欺されました
2009.03.23新聞の書評を参考にして本を買うようになったのは、40歳を過ぎた頃からでしょうか。
学生時代は、大学近くの古本屋街で、毎日のように棚を眺めながら帰りました。自分が関心を持っている領域なら、どの店のどこの棚にどんな本があって、それがいつ売れたかまで、だいたい頭に入っていたものです。一冊読めば、次に読みたい本や読むべき本の見当がおおよそつきます。そうやってチェーンのように読み続けました。チェーンスモーカーならぬチェーンリーダーです。
ところがだんだん毎日の帰りが遅くなってきて、たまに書店に立ち寄ってもじっくり棚を眺める体力と気力と時間がなくなってきました。読みたい本はいろいろあっても、どこから手をつけたらいいのかわからなくなりました。そこで、それまで半分バカにしていた新聞の書評に頼ることになったのです。
近頃の新聞には、毎週掲載される権威がましい書評欄のほかに、気軽に読める本を紹介するメージが設けられています。これから述べることは批判というか悪口なので新聞名は伏せますが、何週間か前のある新聞のそのようなページに、ある時代小説が紹介されていたのです。書名まで伏せてしまったら、何のことやらさっぱりわからないでしょうが、お許しください。広報を仕事をしている以上、新聞社にはイイ顔をしておかなくてはなりません。
で、そのページの評者である文芸評論家によりますと、「これまで推薦文を書いた本の書評は控えることにしていたが、はじめてその禁を破る。それほどにこの一巻は素晴らしい」ということです。これ以上の絶賛はありません。数日後にAmazonに発注しようとしたら、なんと品切れです。売れているようです。これなら書評は本物だと思って、ますます読みたくなりました。数週間後にもまだ品切れ。そこで都心の大書店までわざわざ出向いて増刷版を入手しました。
読んでがっかり。プロットの流れに無理があって、半ばあたりではストーリー展開に汲々としているのがミエミエです。登場人物の描き方も平板で、人物像が浮かび上がって来ません。帯に「愛する藤沢周平に捧げた渾身の一巻」とありましたが、天国の藤沢さんもさぞかし迷惑されておられることでしょう。信用できませんな、この文芸評論家。
これまで書評を参考にして失敗したことはあまりなかったのです。書評を読めば、私が関心を持って読める本か、どの程度のレベルの本かなど、おおよそ見当がつくものです。しかし今度ばかりは失敗でした。手放しの絶賛ほど胡散臭いものはないと気づくべきでした。広報の仕事を長くやっているのですから、そのくらいのことはわきまえていなければなりません。欺される私が悪い。しかし、いまいましいなあ、本当に。〈kimi〉
奇跡のリンゴ
2009.03.13知人より「奇跡のリンゴ」を二ついただきました。抽選でやっとの思いで手に入れたリンゴなのだそうです。
皮の色は少し黒ずんだ感じで、お店でみるような鮮やかさはありませんが、見た目には普通のりんごです。とにかく食べてみればわかるとのことで、早速皮ごと食べてみましたが、これがとっても不思議な味がするのです。
なんというか、すごく甘いわけでなく、すっぱいわけでもなく、かといって味がないのではありません。とにかく、これ、りんごなの?と思うような、これまで食べたリンゴとはまったく違う味がします。ワインがそのワイナリーの土壌によってチーズやマッシュルームやチョコレートの香りを放つのと同じように、このリンゴは土のよい香りがするのです。
これはプロフェッショナル仕事の流儀でも紹介された、無農薬、無肥料で育てた木村秋則さんのリンゴでした。農薬をたくさん使わなければ害虫や病害で木が枯れてしまうのが当たり前のリンゴを、9年の気の遠くなるような試行錯誤の末、無農薬、無肥料で育てることに成功した奇跡のリンゴなのです。
このリンゴとともに、『「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 奇跡のリンゴ』という本も貸していただきました。このリンゴ、絶対にこの本を読んでから食べるべきでした。だって食いしん坊のわれわれは、もうその奇跡のりんごを食べてしまって、お見せする写真もないのですから。
木村さんの農法は早く言えば虫も雑草も含めて自然の生態系を保つというものです。何か一種類の害虫(と人間が言っている)を農薬によって駆除すると他の害虫が増える。そうすると自然の生態系が狂ってくるから、仕方なく違う農薬を使うことになる。そうして、次々に農薬をたくさん使うことになってしまうわけです。また、肥料も与えずに育てると根がぐんぐん張っていって、必要な栄養素を自分で取りに行くようになるのですね。
それにしても、自然って不思議です。私は時々山小屋にいくのですが、毎年発生する虫が違います。ある年はおかまコオロギだったり、ある年はゲジゲジの大軍だったり、カメムシの時もありますし、ミツバチの時もありました。シロアリにはまいりましたが、それも、毎年続くわけではなく、翌年には違う虫になっているので私たちがお邪魔するときだけ、せっせと追い出しますが、特に農薬をばらまいたりはしません。どうせ、翌年には自然に数少なくなって、別の虫の天下になるのですから。 木村さんの農場でも同じような現象がみられるのだそうです。
この奇跡のリンゴ、切っておいても変色せず、そのまま置いておくと腐らずに香りよく小さく縮んでいくのだそうですよ。とてももったいなくて、そんな実験はできませんでしたが、そんな姿のりんごみてみたいものです。
ゴロゴロ考
2009.03.09日頃持ち歩いているビジネスバッ
PC仕様のビジネスバッグは空で
キャスターつきのバッグは、ゴロ
電車で東京駅に近づくと、だんだ
海外旅行なら迷わずキャスターつ
そうは言っても、ゴロゴロの魅力
小確幸なひるげ in半蔵門
2009.02.26
まだまだ寒い日もありますが、春を感じるひとときが多いこの頃です。
なんだかうきうきしませんか?
私の義母はこの季節になると、「春は臆病者やから、なかなか来いひん」と言います。粋なフレーズです。
季節は三寒四温を繰り返し、確実に春へと近づいています。
さて、うきうきするのは春の訪れだけではありません。
作家の村上春樹さんは「小さいけれど確かな幸せ」を「小確幸(しょうかっこう)」と名付けていらっしゃいますが、当社のある半蔵門はそんな「小確幸」溢れる町です。
なぜって?
それは、ランチタイムにどこに行こうか考えるのが、すこぶる楽しい町だから、なのです。
この日はみんな出払っており、ひとりの昼食。
行先決定サミットを胃袋としばし開催した結果、『汐風』さんに決定です。
それは麹町大通り沿いにある、お魚がとても美味しいお店。
ひとりでカウンターでご飯を食べながら、短冊紙に書かれた夜のメニューに思いを馳せるのも、これまた、いとおかし。
この店の「汐風定食」は、日替わりのお魚が2種類付く、とってもお得なメニューです。
普段の私はあまり真剣にメニューを吟味せず、席に着くやいなや、ひと思いにこの「汐風定食」を注文してしまいます。
ところが先日、お隣さんが金目鯛の煮付けを召し上がっていらっしゃり、その美味しそうなこと!
よーくメニューを見てると「大サービス! 金目鯛のかぶと煮」と隅っこにちょっこりと書かれており、至極反省。
次回からは、必ずやメニューと真剣対面することを心に誓ったのでした。
前回の反省を思い出し、今回はお店に入る前にメニューを吟味します。
嬉しいことに、金目鯛がメニューに上がっているではありませんか。しめしめ。
この日の「汐風定食」も魅力的なコンビネーションでしたが、かぶと煮を注文することにしました。
日ごろからあまり「かぶと煮」に親しんでいない私は、どこまでが「可食部」なのか手探りでぎこち悪く不格好。まさに気分は川口浩探検隊。ほー、こんなところにもお肉があるんだ、と新たな発見があります。
途中、ふと、魚の頭の中に箸で侵入していくにつれ、人間の頭がい骨で祝杯を上げたとされる織田信長ばりに、「私って歌舞いちゃてるかも」と思いつつも、ちょうど良い甘さの煮汁にふっくらと炊かれた鯛を頬張れば、ご飯がすすむ、すすむ。これまた「小確幸」な昼下がりです。
でもこのメニューは、ひとりではなく、みんなで「おいしいねぇ」と言いながら食べたほうが、より美味であったに違いありません。
次回は是非、食いしん坊の名高きココノッツのメンバーと一緒に来なくては。
『汐風』
千代田区麹町4-2 北島ビル地下1階
電話:03-3265-6097
http://www.shiokaze.co.jp/
ランチ営業:月~金11:30-14:00(土・日・祭日休)
波打つ硝子
2009.02.24東大病院へ行くには有名な赤門で
私、塩煎餅が大好きです。それも
そんな煎餅好きですから、店を見
煎餅30枚を包んでもらいながら
「おたくは古いんですか?」
と思わず出てしまった質問に、老
「そこから斜めに窓硝子をみてく
これこそ迷回答にして、類い希な
「ああ、波打ってますね。これは
「ここらへんは戦災でみんな焼け
いまの板ガラスが極めて平滑です
老主人は、私の年格好をを見て、
「あの頃は、硝子ビンにも泡が入
「ほら、ここいらのビンにも泡が
この店では、小さいあられの類は
「この蓋もアルミだとわからない
まさか。でも、そうかもしれない
「江戸あ
『一瞬の風になれ』
2009.02.18ちょっと古い話ですが、昨年の北
でも、正直いえば、リレーなんて中学校の運動会位しか経験のない私の脳裏にちらっと浮かんでしまったのは、米国など強豪2チームがバトンパスで失敗しなかったら、日本のメダルはなかったのかな〜ということでした。
この銅メダル獲得のニュースが流れたあと、「一瞬の風になれ」という小説が話題になったのをご存知でしょうか。高校陸部の100mスプリントの選手 を主人公にした小説です。最近、この小説を見かけて、ぱらぱらと読み始めたら、これが実に面白い。通勤電車の中はもちろん、乗換えのエスカレータや階段で も目を離せず、危うく階段を転げ落ちるところでした。
高校に入学した主人公が夢をみて、挫折して、淡い恋をして、人間関係に悩にながらも人間的に成長していく様子を心理描写を通して緻密に描いていま す。読んでいると、私までジャージ姿になって、その中に入り込み、一緒に遠征のバスにも乗り込んでしまうのです。 (あの〜ですね、想像するのはやめてくださいませ。)
とにかく、部活に熱中する高校生たちも、コーチもライバルも実に個性豊かで魅力的なのです。そして、なによりこの小説は陸上の100m、4継の何たるかを教えてくれます。
先のオリンピックの話に戻ると、世界の100mスプリントが9.6秒台に突入した今でも、日本に9秒台で走る選手はいないのだそうです。400mト ラックを4人で走る4継は足の早い選手が集まったチームが早いに決まってます。でも早い選手だけをそろえて走れば一位になれるかというとそうではないとこ ろが面白い。アンカーで走った朝原選手は和製カール・ルイスと呼ばれ、カール・ルイス並みのスタートダッシュなので、かつての三走の選手はバトンパスで彼 に追いつけないのではないかと思うほどだったそうです。4人が全速力で走り、尚かつ、つまりもせず、絶妙なタイミングでバトンをつなぐ。お互いを信頼しきっ て、一瞬の迷いもなく、バトンパスを成功させたチームだけがメダルを手にすることができるということです。
やはり、北京オリンピックでの4継の銅メダルは凄かった!あの4継の4人が日の丸を広げ、思い切りいい顔している写真をみて、改めて感動してしまいました。青春時代にタイムスリップしたい方、「一瞬の風になれ(3巻)」をお試しあれ。くれぐれも階段での読書にはお気をつけあそばせ! -araki-
「一瞬の風になれ」(講談社:佐藤多佳子 2006年 全3巻)
この季節
2009.02.13インフルエンザの季節がようやく
毎日、通勤電車の中で、この真理
その真理とは「この季節には美人
インフルエンザや花粉症の予防の
ある日の電車の中で見つけた女性
これは一体どういうことでしょう
ここでフェミニストやセクハラ撲
話を戻します。
美人か「それなり」かという人生
なぜそうなるのか? 一つの仮説は、目から上の構造物
もう一つの仮説は、上に比べて下
例えば歯です。出っ歯、受け口、
そこへ行くと目は、多少の大小、
と、こんなロジックをもって、マ
もちろん例外も少なくありません
ビミョー
2009.02.09「ビミョー」と若い世代の方がお
広辞苑第六版によれば、「微妙」
「
さてこの写真。
モルタルは長年風雨にさらされる
さて、この壁をもう少し引いた場
この位置から見ると意匠、つまり
印象の良し悪しを決める要因って
2009.02.06今朝は千代田線の遅れにより、い
車内からは、日差しの降り注ぐ美
そんな中、麹町大通りを歩いてい
「クオール薬局」
この看板を見るやいなや、私は切
なぜだ?なぜなのだ?
薬局の看板を見てこんなヘンな気
ちょっと深呼吸して、突如として
そうです。ビンゴ。
カンの良い人ならもうお気づきで
その名称はある人(というか動物
盲導犬「クイール」でした。
盲導犬は本当に偉い。主に仕える
私は「クオール」という薬局を見
何の良いイメージを連想する広告
その名称とロゴを見ただけで、瞬
・クオール薬局→盲導犬クイール
調べてみると、クオールとは’Q
会社の設立は平成4年とのことで
「やられた!相手方の意図にまん
自分の勝手な思い込みによる連想
みなさん、素敵な週末を。〈Ba
みごと合格!
2009.01.29「今年の漢字」を毎年発表してい
ところが、なんの拍子か「茶道文化検定」なるものを受
最初はやさしい、というのが検定
私、恥ずかしながら、茶席という
そういう次第ではありますが、そ
テキストを3回さらりと読んで1
昨日、ついに結果の通知がまいり
ちなみに受験者数6,377名、
来年の1級試験を受けるかどうか
眠らせない
2009.01.26一昨日、土曜日の夕刻に学生時代
集まった旧友の一人に某大学で演
暗い照明、聞き取れない台詞、怪
「オマエの芝居は眠いからなあ」
そんな眠い前衛劇にも熱心なファ
さて、前衛劇での居眠りには寛容
まず声
平板な話し方をしないことも大切
抽象的な解説の連続も眠気を呼び
受講者のモチベーションももちろ
実は、前衛劇で眠ってし
早くて早いか、遅くて遅いか
2009.01.22
たまには内輪話をしちゃいましょ
わがココノッツは、広報畑の人間
と同時に、一般の企業で働いてい
広報をやっている人なら常識では
10数年前のことですが、部下の
そういうことで、わがココノッツ
寒いですね
医療機器市民フォーラム
2009.01.18昨日17日、「第4回医療機器市民フォーラム」が東京・有楽町の讀賣ホールで開かれました。昨年の第3回までの責任者をしていた関係で、主催者からご招待をいただいたので行ってきました。
これまでの3回は同じ有楽町の朝日ホールでしたが、それより大きい讀賣ホールを埋め尽くす来場者で、それだけでもこの種のイベントとしては大成功だったと言えるでしょう。また、講演やパネルディスカッションの内容も充実していました。関係者のみなさんのご努力に敬意を表したいと思います。
「医療機器」と言っても一般の人にはちっともピンと来ない、というのが医療機器業界の中でいつも出てくるグチの一つです。先日もある会議で、行政の方が「手術で麻酔がかかっているうちにいろいろな医療機器が使われるが、麻酔から覚めるともう目の前にはないから、一般の人が医療機器を知る機会が少ない」という趣旨のお話をされていました。ちょっと待ってよ、それって私が一昨年に業界団体の機関誌に書いたことじゃん、とも思ったのですが、自分の書いたことが知らず知らずに行政に影響を及ぼしているんだ、と信じて素直に喜びぶことにしました。その通り、多くの医療機器は病院の患者さんの目につかないところで使われていて、一般の人には馴染みが薄いのです。
「医療機器」という言葉は、2006年に成立した改正薬事法で初めて法的に認知された用語で、まだ新しく、それだけに生硬な感じもします。それ以前は医療用具とか医療材料とか医療器具とか医用機器とか、いろいろな呼び名で呼ばれていたわけですね。
それに比べて、「薬」というのはごく一般的な名詞だし、「医薬品」も昔から馴染みのある言葉。とても「医療機器」が太刀打ちできるものではありません。
また、医療用の医薬品は17,500であるのに対し、医療機器は300,0000あると言われています。数が多くて、ピンセットからMRIまで種類もいろいろ。とても一括りにはしにくい。こんなところが医療機器業界のあせりのようなものにつながってくるのでしょう。
なんとかして医療機器の社会的認知を向上させたい、そんな業界の思いから始まった「医療機器市民フォーラム」。たしかに費用もそれなりにかかるのではありますが、業界内でのマスターベーションに終わらせることなく、さらに大きく発展して行ってほしいと祈りながら会場を後にしたのでありました。〈kimi〉
さらさら読みたい
2009.01.14このところ、広告の世界で名の知
そのように実にすばらしい内容で
著者はコピーライターのご出身。
コピーライターはキャッチフレー
ステーキに天ぷら、す
短編小説と長編小説の技法
めでたい繋がり
2009.01.06有楽町駅の一番新橋寄りの改札をでて、パチンコ屋さんの間の不思議な道を通ってマリオンを抜け、数寄屋橋に出て四丁目の交差点に向かうというのが私の銀座へ出るルートです。子どものころ、ここは大人の世界への入り口でした。新聞が刷り上がる様子をのぞき見ながら、インクの匂いのするビルの横を通り、色とりどりのポスターの貼ってある日劇を見ると心がうきうきしました。
最近は、交通会館前のごちゃごちゃと賑やかだったあたりはモダンなショッピング街に生まれ変わり、街路樹にはピンクのイルミネーション。なんだかスッキリしちゃって、六本木だか、赤坂だか、銀座だか分からないかも。 あの数寄屋橋にでるルートが好きなのは、まだ昔の面影がどこかに見つけられるような気がするからなのかもしれませんね。
12月にちょっと銀座に行く用事があり、いつものように改札をでると、ガード下の宝くじボックスが目に止まりました。そういえば、年末ジャンボ宝くじを売っていたし、こんな午前中の閑散とした時間なら空いているのではと思い、数寄屋橋の宝くじ売り場1番窓口へ足取り軽くいってみました。・・・が、甘かったですね。「一番窓口最後尾」の案内をもったガードの人の向こうに長蛇の列が見えます。
なるほど、やはりだめですか。 じゃあ、仕方ない。 でも、2番窓口で買うよりは、、、ガード下のおばちゃまから買った方が楽しいでしょう と、もと来た道を引き返して、「当たりますように!」と念を掛けていただいた宝くじをバラで10枚いただきました。
宝くじなんて買ったのは、人生三度目位かもしれません。
そして、お正月。 『宝くじを買うなら、バラがいいわよ。連番だと、一目で外れたのがわかっちゃうから』、、、友人からのありがた〜い教えどおり、バラで買って良かったです~。一枚一枚、楽しく調べると、あ、ありました。一万円の当たりくじに2番ちがい!おっしい〜。
でもでも、本当に、当たりが! しかも、一枚で二度美味しい!ダブル当たりの78! 下一桁の8が300円。そして78番は3000円。ほんのちょこっとめでたい気分。それでいて、運を使い果たしてない感じのところが、ほどよいめでたさです。
今年も良い年になりそうな気分のお正月でした。
本年もよろしくお願い申し上げます。<araki>
めでたしめでたし
2009.01.04
年末から年始にかけて、いくつかの寺社にお詣りをしてきました。
信仰はしていないのですが、いつの頃からか信心はするようになりました。信仰と信心とどこが違うんだ、と言われても説明できかねます。ただ、神社仏閣から聖堂教会に至るまで、御利益のありそうなところでは、必ずしっかりお祈りをしてくることにしております。ときどきはおみくじも引いてみます。
で、年末に行った太秦の広隆寺のおみくじは、なんと「凶」。やばいよ、これは。さっそく利き手と反対の左手でそのおみくじを針金に結んで来ました。そうすると吉に転じると、暮のテレビでどこかの教授が言っていました。
元旦に初詣に行った浅草寺でも試みました。ここには「凶」がたくさん入っていることが経験上わかっています。何年か前、ここで「凶」が出た年は碌なことがありませんでした。緊張して引いてみたら、今年は「半吉」。縁談も成就できないし、待ち人も来ないそうで、半吉なのにちっともよいことが書いてありません。これも急いで左手で結んで来ましたが、今年の運勢に暗雲が垂れ込めているようで、どうにも面白くありません。
もう一度チャレンジすることにしました。オフィス近くの平河天満宮。今度は「小吉」。なかなか「大吉」に巡り会いませんが、おみくじで一番よいのは「小吉」であると、どこかで読んだことがあるので、これにて満足することにしました。凶、半吉、小吉と、ご神託もだんだんよくなって、今年はきっとよい年になる、というような心持ちになってきました。めでたしめでたし。〈kimi〉
来年の課題
2008.12.31大晦日になりました。
早起きというほどでもありませんが、今朝は7時半に起きて昼過ぎまでずっとテレビを見ておりました。
いや、つまらないですねえ。再放送と企画を無理矢理ひねり出したとしか思えない安手の特番ばっかり。
テレビプロを見ても、夕方までそのような番組がずらりと並んでいます。NHKだって紅白の番宣ばかりです。これではとても数字は稼げません。テレビの媒体価値はどんどん下がるばかりです。
魅力的なコンテンツをつくるにはお金がかかる。タレントの出演料や装置、ロケ代などにもお金はかかるでしょうが、一番お金がかかるのは「クリエイティブな才能を集めること」でしょう。ところがその裏腹で、才能には数に限りがある。
80年代から90年代にかけて、日本の小説がつまらなくなったのは、コミックに才能が奪われたからだ、と言われました。そのコミックに陰りが見えて、才能は再び小説に向かいつつあるようです。
2月にはまた日本の広告費の統計が発表されると思いますが、昨年の統計でも、ここ数年、広告費がネットに流れているのは明らかです。金の流れに対応して、才能もまたそちらに流れているのでしょう。それでもテレビは番組を流さなければなりません。やっつけ番組で埋めるしか方法がない。それが視聴率を低下させ、視聴の質を落とす。スポンサーはテレビに広告費を回さず、さらに番組の質が落ち、媒体価値を下げるという悪循環です。
テレビとは異なる要因もありますが、新聞もまた悪戦苦闘しています。
これらの媒体価値の変動に敏感なのは当然のことながら広告界です。鈍感なのは広報界(こんな単語はあまり聞きませんが)です。
私たち広報を仕事にしている人間は、新聞、雑誌、テレビなどの媒体がアプリオリに存在しているという前提で仕事をしています。それがいまや根底からくつがえろうとしています。ところが、それに目を向ける広報人(という単語もあまり聞きません)はほとんどいないようです。
いまの経済状況は、媒体(報道機関)のパラダイムシフトをさらに加速させるでしょう。広報の手法そのものを再検討しなければならない時が来たようです。それをCocoKnotsの来年の課題にしたいと思います。
それでは、皆様また来年。〈kimi〉
よい新年をお迎えください
2008.12.22CocoKnotsを6月に創業
とてつもない経済危機の中にあり
この半年間、私たちCocoKn
来年はさらにエキサイティングな仕事ができるといいなあと思って
今年もまだ10日近くを残してい
企業の側からIRを
2008.12.14先月の終わりから今月の初めにかけての3週間にレクチャーが6回。テーマはパブリックリレーションズ、IR、社内広報といろいろで、さらに「BtoB企業のブランディングにおける広報」という一ひねりしたお題も頂戴したので、頭の中がタコ足配線のようになってしまいました。
「広報概論」とか「広報マネジメント」といったテーマでは、過去に何回もレクチャーしていますから、前回と同じパワーポイントを使って無難にまとめることもできないではありませんが、それではどうも気合いが入りません。受講者のみなさまにも失礼でしょう。かと言って同じテーマで全く異なった内容というわけにも行きません。このあたりがなんとも悩ましい。そこで一つでも二つでも、新しい試みやコンテンンツを組み込もうと頭を絞ることになります。
一山越えて、この週末は少しのんびりしましたが、来年の2月には、まる1日をいただいて、IRの初歩の初歩からお話をしようというセミナーが控えています。
これまでいろいろと開催されてきたIRのセミナーには一つの特徴があります。それは市場の側の人たちが講師として、事業会社(発行体)側のIR担当者を教えるというパターンが多いということです。
企業の人間は金融マーケットを知りません。だから市場の側の人の話を聞いて勉強する。それは間違っているわけではありません。しかし、アナリストや投資銀行(今回の経済危機でその存在が危ぶまれていますが)のスペシャリストやファンドマネージャーや公認会計士や証券ジャーナリストといった市場側の人たちは、企業の内部でどのようにIRが「つくられているか」を知りません。彼らが日常使い慣れている金融・証券用語は、一般企業では一部の社員を除いてほとんど使われることがありません。初めてIRを担当する方が、そのような特殊な世界に身を置く講師の話を聞いても十分に理解できるはずがありません。
そんなことで私に講師の白羽の矢が立ったようです。企業のIR担当者が事例や体験を発表することはありましたが、企業の側に立ってIRの基本から教えるというのは、あまり例のないことでしょう。挑戦し甲斐があるとも言えます。
というわけで、せっかくのんびりしたのもつかの間、これからしばらく頭の中をIR一本にして、もう一度自分自身の中にIRを基礎から積み上げ直すつもりです。
涼しい顔で
2008.12.05CocoKnotsのオフィスの近くにあるうどん屋さん。讃岐風でなかなかおいしい。私の好みでもあります。しかし、あまり行きません。そのわけは店を仕切っている女性にあります。
繁盛店なので昼時は次から次にお客さんが入ってきます。一人客、二人連れ、グループといろいろ。それをカウンターと二階へ、空席を確認しながら適宜振り分けて行きます。注文を調理場に通します。お勘定もします。ときには調理場に入って自ら調理もします。とても忙しいのです。エライ。大したものです。それは大いに認めます。
しかし彼女、忙しすぎていつもフーフーハーハー言っています。より正確に言えば「フーフー」も「ハーハー」も言ってはいないのですが、そのような彼女の「気」が客の方に伝わってくるのです。それが私の居心地を悪くします。
友人に年季の入った落語好きがいます。彼は金髪の豚野郎こと春風亭小朝をあまり評価しません。噺のうまさは認めながらも、高座でいつも汗だくになっているのはよろしくない、と言います。噺に熱が入るのは結構だが、それを客に覚られるようでは芸が未熟だと言うのです。
一生懸命に取り組んでいる仕事に関しては、結果よりその懸命さを認めてもらおうという気持が無意識のうちに働いてしまうことがあります。これではプロフェショナルとは言えません。涼しい顔をして成果を出す。これこそ美学ですね。
Wow and Zen
2008.11.27三連休を利用して、イギリスから来ている友人夫妻と直島に行ってきました。
数年前にテレビで「瀬戸内海に浮かぶアートの島」として紹介されていたのですが、番組の中でレポーターが外国人旅行客に『日本で行きたいところは何処ですか?』とインタビューすると、京都や秋葉原の他に全員が「ナオシマ」というのです。これはさすがに番組の編集に違いないとは思うのですが。これがまんざら嘘でもないようです。
日本人と違い、欧米の人たちは長期の休暇や旅行の計画を数年越しで立てます。私のイギリス人の友人夫妻も3年前から日本旅行の計画を立てていました。ちょうど2年前の今頃、テレビで見た海に浮かぶ黄色いカボチャの存在感と安藤忠雄設計の美術館の美しさに圧倒され、イギリス人の友人に一緒に行くことを提案すると、私のメールが届いた直後に地元の新聞に直島の特集が掲載されていたというのです。そのタイトルが「Wow and Zen」。粋なもじりです。
海外でこれだけ紹介されている直島ですが、国内では意外と知られていません。今回の旅行の為にホテルを予約しようと近くのJTBにいきましたが、スタッフはどなたも直島のこともベネッセハウスのことも知りませんでした。しかも岡山、倉敷辺りのパンフレットにも直島のことがでてきません。これはベネッセの戦略なのでしょうか。
私たちは4年前に建てられたというベネッセハウスのパーク棟に泊まりました。もちろん安藤忠雄の設計によるものですが、空間を活かしたデザインはさすがです。機能性にすぐれた客室は随所に見せる工夫、隠す工夫が凝らされていますし、客室、カフェテリア、レストランの何処にいても、景色の延長上に自分がいるように設計されています。 普通、素晴らしい景色も限られた方向に見たときだけであったり、綺麗な建物でも、ちょっと目を横にやると残念!と思うこともあるものですが、レストランに移動する渡り廊下であっても、光と陰を巧みにつかった非日常の空間が外に広がる瀬戸内海の景観にとけ込むように設計されているのです。
レストランの席にすわりガラス越しに外を眺めると、ベランダから海まで自分の席から繋がっていることに驚かされます。しかも、座った位置から眺めると、バルコニーの手すりはその先のバルコニーと海の境に細い線を引くように走っています。
美味しいワインをいただきながら、そこに存在する空気感にしばし酔いしれました。
電報の存在価値
2008.11.24久しぶりに電報を打ちました。自分で打ったのは何年ぶりでしょうか。電電公社に電話をかけた記憶がありますから、70年代のことだったかもしれません。その後、勤め先では、近くにいるスタッフに「ちょっと祝電打っておいて」などととズボラを決め込んでいたのです。
さて、改めて自分で打つとなると、どうやって打ったらよいのか。インターネットで調べたら、NTTのサイトから直接打てることがわかりました。D-MAILというんだそうです。これって、なんか変です。ネットでつながっている先ならメールで十分じゃないのかなあ。なんでネットからわざわざ電報を打たなくちゃならないんだ?と頭の隅で自問しながら、D-MAILにアクセスしました。
私が打とうとしていたのは祝電です。今回も初めは手紙で祝意を伝えようと考えたのですが、これが実に難しい。心を込めた言葉を書こうとするとさらに難しい。とくに相手が親しい友人ではなく、目上の方だったり、半分義理だったりすると、これはもう紋切り型の祝辞しか頭に浮かびません。しかし、かつてはコピーライターを名乗っていた人間です。紋切り型で済ますのは少々名誉にかかわります。これはメールにおいても同様です。
ところが、電報では例文と言うものが用意されています。ネットが発達する以前からあったと思いますが、これがとても便利なのです。電報なら、この例文を利用して堂々と紋切り型を使っても世の中は許してくださるのです(と信じております)。また、電報では、心を込めれば込めるほど料金が高くなりますから、長文電報は相手に無用な恐縮をされてしまう恐れがある。それではかえって失礼です(ずいぶん身勝手な論理ではありますが)。しかも、電文は伝統的に省略の美を尊びます。「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」を理想としております。 べたべたした「心のこもった文章」を練り上げないで済むというのは、電報の最大の美点ではないでしょうか。故に名誉が傷つくこともありません。
さて、D-MAILのサイトで作業開始です。指示に従ってあれこれ選択をして行けばよいのですが、最初が台紙の選択でした。画面に現れたのは全部花をあしらった豪華なもの。どれがよいやら判断がつかず、とりあえず一番初め置かれている「パールアイボリーの額の中に赤やピンクのバラとアジサイ等を敷き詰めたプリザーブドフラワー(一部造花)です。置いて飾る他、壁掛けとしてもご利用頂けます。」という台紙をクリック。それから電文の入力へと進みました。
そのとき、何か心をよぎる不穏なものを感じました。こういうときは早まっては行けません。思い直して台紙選択の画面に戻りました。そして気がつきました。一番最初に掲げられているのは一番高い台紙であることに。なんと20,000円です。アブないアブない。
よく見れば一番最後に目立たないように0円の普通の台紙も掲載されていたのですが、そのときは気がつかず、3,000円の多少しゃれた台紙に変更して事なきを得ました。
以前、電報の廃止が議論されたことがありました。どういう理由で生き残ったのか忘れてしまいましたが、電報には上記の「紋切り型が通用する」という美点のほかに、受け取った方に「わざわざ電報を」というワザワザ感を喚起させるという美点もあります。義理の世界では電報はいまだに存在価値があることを再認識いたしました。サイトから電報を打つというおかしな行為にも一定の意味があるんですね。
しかし、NTTの策略にひっかかって20,000円の台紙で発信してしまった人も多いんじゃないかなあ。
さも
2008.11.20麻生首相の漢字を読む能力が話題
これほど実例が出てくると教養
私の場合です。
「最も」を「もっとも」と読まず
間違いに気づいたきっかけは英語
社会人になっても誤読していたの
首相の読み違いに同情はいたしま
接近遭遇
2008.11.13世の中には自分とそっくりな人が三人いるといわれます。
私がその一人に初めて遭遇したのはまだ学生時代、テニスの夏合宿のことでした。
中軽井沢にある大きな民宿は大勢の学生でにぎわっています。合宿も終わりに近いある日の夕食後のこと。電話をするという友人に付き合って、私は廊下の公衆電話の横に座っていました。すると、見知らぬ男子学生が通りがかりに、「なんでこんなところに座ってるんだよ。いかないのか?」と話しかけてきました。
「・・・??」
周りを見回しても背中を向けて電話をしている友人しかおらず、どうも私に話しかけているらしいのです。なんて答えてよいか分からず座ったままでいると、「早く来いよ」と言って、行ってしまいました。
すると今度は二人連れの学生が通りかかり、「あれ、おい、なにやってんだよ~。早く行こうぜ。花火はじまるぞ~。」と私の腕をぐいぐい引っ張ります。
(えっ、えっえ~・・・!ち、ちがう)と思っても、あまりのでき事に声もでません。やっとのことで腕を振り解くと、「な、なんだよ~。早く来いよ~。さき行ってるぞ~。」とちょっと不満げな顔をしながら立ち去りました。
この間、三人が至近距離にも関わらず、完璧に私を彼らの友人と間違えていたということです。
残念ながら、その合宿中、そこに居たはずの”私と瓜二つの誰か”とはついに出会うことはありませんでした。
それから二年後、ジャージ姿で自宅近くの駅前を自転車で通りかかったときのことです。前方から小学5~6年生の生徒6,7人が歩いてきます。その中の一人が突然「あ、〇〇先生だ!」というと、他の子供たちも「あ、本当だ。〇〇せんせ~」「〇〇せんせ~」と口々に叫びながらこちらに走ってきました。 私は急いで眼だけを動かして辺りの様子をうかがいましたが、やはり”先生”らしき人は見当たりません。
(えっ!うそ~。もしかして~?!)
笑って応えようか、知らぬ振りをして通り過ぎるか、、、と一瞬迷い、なんとなく中途半端に微笑みながら、あっけにとられている子供たちの間をすり抜けていきました。
「え!〇〇先生じゃないの?」「良く似てたね~」「本当だね~」と驚く子供たちの声を背に聞くことになったことは言うまでもありません。
これで二人目!
さらにその二年後、ランチタイムをとうに過ぎて閑散とした丸の内のオフィスビルの地下街を私は歩いていました。すると、女性が「あ、〇〇ちゃ~ん」と懐かしそうに手を振りながら小走りに近づいてきます。
三度目ともなると、(そら来た!)と勘が働くというものです。もちろん、その女性も私が通り過ぎるまで人違いに気付きませんでした。
その後、ぱったりと人違いされることはなくなりましたので、やはり世の中には自分に似たひとが三人いるというのは本当なのかもしれません。
でも、もしかして、、、もし、私にそっくりな誰かが私と同じ人生の軌跡をたどっていたとしたらどうでしょう?
三度目の出会いのあと、その彼女は遠くに嫁ぎ、私の人生との接点がなくなったのかも知れないのです。
あり得なくはない、とは思いませんか?
今朝の都営地下鉄新宿線にて
2008.11.10何気なく額面広告を眺めていたら、「ヤミ金融に手を出してはいけない」というご注意の広告が目に入りました。
他人事ではなくご注意が身に沁みました(借りてませんよ、借りてません!)が、「『おかしいな』と思ったら相談してください」というその担当窓口を見てびっくり。「東京都産業労働局金融部貸金業対策課」。イチニイサンシイと数えたら17文字ありました。 そういう名前の部署なんだから、仕方がないと言えば仕方がないのでしょうけど、なんとかならないものですかね。
そうなると、「厚生労働省職業安定局○○労働局公共職業安定所」の22文字を「ハローワーク」にしたのは、なかなかの英断に思えてきます。あそこも名前だけで、中味は極めてお役所的なところではありますが・・・。
世の中不景気なもので、話題がついついこのような方向に向かってしまいます。がんばらなくっちゃ。
昭和10年生まれということ
2008.11.08昨日、筑紫哲也さんの訃報に接しました。日経はお座なりだったけれど、他紙の朝刊には、その死を悼む記事が大きく掲載されています。
リベラルという一言で片付けてしまってはいけないのでしょうが、いまの日本の風潮の中で珍しくレフトの守りについていた人、それでいながら大きな影響力を維持していたジャーナリストだったと思います。
筑紫さんは昭和10年生まれ。ということは終戦時には10歳です。小学校(当時は国民学校)で小国民として忠君愛国の教育を受けていたのに、敗戦によって平和国家日本と180度価値観が変わった体験をしている世代です。それまで使ってきた教科書に墨を塗るという経験もしたでしょう。
いま、その世代の人たちの中に、戦前の価値観を声高に懐かしんだり評価する人たちが少なくありません。
本土で育った昭和10年生まれの人たちの中には、空襲から逃げ回ったりご家族を亡くされたりした方もおられると思いますが、本当の戦争、つまり戦地へ赴いたり戦闘を体験したりするには年が足りませんでした。銃後で美化された軍国教育を受けていたはずです。教科書に墨を塗らされたとしても、それまでに醸成されてきた価値観を否定するだけの理性を持つにも少し幼過ぎました。それがいまになって、戦前の価値観への素朴な美化につながっているような気がしてなりません。
昭和10年生まれには現在の日本経団連会長や前日銀総裁など、財界や経済界でいまだに活躍されておられる方々が多数おられます。そして、筑紫哲也さんもその世代の一人だったことに、ある種の感慨を覚えます。
孤高のレフト、という表現が筑紫さんにはふさわしい。それは少々さびしくもあり恐ろしくもあるのですが。
アメリカの虹は6色?
2008.11.06友人から『虹の色は七色ではない? 日本では七色だけど、世界では色数少ないと聞きました。教えてください!』とのメールが届きました。
虹は幼稚園の時から7色に描くと習ってきましたし、、、おそらく、日本人100人に尋ねても、まず『虹は七色』という答えが返ってくるに違いありません。
これは世界の常識!と思ってましたが、『日本の常識は世界の非常識!』なのでしょうか。
さっそく、我が家にホームステイしているイギリス人をつかまえて聞いてみますと、「イギリスでは、red, orange, yellow, green, blue, indigo, purpleの7色だよ」、と指を折りつつ自信たっぷりに答えてくれました。 我々日本人と同じ認識の7色であったことに、ちょっと安心。
ところが、アメリカ人の友人に聞いてみると、こんな答えが・・・
「虹の色が何色(なんしょく)かなんて考えたことなかった。多分アメリカでは決まってないと思う。色のグラデーションの中から、自分で好きな数だけ選べばいいんじゃない?」
やはり、国による違いはあるらしいのです。
調べてみると、どうやら「虹は7色」にこだわっているのは、イギリスと日本ほか、数カ国だけかもしれないのです。
実は虹を7色としたのは、かのアイザック・ニュートンでした。17世紀のことです。プリズムによって分散したひかりのうち、特に目立った色だけあげて、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色をスペクトルと名付けました。これらはアメリカの友人が言うように無数の異なった色の連続なのですが、ニュートンは音階のドレミファソラシに合わせて7つにしたとか。
アメリカではスペクトルの7色から藍色を抜いた6色が一般的に認識されている虹色で、Macの虹色のリンゴマークが代表的とのことです。気がつきませんでしたが、Macのリンゴの虹色を数えてみると本当に6色でした。なるほど〜。
他の国ではどうかというと、ロシアでは橙、黄、緑、青の4色から7色まで人それぞれ変ってくるらしく、アフリカなどでは3色とか2色のところもあるんだそうです。
でも、日本も昔は5色だったって知ってました?
中国では万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からできているという五行思想に基づいており、虹も当然のごとく5色でした。それに習って日本でもその昔、虹は5色だったのです。
明治時代に入り、海外の学校教育を見習うようになると、虹の色は7色と教えるようになりました。明治8年に出版された「小学色図解」の中で、富士越金之助という人が「太陽の色は七色」と書いたのが最初のようです。
いずれにしても、「七色の虹」は世界共通認識ではなかった、ということなのですね。