやって主催者の資金集めに協力するのもどうかと思うし・・・。〈kimi〉

眠らせない

2009.01.26

一昨日、土曜日の夕刻に学生時代の友人たちがココノッツのオフィスに集合しました。近くのレストランで遅めの新年会をやろうという目論見です。
集まった旧友の一人に某大学で演劇を教えている男がいます。大学教授としてより、前衛演劇団の主宰者として、その世界ではちょっと名を知られている存在です。長いつき合いなので、公演のたびにご案内をいただきます。初めはクラスメート総見といった塩梅で揃って観劇に出かけたものですが、やがて一人減り二人減り、ついに誰も行かなくなってしまいました。
暗い照明、聞き取れない台詞、怪しげなうなり声、そして筋のわからないまま終わってしまう舞台進行(一種の不条理劇なので当然と言えば当然なのですが)。折りたたみ椅子の小劇場で2時間あまりの芝居を見通すのは、普通の人間には眠い以上に苦痛でもあります
「オマエの芝居は眠いからなあ」などと、率直すぎる感想をぶつけられるのも学生時代の友人なればこそですが、「オレの演劇はエンターテイメントではない」とうそぶいて平然としています。
そんな眠い前衛劇にも熱心なファンがついていて、ときどき大新聞劇評にも取り上げられるから不思議です。人間の多様性とは、実に偉大なのです。
さて、前衛劇での居眠りには寛容な私ではありますが、広報セミナーなどではそうは行きません。受講者に居眠りをされると、講師としても私の立場がなくなります。そこで数年前から、私は一つの目標を設定することにしました。一人も寝かさないで2時間の講義を終える、というのがその目標です。
まず声です。小さい声、聞き取りにくい声では眠くなるのは当然です。私は地声が大きいので、その点は問題ありません。ただ、ときどき語がはっきりしないときがあるようです。受講者のアンケートで鋭く指摘されてしまいましたが、これは眠気とは関連がありません。
平板な話し方をしないことも大切です。声を大きくしたり小さくしたり意識的にしています。ある方から教わった方法は、ときどき黙る、というものでした。静かな時間が続くとぐっすり眠れそうですが、その説によれば、周囲の異変を感知して目を覚ますのだそうです。これはまだ試したことがありません。適度な間を置くと話にメリハリが出て、眠くなりにくいのは確かです。
抽象的な解説の連続も眠気を呼びます。私は会場を見渡して、居眠りをし始めそうな人がちらほら見えたら、実例や失敗談を話すことにしています。これはとても効果的です。
受講者のモチベーションももちろん影響します。学校の教師なら有無を言わさず講義すればよいのでしょうが(だから登校拒否が増えるんだ)、セミナーの講師はそうも行きません。聞き手の興味や問題意識とかけ離れた話をしていては、居眠りされても文句は言えないのです。「はずさない」ということが眠気を呼ばない最大のポイントなのです。
実は、前衛劇で眠ってしまう原因もまさにここにあります。一般にこれを「ひとりよがり」と呼ぶのですが、こればかりはとても友人には言えません。ゲイジュツとはひとりよがりなものですし。〈kimi〉

早くて早いか、遅くて遅いか

2009.01.22

robai11.jpg
たまには内輪話をしちゃいましょう。
わがココノッツは、広報畑の人間とジャーナリストがコラボレートしているのが一つの売りであります。結論から言えば、これは実に面白い。外から見えているジャーナリズムの姿とその内側とはずいぶん違うものだなあ、と広報畑の私などは、日々元朝日新聞編集委員たる田辺の話を聞くのが楽しくてしかたがありません。
と同時に、一般の企業で働いていた私などと、新聞社という特殊な企業で記者として働いていた田辺とは、労働観と言えば大袈裟ですが、働き方がずいぶん違う。
広報をやっている人なら常識ではありますが、朝刊の締めきりは深夜です。記者は出稿した原稿が活字になるのを確認してから帰宅します。毎日帰りが遅くて大変だなあ、などと同情する必要はありません。その分、朝が遅いのです。
10数年前のことですが、部下の女性にある新聞記者を紹介したことがあります。二人とも少々個性的で、婚期を逸しそうな按配でしたが、なんとなく相性がよさそうに感じられたのです。何回かデートを重ね、これはうまく行きそうだと思っていた矢先に突然破談となりました。理由は、女性の方の両親が「新聞記者は時間が不規則だ」という理由で反対したからでした。
そういうことで、わがココノッツも広報畑の人間は早めの出社で帰宅が比較的早く、ジャーナリスト畑は出社が遅く帰宅も遅い、ということになっております。これは生活習慣となって身についてしまったことなので、お互いもう変えようがなさそうです。だからと言って、当分破談にはなりそうもありませんが。
寒いですね。写真はロウバイです。狼狽ではなくて蝋梅です。〈kimi〉

医療機器市民フォーラム

2009.01.18

昨日17日、「第4回医療機器市民フォーラム」が東京・有楽町の讀賣ホールで開かれました。昨年の第3回までの責任者をしていた関係で、主催者からご招待をいただいたので行ってきました。
これまでの3回は同じ有楽町の朝日ホールでしたが、それより大きい讀賣ホールを埋め尽くす来場者で、それだけでもこの種のイベントとしては大成功だったと言えるでしょう。また、講演やパネルディスカッションの内容も充実していました。関係者のみなさんのご努力に敬意を表したいと思います。
「医療機器」と言っても一般の人にはちっともピンと来ない、というのが医療機器業界の中でいつも出てくるグチの一つです。先日もある会議で、行政の方が「手術で麻酔がかかっているうちにいろいろな医療機器が使われるが、麻酔から覚めるともう目の前にはないから、一般の人が医療機器を知る機会が少ない」という趣旨のお話をされていました。ちょっと待ってよ、それって私が一昨年に業界団体の機関誌に書いたことじゃん、とも思ったのですが、自分の書いたことが知らず知らずに行政に影響を及ぼしているんだ、と信じて素直に喜びぶことにしました。その通り、多くの医療機器は病院の患者さんの目につかないところで使われていて、一般の人には馴染みが薄いのです。
「医療機器」という言葉は、2006年に成立した改正薬事法で初めて法的に認知された用語で、まだ新しく、それだけに生硬な感じもします。それ以前は医療用具とか医療材料とか医療器具とか医用機器とか、いろいろな呼び名で呼ばれていたわけですね。
それに比べて、「薬」というのはごく一般的な名詞だし、「医薬品」も昔から馴染みのある言葉。とても「医療機器」が太刀打ちできるものではありません。
また、医療用の医薬品は17,500であるのに対し、医療機器は300,0000あると言われています。数が多くて、ピンセットからMRIまで種類もいろいろ。とても一括りにはしにくい。こんなところが医療機器業界のあせりのようなものにつながってくるのでしょう。
なんとかして医療機器の社会的認知を向上させたい、そんな業界の思いから始まった「医療機器市民フォーラム」。たしかに費用もそれなりにかかるのではありますが、業界内でのマスターベーションに終わらせることなく、さらに大きく発展して行ってほしいと祈りながら会場を後にしたのでありました。〈kimi〉

さらさら読みたい

2009.01.14

このところ、広告の世界で名の知られたある方のご著書を読んでいました。長く広告関係の団体の要職にも就かれていた先達で、私にとっても広告のイロハを教えていただいた恩人の一人でもあります。それだけに、いまの広告界への警鐘とも言える提言の多くが「そうだそうだ」と共感できるものでありました。
そのように実にすばらしい内容ではあるのですが、読む通すのには少々手こずってしまいました。
著者はコピーライターのご出身。もとより文章は下手ではありません。ハッとさせられる言葉遣いの数々にご経歴の片鱗が見られ、感心することしきりでありました。しかし、読み進むうちに、そのきらめく言葉遣いに少しずつ疲労感を覚えてしまったのでした。その卓抜な言い回しにいちいち思考が引っかかってしまって、すんなり読めないのです。
コピーライターはキャッチフレーズが勝負。アトラクティブな言葉の選択に頭を絞ります。それを受けてボディコピーでは、伝えるべき要素を短く的確に完結させなければなりません。それがコピーの作法です。しかし、そのように書かれた文章を一冊の書籍として連続で読むとなると、これがつらい。次から次に小さな山がやってきて、それを登り下りしているうちに体力を消耗してしまうと言えばわかっていただけるでしょうか。
ステーキに天ぷら、すきやきに鮟鱇鍋、さらには”比内鶏むね肉のソテーのピューレと森のきのこ 粒マスタードソース”、その次には”仔羊のロースト フヌイユフォンダン添え”、またその次には”平目のロースト 魚介とアーティーチョーク ソースピストゥ”などなど。このようなコッテリとした豪華料理を毎日食べ続ければ、さすがに食傷するというもの。やはり、真鰺の開きに豆腐の味噌汁、納豆にご飯の朝食で、昼はせいぜいおごって鴨南蛮、夜はぶりの照り焼きに風呂吹き大根、少々のサラダになめこ汁、お茶漬けさらさらなんて食事の方が長続きはするというもの。同様に、さらさらと最後まで読み通せる一冊には、コピーライティングとは異なる書籍の文章の作法が存在するようです。
短編小説と長編小説の技法はまったく異なるのだそうです。短距離ランナーとマラソンランナーの違いのようなものかもしれません。文章のうまい下手とはまた別の問題なのでしょうね、きっと。〈kimi〉

めでたい繋がり

2009.01.06

有楽町駅の一番新橋寄りの改札をでて、パチンコ屋さんの間の不思議な道を通ってマリオンを抜け、数寄屋橋に出て四丁目の交差点に向かうというのが私の銀座へ出るルートです。子どものころ、ここは大人の世界への入り口でした。新聞が刷り上がる様子をのぞき見ながら、インクの匂いのするビルの横を通り、色とりどりのポスターの貼ってある日劇を見ると心がうきうきしました。
最近は、交通会館前のごちゃごちゃと賑やかだったあたりはモダンなショッピング街に生まれ変わり、街路樹にはピンクのイルミネーション。なんだかスッキリしちゃって、六本木だか、赤坂だか、銀座だか分からないかも。 あの数寄屋橋にでるルートが好きなのは、まだ昔の面影がどこかに見つけられるような気がするからなのかもしれませんね。
                                      cimg0633.JPG 
12月にちょっと銀座に行く用事があり、いつものように改札をでると、ガード下の宝くじボックスが目に止まりました。そういえば、年末ジャンボ宝くじを売っていたし、こんな午前中の閑散とした時間なら空いているのではと思い、数寄屋橋の宝くじ売り場1番窓口へ足取り軽くいってみました。・・・が、甘かったですね。「一番窓口最後尾」の案内をもったガードの人の向こうに長蛇の列が見えます。
なるほど、やはりだめですか。 じゃあ、仕方ない。 でも、2番窓口で買うよりは、、、ガード下のおばちゃまから買った方が楽しいでしょう と、もと来た道を引き返して、「当たりますように!」と念を掛けていただいた宝くじをバラで10枚いただきました。
宝くじなんて買ったのは、人生三度目位かもしれません。
そして、お正月。 『宝くじを買うなら、バラがいいわよ。連番だと、一目で外れたのがわかっちゃうから』、、、友人からのありがた〜い教えどおり、バラで買って良かったです~。一枚一枚、楽しく調べると、あ、ありました。一万円の当たりくじに2番ちがい!おっしい〜。
でもでも、本当に、当たりが! しかも、一枚で二度美味しい!ダブル当たりの78! 下一桁の8が300円。そして78番は3000円。ほんのちょこっとめでたい気分。それでいて、運を使い果たしてない感じのところが、ほどよいめでたさです。
今年も良い年になりそうな気分のお正月でした。
本年もよろしくお願い申し上げます。<araki>     

めでたしめでたし

2009.01.04

nenga11.jpg
年末から年始にかけて、いくつかの寺社にお詣りをしてきました。
信仰はしていないのですが、いつの頃からか信心はするようになりました。信仰と信心とどこが違うんだ、と言われても説明できかねます。ただ、神社仏閣から聖堂教会に至るまで、御利益のありそうなところでは、必ずしっかりお祈りをしてくることにしております。ときどきはおみくじも引いてみます。
で、年末に行った太秦の広隆寺のおみくじは、なんと「凶」。やばいよ、これは。さっそく利き手と反対の左手でそのおみくじを針金に結んで来ました。そうすると吉に転じると、暮のテレビでどこかの教授が言っていました。
元旦に初詣に行った浅草寺でも試みました。ここには「凶」がたくさん入っていることが経験上わかっています。何年か前、ここで「凶」が出た年は碌なことがありませんでした。緊張して引いてみたら、今年は「半吉」。縁談も成就できないし、待ち人も来ないそうで、半吉なのにちっともよいことが書いてありません。これも急いで左手で結んで来ましたが、今年の運勢に暗雲が垂れ込めているようで、どうにも面白くありません。
もう一度チャレンジすることにしました。オフィス近くの平河天満宮。今度は「小吉」。なかなか「大吉」に巡り会いませんが、おみくじで一番よいのは「小吉」であると、どこかで読んだことがあるので、これにて満足することにしました。凶、半吉、小吉と、ご神託もだんだんよくなって、今年はきっとよい年になる、というような心持ちになってきました。めでたしめでたし。〈kimi〉

あけましておめでとうございます

2009.01.01

p1000310_b.jpg

謹賀新年

本年もよろしくお願い申し上げます  

株式会社ココノッツ

来年の課題

2008.12.31

大晦日になりました。
早起きというほどでもありませんが、今朝は7時半に起きて昼過ぎまでずっとテレビを見ておりました。
いや、つまらないですねえ。再放送と企画を無理矢理ひねり出したとしか思えない安手の特番ばっかり。
テレビプロを見ても、夕方までそのような番組がずらりと並んでいます。NHKだって紅白の番宣ばかりです。これではとても数字は稼げません。テレビの媒体価値はどんどん下がるばかりです。
魅力的なコンテンツをつくるにはお金がかかる。タレントの出演料や装置、ロケ代などにもお金はかかるでしょうが、一番お金がかかるのは「クリエイティブな才能を集めること」でしょう。ところがその裏腹で、才能には数に限りがある。
80年代から90年代にかけて、日本の小説がつまらなくなったのは、コミックに才能が奪われたからだ、と言われました。そのコミックに陰りが見えて、才能は再び小説に向かいつつあるようです。
2月にはまた日本の広告費の統計が発表されると思いますが、昨年の統計でも、ここ数年、広告費がネットに流れているのは明らかです。金の流れに対応して、才能もまたそちらに流れているのでしょう。それでもテレビは番組を流さなければなりません。やっつけ番組で埋めるしか方法がない。それが視聴率を低下させ、視聴の質を落とす。スポンサーはテレビに広告費を回さず、さらに番組の質が落ち、媒体価値を下げるという悪循環です。
テレビとは異なる要因もありますが、新聞もまた悪戦苦闘しています。
これらの媒体価値の変動に敏感なのは当然のことながら広告界です。鈍感なのは広報界(こんな単語はあまり聞きませんが)です。
私たち広報を仕事にしている人間は、新聞、雑誌、テレビなどの媒体がアプリオリに存在しているという前提で仕事をしています。それがいまや根底からくつがえろうとしています。ところが、それに目を向ける広報人(という単語もあまり聞きません)はほとんどいないようです。
いまの経済状況は、媒体(報道機関)のパラダイムシフトをさらに加速させるでしょう。広報の手法そのものを再検討しなければならない時が来たようです。それをCocoKnotsの来年の課題にしたいと思います。
それでは、皆様また来年。〈kimi〉

よい新年をお迎えください

2008.12.22

CocoKnotsを6月に創業して、初めての年末を迎えました
とてつもない経済危機の中にありながら、お陰様で無事に年を越すことができそうです。ご挨拶を大晦日のブログに書こうと考えておりましたが、それでは年内にお読みいただくことができません。中途半端な本日ではございますが、年末に当たって、これまでご支援ご協力をいただきました皆様へ厚くお礼を申し上げます。また、このブログをお読みいただいている皆様にもお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
この半年間、私たちCocoKnotsは試行錯誤の連続でした。あまりにも生々しいので、その中味は控えさせていただきますが、びっくりしたり驚いたり(同じかな?)、ぬか喜びしたりがっかりしたり(情けない!)したことがたくさんありました。しかし、そのどれもがエキサイティングでした。とても楽しめました。
来年はさらにエキサイティングな仕事ができるといいなあと思っております。皆様の一層のご支援をお願い申し上げます。
今年もまだ10日近くを残しています。もう何回かブログも書きますし、浄しこの夜もこれからですが、一先ず年末のご挨拶とさせていただきます。よい新年をお迎えください。

企業の側からIRを

2008.12.14

先月の終わりから今月の初めにかけての3週間にレクチャーが6回。テーマはパブリックリレーションズ、IR、社内広報といろいろで、さらに「BtoB企業のブランディングにおける広報」という一ひねりしたお題も頂戴したので、頭の中がタコ足配線のようになってしまいました。
「広報概論」とか「広報マネジメント」といったテーマでは、過去に何回もレクチャーしていますから、前回と同じパワーポイントを使って無難にまとめることもできないではありませんが、それではどうも気合いが入りません。受講者のみなさまにも失礼でしょう。かと言って同じテーマで全く異なった内容というわけにも行きません。このあたりがなんとも悩ましい。そこで一つでも二つでも、新しい試みやコンテンンツを組み込もうと頭を絞ることになります。
一山越えて、この週末は少しのんびりしましたが、来年の2月には、まる1日をいただいて、IRの初歩の初歩からお話をしようというセミナーが控えています。
これまでいろいろと開催されてきたIRのセミナーには一つの特徴があります。それは市場の側の人たちが講師として、事業会社(発行体)側のIR担当者を教えるというパターンが多いということです。
企業の人間は金融マーケットを知りません。だから市場の側の人の話を聞いて勉強する。それは間違っているわけではありません。しかし、アナリストや投資銀行(今回の経済危機でその存在が危ぶまれていますが)のスペシャリストやファンドマネージャーや公認会計士や証券ジャーナリストといった市場側の人たちは、企業の内部でどのようにIRが「つくられているか」を知りません。彼らが日常使い慣れている金融・証券用語は、一般企業では一部の社員を除いてほとんど使われることがありません。初めてIRを担当する方が、そのような特殊な世界に身を置く講師の話を聞いても十分に理解できるはずがありません。
そんなことで私に講師の白羽の矢が立ったようです。企業のIR担当者が事例や体験を発表することはありましたが、企業の側に立ってIRの基本から教えるというのは、あまり例のないことでしょう。挑戦し甲斐があるとも言えます。
というわけで、せっかくのんびりしたのもつかの間、これからしばらく頭の中をIR一本にして、もう一度自分自身の中にIRを基礎から積み上げ直すつもりです。

涼しい顔で

2008.12.05

CocoKnotsのオフィスの近くにあるうどん屋さん。讃岐風でなかなかおいしい。私の好みでもあります。しかし、あまり行きません。そのわけは店を仕切っている女性にあります。
繁盛店なので昼時は次から次にお客さんが入ってきます。一人客、二人連れ、グループといろいろ。それをカウンターと二階へ、空席を確認しながら適宜振り分けて行きます。注文を調理場に通します。お勘定もします。ときには調理場に入って自ら調理もします。とても忙しいのです。エライ。大したものです。それは大いに認めます。
しかし彼女、忙しすぎていつもフーフーハーハー言っています。より正確に言えば「フーフー」も「ハーハー」も言ってはいないのですが、そのような彼女の「気」が客の方に伝わってくるのです。それが私の居心地を悪くします。
友人に年季の入った落語好きがいます。彼は金髪の豚野郎こと春風亭小朝をあまり評価しません。噺のうまさは認めながらも、高座でいつも汗だくになっているのはよろしくない、と言います。噺に熱が入るのは結構だが、それを客に覚られるようでは芸が未熟だと言うのです。
一生懸命に取り組んでいる仕事に関しては、結果よりその懸命さを認めてもらおうという気持が無意識のうちに働いてしまうことがあります。これではプロフェショナルとは言えません。涼しい顔をして成果を出す。これこそ美学ですね。

Wow and Zen

2008.11.27

三連休を利用して、イギリスから来ている友人夫妻と直島に行ってきました。
数年前にテレビで「瀬戸内海に浮かぶアートの島」として紹介されていたのですが、番組の中でレポーターが外国人旅行客に『日本で行きたいところは何処ですか?』とインタビューすると、京都や秋葉原の他に全員が「ナオシマ」というのです。これはさすがに番組の編集に違いないとは思うのですが。これがまんざら嘘でもないようです。
日本人と違い、欧米の人たちは長期の休暇や旅行の計画を数年越しで立てます。私のイギリス人の友人夫妻も3年前から日本旅行の計画を立てていました。ちょうど2年前の今頃、テレビで見た海に浮かぶ黄色いカボチャの存在感と安藤忠雄設計の美術館の美しさに圧倒され、イギリス人の友人に一緒に行くことを提案すると、私のメールが届いた直後に地元の新聞に直島の特集が掲載されていたというのです。そのタイトルが「Wow and Zen」。粋なもじりです。

 wow-and-zen250.jpg
 海外でこれだけ紹介されている直島ですが、国内では意外と知られていません。今回の旅行の為にホテルを予約しようと近くのJTBにいきましたが、スタッフはどなたも直島のこともベネッセハウスのことも知りませんでした。しかも岡山、倉敷辺りのパンフレットにも直島のことがでてきません。これはベネッセの戦略なのでしょうか。
私たちは4年前に建てられたというベネッセハウスのパーク棟に泊まりました。もちろん安藤忠雄の設計によるものですが、空間を活かしたデザインはさすがです。機能性にすぐれた客室は随所に見せる工夫、隠す工夫が凝らされていますし、客室、カフェテリア、レストランの何処にいても、景色の延長上に自分がいるように設計されています。 普通、素晴らしい景色も限られた方向に見たときだけであったり、綺麗な建物でも、ちょっと目を横にやると残念!と思うこともあるものですが、レストランに移動する渡り廊下であっても、光と陰を巧みにつかった非日常の空間が外に広がる瀬戸内海の景観にとけ込むように設計されているのです。
レストランの席にすわりガラス越しに外を眺めると、ベランダから海まで自分の席から繋がっていることに驚かされます。しかも、座った位置から眺めると、バルコニーの手すりはその先のバルコニーと海の境に細い線を引くように走っています。
美味しいワインをいただきながら、そこに存在する空気感にしばし酔いしれました。  

電報の存在価値

2008.11.24

久しぶりに電報を打ちました。自分で打ったのは何年ぶりでしょうか。電電公社に電話をかけた記憶がありますから、70年代のことだったかもしれません。その後、勤め先では、近くにいるスタッフに「ちょっと祝電打っておいて」などととズボラを決め込んでいたのです。
さて、改めて自分で打つとなると、どうやって打ったらよいのか。インターネットで調べたら、NTTのサイトから直接打てることがわかりました。D-MAILというんだそうです。これって、なんか変です。ネットでつながっている先ならメールで十分じゃないのかなあ。なんでネットからわざわざ電報を打たなくちゃならないんだ?と頭の隅で自問しながら、D-MAILにアクセスしました。
私が打とうとしていたのは祝電です。今回も初めは手紙で祝意を伝えようと考えたのですが、これが実に難しい。心を込めた言葉を書こうとするとさらに難しい。とくに相手が親しい友人ではなく、目上の方だったり、半分義理だったりすると、これはもう紋切り型の祝辞しか頭に浮かびません。しかし、かつてはコピーライターを名乗っていた人間です。紋切り型で済ますのは少々名誉にかかわります。これはメールにおいても同様です。
ところが、電報では例文と言うものが用意されています。ネットが発達する以前からあったと思いますが、これがとても便利なのです。電報なら、この例文を利用して堂々と紋切り型を使っても世の中は許してくださるのです(と信じております)。また、電報では、心を込めれば込めるほど料金が高くなりますから、長文電報は相手に無用な恐縮をされてしまう恐れがある。それではかえって失礼です(ずいぶん身勝手な論理ではありますが)。しかも、電文は伝統的に省略の美を尊びます。「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」を理想としております。 べたべたした「心のこもった文章」を練り上げないで済むというのは、電報の最大の美点ではないでしょうか。故に名誉が傷つくこともありません。
さて、D-MAILのサイトで作業開始です。指示に従ってあれこれ選択をして行けばよいのですが、最初が台紙の選択でした。画面に現れたのは全部花をあしらった豪華なもの。どれがよいやら判断がつかず、とりあえず一番初め置かれている「パールアイボリーの額の中に赤やピンクのバラとアジサイ等を敷き詰めたプリザーブドフラワー(一部造花)です。置いて飾る他、壁掛けとしてもご利用頂けます。」という台紙をクリック。それから電文の入力へと進みました。
そのとき、何か心をよぎる不穏なものを感じました。こういうときは早まっては行けません。思い直して台紙選択の画面に戻りました。そして気がつきました。一番最初に掲げられているのは一番高い台紙であることに。なんと20,000円です。アブないアブない。
よく見れば一番最後に目立たないように0円の普通の台紙も掲載されていたのですが、そのときは気がつかず、3,000円の多少しゃれた台紙に変更して事なきを得ました。
以前、電報の廃止が議論されたことがありました。どういう理由で生き残ったのか忘れてしまいましたが、電報には上記の「紋切り型が通用する」という美点のほかに、受け取った方に「わざわざ電報を」というワザワザ感を喚起させるという美点もあります。義理の世界では電報はいまだに存在価値があることを再認識いたしました。サイトから電報を打つというおかしな行為にも一定の意味があるんですね。
しかし、NTTの策略にひっかかって20,000円の台紙で発信してしまった人も多いんじゃないかなあ。

さも

2008.11.20

麻生首相の漢字を読む能力が話題になっています。「未曾有」を「みぞうゆう」、「頻繁」を「はんざつ」、「有無」を「ゆうむ」、「完遂」を「かんつい」等々。
これほど実例が出てくると教養を疑われても反論しにくいでしょうが、誰でも間違って覚えている言葉の一つや二つはあるものです。
私の場合です。
「最も」を「もっとも」と読まずに「さも」と読んでおりました。最も早い」は「さもはやい」、「最も小さい」は「さもちいさい」です。「最」という漢字の音が「サイ」であることに影響されたのかもしれません。それで通っていたのだから不思議です。おっと、これは高校1年までの話で、いまはちゃんと修正されておりますのでご安心ください。
間違いに気づいたきっかけは英語の授業でした。最大級の単語が使われているセンテンスの和訳を命ぜられて「さも」と訳してしまいした。「『さも』とはなんですか?」と怪訝な顔で質問した英語教師のメガネ越しの目をいまも覚えています。しかし私は「さも」と読むものだと信じ込んでいましたから、その指摘をとっさに理解することが出来ませんでした。
社会人になっても誤読していたのが「施錠」です。すいません、「せんじょう」と読んでおりました。これは「施」と「旋」の読み違いです。これも誤解のないように申し上げておけば、すでに完治いたしております。が、間違いに気ついたのは40歳を過ぎてからでした。
首相の読み違いに同情はいたしませんが、さりとて青筋立てて批判する気持にもなれないのは、きっとこのような私の過去によるものでしょう。

認識における環境の影響について

2008.11.15

先日、都内某所にてトイレに駆け込みました。ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのが奥の棚に積まれた予備のトイレットペーパーです。筆文字で大きく一字「褌」。
fundoshi.jpg
さて用を足し、落ち着いてよくよく見れば、これは「褌」ではなく「輝」ではありませんか。
トイレだから「褌」と思ったのは大勘違い。人間って、やはり環境に支配されるものなんですねえ。
しかし、なんでトイレットペーパーが「輝」なんだろう。負け惜しみとともに釈然としない思いで、トイレを後にした私でありました。

接近遭遇

2008.11.13

世の中には自分とそっくりな人が三人いるといわれます。
私がその一人に初めて遭遇したのはまだ学生時代、テニスの夏合宿のことでした。
中軽井沢にある大きな民宿は大勢の学生でにぎわっています。合宿も終わりに近いある日の夕食後のこと。電話をするという友人に付き合って、私は廊下の公衆電話の横に座っていました。すると、見知らぬ男子学生が通りがかりに、「なんでこんなところに座ってるんだよ。いかないのか?」と話しかけてきました。
「・・・??」
周りを見回しても背中を向けて電話をしている友人しかおらず、どうも私に話しかけているらしいのです。なんて答えてよいか分からず座ったままでいると、「早く来いよ」と言って、行ってしまいました。
すると今度は二人連れの学生が通りかかり、「あれ、おい、なにやってんだよ~。早く行こうぜ。花火はじまるぞ~。」と私の腕をぐいぐい引っ張ります。
(えっ、えっえ~・・・!ち、ちがう)と思っても、あまりのでき事に声もでません。やっとのことで腕を振り解くと、「な、なんだよ~。早く来いよ~。さき行ってるぞ~。」とちょっと不満げな顔をしながら立ち去りました。
この間、三人が至近距離にも関わらず、完璧に私を彼らの友人と間違えていたということです。
残念ながら、その合宿中、そこに居たはずの”私と瓜二つの誰か”とはついに出会うことはありませんでした。
それから二年後、ジャージ姿で自宅近くの駅前を自転車で通りかかったときのことです。前方から小学5~6年生の生徒6,7人が歩いてきます。その中の一人が突然「あ、〇〇先生だ!」というと、他の子供たちも「あ、本当だ。〇〇せんせ~」「〇〇せんせ~」と口々に叫びながらこちらに走ってきました。 私は急いで眼だけを動かして辺りの様子をうかがいましたが、やはり”先生”らしき人は見当たりません。
(えっ!うそ~。もしかして~?!)
笑って応えようか、知らぬ振りをして通り過ぎるか、、、と一瞬迷い、なんとなく中途半端に微笑みながら、あっけにとられている子供たちの間をすり抜けていきました。
「え!〇〇先生じゃないの?」「良く似てたね~」「本当だね~」と驚く子供たちの声を背に聞くことになったことは言うまでもありません。
これで二人目!
さらにその二年後、ランチタイムをとうに過ぎて閑散とした丸の内のオフィスビルの地下街を私は歩いていました。すると、女性が「あ、〇〇ちゃ~ん」と懐かしそうに手を振りながら小走りに近づいてきます。
三度目ともなると、(そら来た!)と勘が働くというものです。もちろん、その女性も私が通り過ぎるまで人違いに気付きませんでした。
その後、ぱったりと人違いされることはなくなりましたので、やはり世の中には自分に似たひとが三人いるというのは本当なのかもしれません。
でも、もしかして、、、もし、私にそっくりな誰かが私と同じ人生の軌跡をたどっていたとしたらどうでしょう?
三度目の出会いのあと、その彼女は遠くに嫁ぎ、私の人生との接点がなくなったのかも知れないのです。
あり得なくはない、とは思いませんか?

今朝の都営地下鉄新宿線にて

2008.11.10

何気なく額面広告を眺めていたら、「ヤミ金融に手を出してはいけない」というご注意の広告が目に入りました。
gakumen1.jpg
他人事ではなくご注意が身に沁みました(借りてませんよ、借りてません!)が、「『おかしいな』と思ったら相談してください」というその担当窓口を見てびっくり。「東京都産業労働局金融部貸金業対策課」。イチニイサンシイと数えたら17文字ありました。 そういう名前の部署なんだから、仕方がないと言えば仕方がないのでしょうけど、なんとかならないものですかね。
gakumen2.jpg
そうなると、「厚生労働省職業安定局○○労働局公共職業安定所」の22文字を「ハローワーク」にしたのは、なかなかの英断に思えてきます。あそこも名前だけで、中味は極めてお役所的なところではありますが・・・。
世の中不景気なもので、話題がついついこのような方向に向かってしまいます。がんばらなくっちゃ。

昭和10年生まれということ

2008.11.08

昨日、筑紫哲也さんの訃報に接しました。日経はお座なりだったけれど、他紙の朝刊には、その死を悼む記事が大きく掲載されています。
リベラルという一言で片付けてしまってはいけないのでしょうが、いまの日本の風潮の中で珍しくレフトの守りについていた人、それでいながら大きな影響力を維持していたジャーナリストだったと思います。
筑紫さんは昭和10年生まれ。ということは終戦時には10歳です。小学校(当時は国民学校)で小国民として忠君愛国の教育を受けていたのに、敗戦によって平和国家日本と180度価値観が変わった体験をしている世代です。それまで使ってきた教科書に墨を塗るという経験もしたでしょう。
いま、その世代の人たちの中に、戦前の価値観を声高に懐かしんだり評価する人たちが少なくありません。
本土で育った昭和10年生まれの人たちの中には、空襲から逃げ回ったりご家族を亡くされたりした方もおられると思いますが、本当の戦争、つまり戦地へ赴いたり戦闘を体験したりするには年が足りませんでした。銃後で美化された軍国教育を受けていたはずです。教科書に墨を塗らされたとしても、それまでに醸成されてきた価値観を否定するだけの理性を持つにも少し幼過ぎました。それがいまになって、戦前の価値観への素朴な美化につながっているような気がしてなりません。
昭和10年生まれには現在の日本経団連会長や前日銀総裁など、財界や経済界でいまだに活躍されておられる方々が多数おられます。そして、筑紫哲也さんもその世代の一人だったことに、ある種の感慨を覚えます。
孤高のレフト、という表現が筑紫さんにはふさわしい。それは少々さびしくもあり恐ろしくもあるのですが。

アメリカの虹は6色?

2008.11.06

友人から『虹の色は七色ではない? 日本では七色だけど、世界では色数少ないと聞きました。教えてください!』とのメールが届きました。
虹は幼稚園の時から7色に描くと習ってきましたし、、、おそらく、日本人100人に尋ねても、まず『虹は七色』という答えが返ってくるに違いありません。
これは世界の常識!と思ってましたが、『日本の常識は世界の非常識!』なのでしょうか。
さっそく、我が家にホームステイしているイギリス人をつかまえて聞いてみますと、「イギリスでは、red, orange, yellow, green, blue, indigo, purpleの7色だよ」、と指を折りつつ自信たっぷりに答えてくれました。 我々日本人と同じ認識の7色であったことに、ちょっと安心。
ところが、アメリカ人の友人に聞いてみると、こんな答えが・・・
「虹の色が何色(なんしょく)かなんて考えたことなかった。多分アメリカでは決まってないと思う。色のグラデーションの中から、自分で好きな数だけ選べばいいんじゃない?」
やはり、国による違いはあるらしいのです。
調べてみると、どうやら「虹は7色」にこだわっているのは、イギリスと日本ほか、数カ国だけかもしれないのです。
実は虹を7色としたのは、かのアイザック・ニュートンでした。17世紀のことです。プリズムによって分散したひかりのうち、特に目立った色だけあげて、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色をスペクトルと名付けました。これらはアメリカの友人が言うように無数の異なった色の連続なのですが、ニュートンは音階のドレミファソラシに合わせて7つにしたとか。
アメリカではスペクトルの7色から藍色を抜いた6色が一般的に認識されている虹色で、Macの虹色のリンゴマークが代表的とのことです。気がつきませんでしたが、Macのリンゴの虹色を数えてみると本当に6色でした。なるほど〜。
他の国ではどうかというと、ロシアでは橙、黄、緑、青の4色から7色まで人それぞれ変ってくるらしく、アフリカなどでは3色とか2色のところもあるんだそうです。
でも、日本も昔は5色だったって知ってました?
中国では万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からできているという五行思想に基づいており、虹も当然のごとく5色でした。それに習って日本でもその昔、虹は5色だったのです。
明治時代に入り、海外の学校教育を見習うようになると、虹の色は7色と教えるようになりました。明治8年に出版された「小学色図解」の中で、富士越金之助という人が「太陽の色は七色」と書いたのが最初のようです。
いずれにしても、「七色の虹」は世界共通認識ではなかった、ということなのですね。

< 一覧に戻る >