ABC現象
2008.11.01私の年齢に平行するように、友人たちも歳を取って行きます(当たり前だけど)。
その過程で、何人かの友人が同じような変化を見せ始めました。頭の上の毛のことでもお肌のシワのことでもありません。
その一人、Aさんの場合。
居酒屋に仲間たちが集合すると、まだ中ジョッキが来ないうちからAさんは自分の近況を話し始めます。先週の土曜日には××(中味を書くと誰なのかバレてしまうので伏せ字とします)があって、××をした。火曜日には××へ出張して、××へ行って、××を見て面白かったなあ。それから××さんと会ったら××だって・・・これが止まらない。2杯目の中ジョッキからお酒に切り替わってもまだ止まりません。オッと10時か、明日が早いから今日はこれで。5,000円置いて行けば間に合うかなあ。お釣りはいりません。じゃ、失礼。と、そそくさと帰ってしまいます。
嵐が過ぎ去り、Aさんを前にしゃべる機会が得られなかった友人たちは、改めてお互いの近況を語り合うことになりますが、すぐに終電が心配になって、お互い物足りない思いを抱きつつ解散することになります。
Aさんも、昔はこうではありませんでした。どちらかと言えば控えめで、他人の話もよく聞く人でした。会社での地位も上がり、管理的な立場になったことが多少は作用しているのかもしれませんが、一種の老化現象とも考えられます。残り少ない人生の時間を有効に使って自分の存在をアピールしなくては、という本能が働いているようにも思えます。
こういう変化を見せる人がAさんばかりでなく、Bさん、Cさんと存在するから怖い。対照的に私は聞き役に回ることが多くなっていますが、ときには私も無自覚にABC現象を示しているかもしれません。実はこの方がもっと怖い。老けるほど頭を垂れる稲穂かな。
確信犯
2008.10.29朝、半蔵門駅の階段で、前を行くご婦人に目が止まりました。このご婦人、渋いお着物をお召しになっているのですが、その背中にアディダスのデイパックを背負っています。和服にデイパック。明らかにミスマッチですが、デイパックの色をコートの色にぴたり合わせています。「確信犯」なんですね。これはよい被写体を見つけたと、地上に出てからご婦人をやり過ごして、カメラを向けました。
シャッターを切ろうとしたら、カメラの設定ダイヤルがずれていました。慌てて直している間に、ご婦人はスタスタと歩み去り、残念ながら失敗作となりました。
このところ常にデジカメを持ち歩いて、シャッターチャンスを狙っているのですが、なかなかよい場面に出会いません。
先日は路地を歩いていたら、庭でお嫁さんがお舅さんの頭を刈っているところに出くわしました。近頃珍しいとてもよい光景でしたが、ついにシャッターを切る勇気が出ませんでした。肖像権に注意しなければならない昨今、ヘタクソなアマチュアカメラマンに撮影のお許しをいただけるかどうか自信が持てませんでした。そんなこんなであきらめたんですが、後の後悔先に立たず。とっても残念でした。
日暮里・舎人ライナー
2008.10.25
日暮里・舎人ライナーというのに初めて乗ってみました。開通は今年の3月30日。すでに7ヶ月経っていますが、一度乗ってみたいと常々思ってました。鉄道マニアではありませんけど、一応「男の子」なので乗り物は好きな方です。それにも増して新しもの好きなんです。
日暮里駅の路線図を見ると、終点は見沼代親水公園となっています。東京の西側で生まれ育ったもので、このあたりの地理はさっぱりわかりません。終点がどんなところかイメージもわきませんが、とにかく終点まで行ってみることにしました。乗ってみると、意外にスピードを出します。多摩モノレールよりずっと速い。乗り心地は、鉄路を走る電車とは明らかに違います。なにか軽自動車みたいに安っぽくて、それほど心地よいとも言えません。ゆりかもめの乗り心地に似ています。
この日暮里・舎人ライナーは東京都交通局の経営。つまり都営地下鉄や都バスや都電荒川線と同じ都営なんです。しかし多額の出資をしている多摩モノレールは都営ではなくて、ゆりかもめも都営ではありません。事情はあるのでしょうが、なにかおかしいですね。
約20分で見沼代親水公園駅に到着。見回しても、どこに公園があるのかさっぱりわかりません。駅前には飲食店もなし。はるか向こうに吉野屋がただ一軒見えるだけです。お腹も減っていたので早々にもと来たルートを引き返すことにしました。
このライナーは自動運転で運転手がいません。帰りの席は一番前。途中の駅で乗り込んで来た子どもたちがうらやましそうでしたね、ははは。
帰り道、根津のあたりをぶらぶら歩いていたら、お寺の本堂を犬が守っているのに出会いました。
須賀敦子のエッセイ
2008.10.22
もう半月ほど前になりますが、知り合いの大学教授からのメールに、奥様から雑誌を買ってくるように頼まれたとありました。生協で購入すれば一割引なので大学に寄ったついでに、ということだったようです。その雑誌とは今月号の「芸術新潮」。そう言えば新聞の広告を見て、私も買おうと思っていたところでした。今月号は須賀敦子の特集です。私は須賀の読者ではありませんが、その文章への評価が高いことは知っていました。以前このブログに書いた辰濃和男の『文章のみがき方』にもすぐれた比喩の使い手として取り上げられています。
そうこうしているうちに、この弊社のサイトのお世話をしていただいているMさんもまた須賀の愛読者であることがわかりました。没後10年で、あらためて注目されているようです。
購入した「芸術新潮」。例によって写真がすばらしい。イタリアへ須賀の足跡を追った記者の文章も侮れないレベルです。そしてなによりも引用されている須賀敦子の断片の数々。
彼女が紡ぎ出すことばは音楽のようです。心地よいリズムはもちろん、旋律さえ感じさせます。思わず朗読したくなる、と言えば理解しやすいでしょうか。『声に出して読みたい日本語』など、この文章の前には全く無用のものです。
というわけで、さっそく河出文庫の『須賀敦子全集』を買って読み出したのでした。私もこの半月ですっかり愛読者になってしまいました。美しい文章は、こころを洗ってくれます。
金魚すくいの科学的コツ!
2008.10.20週末に納戸を整理していると、古いサイエンス雑誌の「金魚すくいの科学的コツ!」という見出しに目がとまり、思わずページをめくってしまいました。これだから、整理というのはなかなかはかどりません、、、
子供のころ、近所には駄菓子屋が何軒もありました。
おでんの店、お好み焼きの店、かき氷の店など、それぞれに特色があり、私たちは学校が終わるとお小遣いを持って、今日はあのお店に行こうか、それとも自転車でちょっと遠くのお店まで、といった具合に駄菓子屋めぐりをしていたものです。
そんな一軒に金魚すくいをさせるお店がありました。お店の前には青いビニール製の水槽が二つ並んでおり、中には赤い金魚に交じって、黒い出目金や尾の長いきれいな金魚が泳いでいます。
私は1~2匹すくうと金魚すくいの「ポイ」を破ってしまい、あとは次々と上手にすくい上げる男の子の妙技に見とれるばかりでした。
さて、その雑誌によると、金魚すくいのコツとは「紙を破らないこと」、これにつきるそうです。
紙が破れる要因は、「紙の性質」、「水の抵抗」、「金魚の動き」の三点にあります。
その要因 を知り、破らない方法を習得すれば、15匹位は楽に捕れるようになるというのですから、夢のような話ではありませんか。
その1. ポイは紙を張ってある面を上にして使うこと。
その2. 紙は全部を濡らすこと。一部分だけを濡らすと、濡れている部分と乾いている部分の境目の強度が弱くなる。
その3. 水の抵抗を少なくするため、ポイは水と直角に動かさずに、水を逃がすように斜めに動かす。
その4.金魚は尾びれを動かして進むため、動きの少ない上半身をポイの淵にかけるようにしてすくい上げる。
なのだそうです。
最近、金魚すくいはあまり目にしませんが、お祭りで金魚すくいを見かけたら、ちょっと試してみようではありませんか。
昨日・今日・明日館
2008.10.12
昨日の午後は女義太夫を聴きに行きました。演目は「菅原伝授手習鑑-寺子屋の段」。歌舞伎や文楽で義太夫は何度か聴いていますが、女義太夫というのは初めてです。誘われなければ聴く機会などありそうもないので、物は試しと出かけました。初体験のことだし、女義太夫に関しては「こんなものかなあ」という程度の感想ですが、その会場というのが池袋の明日館講堂でした。羽仁吉一・もと子夫妻がつくった自由学園の建物です。ここも初めてです。
池袋駅の西口を出ると「ふくろ祭」とかいうカーニバルのような催しで大騒ぎ。その喧騒を離れて、地図を頼りに静かな路地を進むと、婦人の友社がありました。「こんな奥深いところに」との感慨を抱きつつ、その角を曲がるとライトの設計による国の重要文化財「明日館」(写真)が見えて来ました。昨日は、結婚式に使われているとかで中には入れず。期待していたのに残念。
さて、今日の朝日新聞朝刊です。その婦人の友社が全面広告を出しています。昨日見た社屋を思い出しつつ、この出版不況下にあの地味な出版社がどうして?と意外の感を受けましたが、編集長さんの大きな写真の下の小さな経歴欄を見たら自由学園卒とあるではありませんか。社屋が学校の近くだから入社したのかなあと、実はそのときまで知りませんでした。婦人の友社って、羽仁夫妻がつくった雑誌社だったんですね。長く広報をやっているのに知らないことはたくさんあるものです。昨日の今日でちょっとびっくり。
ついでながら羽仁夫妻の娘が評論家で婦人運動家の羽仁説子。その亭主が、全共闘時代に一時期読まれた「都市の論理」の著者である羽仁五郎。その息子が映画監督の羽仁進で、その別れた女房が左幸子で、その娘が羽仁未央。と、このくらいは知っていたのですが。
電車はなぜ遅れるのか
2008.10.06朝食を食べながらテレビを見ていたら、「京王線が開通した」というテロップが流れました。ということは、それまでは不通であったということ。大幅な遅れを覚悟しなければなりません。インターネットで確認したら、「人身事故の影響で15分以上の遅延」ということがわかりました。
最寄り駅は、幸いにも京王線と小田急線が使えます。駅で迷いました。遅れていてもいつもと同様に京王線を使うべきか、振替輸送のキップをもらって小田急に回るべきか。暫し考えた末に小田急に決めました。京王線の電車にたまたま乗れたとしても、途中の本線との合流で動かなくなってしまうリスクが高いと判断したのです。そういう経験を何度かしています。
小田急線の新百合ヶ丘駅に着くと「快速特急」と接続しました。これは下北沢まで停まることなく一気に行きます。シメシメ。思わず自らの判断力の正しさにうっとりとしてしまいました。
さて、乗り込んだ快速特急。3つ先の生田駅までは一気に走りました。そこから急にスピードが落ちてノロノロ運転に。やがて車内アナウンスがありました。「この電車は新百合ヶ丘駅を3分遅れで発車いたしましたが、新宿駅付近で雨と混雑の影響で電車が詰まっております。新宿駅到着が15分ほど遅れておりますので、この電車も大幅に遅れることが見込まれます」
かくして代々木上原駅に20分遅れで到着。自らの判断力を呪うことになってしまいました。
小田急線は、せっかく代々木上原で東京メトロ千代田線と乗り入れているんですから、もう少しそちらに電車を回せばよさそうなものなんですが、それを嫌がって(いるかどうかは確認しておりませんが)、ほとんどの電車を新宿駅行きにするから日常的に詰まってしまうんだろうと推測しております。ある朝、「今日は幸いダイヤ通りに運行しております」という車内アナウンスがあったと利用者から聞きました。
小田急線に限らずどうして朝の電車は雨が降ると遅れるのでしょう。その原因を分析したという話を聞いたことがありません。風が吹いて桶屋が儲かるようなものでしょうか。混雑するから遅れるという説明も釈然としません。毎朝混雑するのがわかっているのなら、その混雑を織り込んだダイヤが作れそうなものです。作れないなら作れない理由を開示すべきです。要するに鉄道各社はこの点について説明責任を十分果たしていないことになります。
沿線情報や自社クレジットカードの勧誘にはあれほど熱心なのに、なぜなのでしょう。きっと開示できないわけがあるに違いない、と勘ぐられる前にぜひ十分な説明をしていただきたいものです。
ちなみに「ただいま実施しております複々線工事が完成した暁には・・・」といった逃げは許しませんよ。「首都圏への人工の集中が・・・」という言い訳も許しません。地下鉄との乗り入れやダイヤの改正のたびに「混雑の緩和」、「遅れの解消」と言ってきたではないですか。それでも一向に改善されない。どこかが間違っているんじゃないですか、電車屋さん。
発行体も発言を
2008.10.02このところ続けざまに、IRに関する勉強会やセミナーへのスピーカーとしての出席依頼をいただきました。
現役のIR担当者は話にくいようだから実務を卒業したばかりの人間を探そう、というコンセプトに私が見事に当てはまってしまったようです。
現役のみなさんがお断りになる最大の理由は、会社が認めないということではないでしょうか。できるだけボロを出さないようにIRをやっているのに、そんな場に引き出されてポロっと露見してしまったら大変。出席しても明らかな利益が見込めず、リスクだけ負うのでは間尺に合わないとお考えになるのだろうと想像します。それも理解できないではありませんが、少々情けない気もします。
私はバリバリの現役のときから、いろいろなIR関係の集まりやセミナーでお話をしてきました。企業秘密はもちろん、勤め先の生々しい裏話などもできません。いくら面白くても経営者や社員の名誉に関わる話もできません。そこがちょっぴり残念ではあったのですが、そんなことを話さなくても、事業会社(発行体)のIR担当者としての経験や考え方を率直に申し上げるのは、それなりに価値があると信じておりました。
証券市場のプレーヤーとしては投資家、証券会社、そして発行体があり、それらを支えるものとして取引所や監視機関や行政、さらに法曹界などがあるわけですが、この数年次々に導入されて来たさまざまなルールの制定過程では、発行体の声が一番小さいと感じられてなりませんでした。発行体における不祥事が次々に明るみに出て、大きな声でものが言えなくなったということもあるのでしょうが、それなら証券会社だってファンドだって同じこと。問題は、一般に発行体のIR担当者における専門性が、他に比較して浅いというところにあるような気がします。
私とて胸を張って専門性をウンヌンできる立場にはありませんが、IRの第一線で日々アナリストや投資家のみなさまと丁々発止をやっていれば、それなりに言いたいことは出てきます。それだけでも発言する意味があると考えておりました。現状のような状態が続けば、発行体にとってさらに負担が増えるような気がします。もっともっと発言をされたらいかがでしょうか、と現役の方々にはお勧めしたいところです。
さて、私がそのIRの現場を離れて約半年。10年以上もやってきたことですから、そう簡単には忘れはしませんが、生々しさはだいぶ薄れてきました。どんなお話をしたらよいか、フィルムを巻き戻して(この比喩はもう古い)、ここはじっくり考えなければなりません。企業を離れたからと言って、うかつな裏話ができないのは、いまも変りはありませんが。
文章読本
2008.09.25広報の仕事をしていると、文章を書く機会が多くなります。
若いときにコピーライターという名刺を持たされていた私は、とくに「書くこと」への関心を持ち続けてきました。
そこで一時期、「文章読本」の類を片っ端から買い集めて通読したことがあります。谷崎潤一郎から三島由紀夫、丸谷才一、多田道太郎、本多勝一等々、ついには斉藤美奈子の「文章読本さん江」まで。我ながらよく読んだものです。
それで文章がうまくなったのかとの問いには、「少しはうまくなったと思う」という答えを用意しております。実際、なにかと役には立つものですよ。たとえば多くの著者が口を揃えておっしゃるように「ワンセンテンスを短くすること」を意識するようになりましたし、本多勝一さんの『日本語の作文技術』 を読んだら句読点の打ち方に神経質になりました。私は比較的句読点が多い方です。こういう諸点が頭に入っているといないとでは、文章の出来に差が生じるだろうと信じています。
が、しかしですよ、ときどき私はわざと長い長いセンテンスを書いたりします。必ずしも諸大家のおっしゃるようにしていればよいというものでもないだろうと、このあたりはだいぶヘソが曲がっております。
最近この手の本は読んでいなかったのですが、2、3日前、昨年買って忘れていた本が書棚にあるのに気づきました。辰濃和男著「文章のみがき方」岩波新書。エッセンスだけをまとめてあって、よい文章読本になっています。他は読まなくてもいいんじゃないかと思うくらいです。おすすめです。
で、これを読みながら気がつきました。朝日新聞の記者(またはOB)って、文章読本を書く人が多いなあ。本多さんも辰濃さんも森本哲郎さんもそう。ほかにも栗田亘さんとか大勢います。大学やカルチャーセンターなどで文章指導をしている元記者も多いようです。昔の週刊朝日の編集長扇谷正造さんは、エッセイストとしても評価の高い女優高峰秀子さんに書き方を指南したと言われています。
世に名文家として知られる記者も、古くは笠信太郎から荒垣秀雄、入江徳郎、疋田桂一郎、深代惇郎、轡田隆史・・・と朝日が多い。つまり「天声人語」や「素粒子」を書いていた人が評価される傾向があるんでしょうね。
では、どうして文章指導家が朝日に多くて他紙に少ないのか。わが社の元朝日新聞編集委員の見解は、朝日は専門性の高い記者よりジェネラリストを育てる傾向があるためではないか、というものです。ある分野を専門的に追い続けて来た記者は、退職してもその分野のジャーナリストや評論家として一家をなすことになる。ジェネラリストは筆一本ということでしょう。
真否はともかくとして伝統的に「名文家なら朝日」というブランドが確立してしまっていることも要因と言えそうです。そう言えば、かの夏目漱石も朝日新聞記者でした。
ちょっと軽井沢
2008.09.22
台風13号の行方が気になる週末の土曜日、朝起きると意外にも台風は太平洋上に進路を変更しており、予定していた高崎の知人宅を訪問することにしました。台風一過の東京は新宿副都心から遠くの山々まで青い空をバックにくっきりと浮かび上がり、絶好のドライブ日和です。台風直撃のニュースに予定をキャンセルした方が沢山いたのか、渋滞もありません。
さて、高崎の知人宅から軽井沢までは信越自動車道でわずか1時間足らずとのこと。テニスやゴルフで良く行ったことのある軽井沢ですが、ここ何年も足を運んでいません。それでは「軽井沢でお食事を」ということになり、5時過ぎには旧軽を散策しておりました。沢屋で色鮮やかな薔薇ジャムを購入し、土屋写真館でセピア色の写真を眺めたあと、ドイツ料理のキッツビュールへ。
信州りんごのソースが添えの鴨肉のローストは甘酸っぱいソースと柔らかい鴨肉がよくあいます。今日は質の良いアイスバインがあるという店長の言葉通り、赤味がかったアイスバインは噛む毎に引き締まった味がほどけるような味わいです。車の運転のため、ビールもワインもいただけなかったのが唯一の心残り!
その晩はプリンスホテルに一泊し、翌朝、スワンレイクとして名高い「雲場池」へ立ち寄ると、カモたちが涼しい顔で泳いでいました。少々の後ろめたさを感じつつ、湖畔を散策。雲場池はもみじに囲まれていて、紅葉の時期は緑、黄色、オレンジ、赤色の絵具を散らしたような実に美しい光景がひろがるのですが、いまはまだまだ緑深い森の中です。それでもなんとなく秋の気配が・・・
帰りには、もちろんお決まりのおぎのやの釜飯をお土産にして、、
独断専行
2008.09.20 先に書いたように、PRPUBを開設したのは1996年でした。そのとき、勤め先の会社はホームページ(当時はウェブサイトという用語は一般化していませんでした)を持っていませんでした。ドメイン名さえ取得していなかったのです。
広報室長としてホームページの開設を会社に提案しましたが、トップはクビをかしげるばかりでした。私だけでなく、何人かの幹部社員が業務上でのインターネット利用を提案したようですが、そのたびによい返事をしないので、「トップはインターネットがお嫌いだ」という風評が立ち、その後誰一人としてインターネット関係の提案をしなくなってしまいました。
その頃、社名ドメイン名を大量に先行取得して、その会社に高く売りつけるという商売が世界的で行われていました。おちおちしてはいられません。
私は独断専行して、密かに社名ドメインを取得してしまいました。そして機会を狙って、再びトップにホームページの開設を提案して了承を得ることに成功しました。成功のポイントは、情けないことに「金をかけません」という条件でした。そして「危なくなったらいつでも閉めますから」とつけ加えたような記憶があります。何が危ないのかよくわかりませんが、トップが新しい技術や自分では理解できない世界に対して漠然とした不安を抱いていると推測したのです。そうやって形ばかりのホームページを公開し、その後、時間をかけて少しずつ充実させて行きました。
いま、クライアントのサイト構築をお手伝いしていると、コストをかけなくてはよいものはできない、という当たり前のことを改めて思い知らされます。私がやったような「金をかけません」という提案はインターネットの黎明期だからこそであって、各社がウェブ上で競い合っている現在では考えられないことです。しかし工夫をすれば、4マスの媒体費に比べ、はるかに少ないコストで効果的なサイトを仕上げられることもまた事実です。広報活動の基盤として、自社のサイトの状況をもう一度見直してみることをお薦めします。
独断専行というのは、ガバナンスの観点からはほめられた行為ではありません。しかし、内部統制にがんじがらめになって、新しい世界へ踏み出すのが遅れては競争に勝てません。どこで折り合いをつけるか・・・。いまは、どこの企業でも内部統制派が勢いを保っていると思いますが、いずれまた、大きな転換点が来るだろうと、私には思えてなりません。
PRPUB
2008.09.18 1996年、まだインターネットは生まれてから間もなく、先進的な企業がようやくHTMLでホームページを立ち上げ始めた頃でした。そのとき日本のウェブサイトに、広報をテーマにしたサイトは一つもありませんでした。日本で最初の広報のウェブサイトという栄誉は私がつくった「PRPUB」がいただきました。
広報をテーマにするホームページをつくろうと思い立っても、どんなコンテンツにするかが問題です。考えついたのが広報に関する質問をWEB上でいただいて、FAQ(frequently asked questions)集をつくるというアイデアでした。自分でも多少は広報のあれこれが理解できたかな、という自信がついてきた頃でもありましたが、それよりも、広く質問を募って、それに答えるという作業を自らに課すことによって、広報の勉強を続けようという気持の方が強かったと記憶しています。
ところが、この思惑はあまり成功しませんでした。当初こそいくつかの質問が寄せられましたが、そのうち一通も来なくなりました。それにつれて更新もおろそかになり、ヒット数も減少するという悪循環に陥ったのです。しかし、このサイトがWEB上にあることで、ある種のプレッシャーを感じつつ広報の最新の動きから目を離さずにいることができたことは、振り返ってみればよかったと考えています。
もう役目は終えたのかな、と何度も考えましたが、時々PRPUBを読んで勉強しました、とおっしゃる方が現れるのです。私の知らないところで(あたりまえですが)、密かにお役に立っていたのかもしれません。それはとてもうれしいことです。
そのPRPUBのメインコンテンツである「PRFAQ」を、今回このココノッツのサイトに移管しました。これをもってPRPUBの歴史を閉じるつもりでしたが、考え直してもうしばらく残すことにしました。やはり「日本初」という栄誉は刻んでおきたいと思ったのです。WEB上から削除してしまったら、もう永遠にその事実は消えてしまいます。こういう考え方はITの世界では古めかしいものだろうとは思いますが、害のない自己満足だと思って許してやってください。
バディの能力
2008.09.18忙しい朝はラジオを流すに限ります。先日もラジオから流れるニュースを聞くともなしに聞いていたのですが、意外なニュースに思わず立ち止まりました。
『アリゾナ州で、犬が電話で119番通報をして飼い主の命を救ったそうです』
この犬は受話器を前足で外して、前歯で911番(日本の110番と119番に相当する)をプッシュして、ワンワン吠え続けて救急隊を呼んだというのです。
不思議!犬が人間並みに状況判断をして行動を起こすなんて、あり得ない気がします。でも、もしかして10歳くらいのわんこで人間と話しができる位に頭が良くなっていて、そんな事ができるようになったのかも知れませんね。そういえば、以前、20歳近い老犬がテレパシーでご主人が外出さきから家に帰ろうと考えた瞬間に玄関に移動して待っている、というドキュメントがあったりして、と考えていると、、、
「この犬は介助犬で、飼い主がいざという場合にそなえて訓練したあったのだそうです。」
介護犬なら、と思わなくもないですが、よく考えれば、訓練された介助犬だとしても、犬にそんな高度な知能があるのが疑問です。 因みに我が家で私が突然倒れたら、我が愛犬はどういう行動をするのだろうかと試した事があります。しばらくは前足でねえねえと起こそうとし、ワンワンと吠え、そのうち、Zzzzと寝息をたてて寝てしまいました。(私は寝ているんじゃなくて、倒れているのよ。誰か助けを呼んできて〜)といってみても、『あ〜起きた〜。あそぼ〜』というばかり。
そこで早速インターネットで先ほどの賢いわんこのことを調べてみると、ありました。
シェパードが911番、飼い主の命救う 三度目のお手柄
米アリゾナ州のジャーマン・シェパード「バディ」が飼い主の発作を911番へ「電話で通報」して命を救い、これが通算3度目のお手柄。飼い主のスタルネイカーさんは10年前に頭部を負傷して以来、発作が起きるので、介助犬のバディに911番通報のトレーニングをしていました。バディはいまでは通信員が応答するまで911番にダイヤルし続けることができるのだそうです。当然、スコッツデール救急システムにはスタルネイカーさん宅に911番通報できる介助犬がいることが登録されておりました。
驚くことに、このバディ君はわずか1歳半! 訓練すれば、わんこのIQでもこれほどのことができるということなのでしょうか。
隣で惰眠を貪る君よ、取り敢えず、甘え上手なことは分かったけど、ちょっとはバディ君を見習わない?
PS ココノッツブログ始めるから書いてね。これは業務命令だからと仰る。ブログって業務命令で書くもんじゃないでしょう〜(^^;と思いつつも、、、書き始めました。励ましのコメントお待ちしております。
両国あたりを
2008.09.14 どうもこのところオンとオフの境目がなくなってしまって・・・。勤め人の時代と違って、オフの日に仕事をするのはそれほど苦痛ではありません。むしろ楽しくやっています。この3連休にも原稿を1本書かなくてはならず、さるクライアントへのヒアリングの準備もするつもりでした。しかし、こんなことを続けていると、いずれ枯れ果ててしまいます。オンとオフ、メリハリをつけなければいけません。
と、そういうわけで、この3連休初日の13日は両国へ行ってきました。お目当ては江戸東京博物館の「北京 故宮書の名宝展」です。ここに展示されている王羲之の「蘭亭序」という書を一目みたいと思っていました。40歳前後の数年間、先生について書道を学んでいたことがあります。そのときのお手本がこれ。書の最高峰といわれているものです。会期が長いと思ってすっかり安心していたら、この15日で終わりということに突然気がつきました。そこであわてて出かけたわけです。書の展覧会など空いているだろうと高をくくっていたのは大失敗。会場はかなりの盛況。私と同じような駆け込み組が多いと見ました。
せっかく「下町」まで行くのだからと、久しぶりに重いデジタル一眼を肩に持って出ましたので、博物館を出て両国駅の東側あたりを一回りしてみました。町内は秋祭りの準備。これはいい写真がとれる、とは思ったのですが、なかなかそうは行きません。
よい写真は撮影者のセンスと粘りがつくり出す、と20代にして悟りは開いたのですが、いつまでたっても進歩がみられません。
今日、ここから始まる「ココノッツブログ」
2008.09.13みなさま、こんにちは。
株式会社ココノッツの君島です。
今日、ここから「ココノッツブログ」をスタートさせます。ココノッツ(CocoKnots)は広報コンサルタントファームではありますが、このブログのテーマは広報やIRに限らず、あっちこっちに飛び回る予定です。
書き手は当面、君島と(書くのをいやがっている)荒木の二人になるだろうと思います。医療ジャーナリリストの田辺功は本人のページを別に設けていますので、もっぱらそちらに書き込みます。
私は怠け者です。人間は“怠けたい怠けたい”という思いをつのらせることによって文明を進歩させてきました・・・なんて、そんな難しいことはどうでもいいんですが、過去に2回ほどブログに挑戦して破れた経験があります。こどもの頃から日記が1ヶ月と続いたことがありません。しかし、このブログは「仕事」と考えて続けようと思います。仕事に関しては、私、結構がまん強いのです。
あ、そろそろ出掛ける時間です。クライアント(になるはずなんだけど)を待たせてはいけません・・・と、そういうわけで、みなさま、よろしくお願い申し上げます。