君島邦夫のココノッツブログ

ココノッツ創立者であり現在は取締役会長の君島邦雄が
広報や医療に関する話題を中心に日常感じたことを勝手に書いています。

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ココノッツ創立者であり現在は取締役会長の君島邦雄が広報や医療に関する話題を中心に日常感じたことを勝手に書いています。

カテゴリー:「広報」の記事

それもアリですが・・・

2020.02.14


昨年末、ひょんなことから2泊3日の緊急入院生活を送ることになってしまい、所在ないので病室のテレビでM-1グランプリを見ていました。サンドウィッチマンが優勝した年以来です。こちらの体調もあってか、優勝者のミルクボーイの漫才が特段面白いとも感じませんでしたが、これでもかこれでもかとコーンフレークをいじり倒すネタに、メーカーはどう対応するのかに興味を惹かれました。メーカーにとっては必ずしもポジティブに受け取れないツッコミばかりですから。
その対応について2月8日、毎日新聞が報じていました。日本ケロッグのブランドマネージャーがネタの一つ一つに回答したそうです。たとえば、「晩飯でコーンフレークが出てきたら、ちゃぶ台ひっくり返すもん」 に対しては、「実際においしさを知ってもらえたと思いますので、ひっくり返さないでもらえるとうれしいです」。「回るテーブルの上に置いて回したら全部飛び散るよ」に対しては、「想像してみたのですが、確かに勢いよく回すと飛び散りますね。普通に回してください」というように。
広報的な対応としては、なかなかお上手だと思います。ただ、「1月末にはミルクボーイが同社の公式応援サポーターに就任。就任イベントでコーンフレークネタを一部修正した限定バージョンで披露した。日本ケロッグはCM制作も検討している」というのには、少々違和感を感じます。敵を抱き込んでしまう戦略で、それもアリかもしれませんが、そういうことができるのは大きな資本力を持つ大企業だけです。決して広報の王道ではないと考えますが、どうでしょう。

ただし、です。

2020.02.03


雑誌「選択」の新聞広告に「危機管理『PR会社』が大繁盛」と出ていました。隣の芝生は青く見えます。
こちらは前向きな広報のお手伝いをメインにしていますが、長年の経験を買われて危機に直面した企業さんから支援を要請されることもあります。大騒ぎに巻き込まれた会社としては、社員だけでは心もとない、外部の目によるアドバイスがほしいとお考えになるのでしょう。そのような発想をする会社は、もうそれだけである程度は危機のトンネルの向こうに光が見えていると言えるかもしれません。
と、エラそうに書いてしまいましたが、「広報コンサルタントによって危機から見事に脱出」なんてことは金輪際あり得ません。ホンの少しよい方向に舵を切るお手伝いができるかなといったところです。それでも結果に大きな差となって出てくるケースが少なくありません。
ただし、です。私たちのアドバイスに会社が謙虚に耳を傾けていただければというのが前提です。
それぞれの業界でリーディングカンパニーになっている企業は殿様です。自覚はないかもしれませんが、周囲を睥睨しながらバリバリ中央突破した成功経験を積み重ねています。そういう企業ほど、他の意見を聞く耳を持ちません。医師免許も弁護士免許も調理師免許も持っていない(中型運転免許は持ってます)広報コンサルタントのアドバイスなど、業者のセールストークくらいにしか認識しないようです。危機に直面しながらも、「自分たちが求めること仕事だけをやってくれればいいよ」ということになりがちです。それでは広報コンサルタントの仕事はよい結果を残せません。そういう基本的理解ができない会社の仕事はできればご遠慮申し上げたい。
ただし、です。目の前に札束を積み上げていただければ、翻意するにやぶさかではございません。

放っておいてよいものか?

2020.01.22


かつて大騒動になったWELQ問題以来、ネット上の医療情報に関しては非科学的な情報が少なくなったようです。Google検索では上位に比較的まともな情報が上がってきます。そのようなアルゴリズムに改善されたそうですが、それでも眉唾ものの情報がなくなったわけではありません。
世の中には科学的な事実よりも反科学主義的な考え方を好む人たちもいて、そのような人たちは吸い込まれるようにおかしな情報にリーチしてしまうようです。自分だけが信じるなら、それはご自由ですが、さらにSNSなどで拡散しようとするのを見ることも少なくありません。
そのときどうするのがよいのか、少々迷うことがあります。こちらは医師でも研究者でもありませんので、頭に蓄えている情報はすべて伝聞情報にすぎません。自分の知識が絶対正しいという自信はまったくありません。それでも、あまりにもおかしな情報を、それも知人が信じ込んで拡散しているのを見たりすると、これを放っておいてよいのかと迷ってしまいます。コメントに「これはフェイクですよ」などと書き込めば、人間関係には好ましい影響を与えません。が、SNSは半ば公共的なメディアですから、その投稿を読んで信じ込む人がほかにも出てくるかもしれません。
こんなことで、自らの倫理感を試されることになるとは・・・。

新年のご挨拶とさせていただきます

2020.01.06


あけましておめでとうございます。
今日から仕事始めということで、メールも電話も少ないので業界各紙の1月1日号をパラパラめくっております。
恒例の、というべきか、毎年変わり映えもせず、というべきか、役所の幹部やら業界団体のトップやらの年頭所感がいくつも掲載されています。はっきり申し上げて、ほとんど読む価値がありません。
思い起こせば筆者もかつて年頭所感のゴーストライターをつとめた経験が少なからずあります。執筆のコツは、その時々のトピックスを散りばめること、厳しさを強調しつつも期待感を表明すること、署名筆者の個性をほんの少し臭わせること、そして何はともあれ無難な内容にすることなのです。読み手の参考になったり、役に立ったりする内容を提供しようなどとは少しも考えません。故に、読む価値がないのです。
仕事柄、それらを承知の上で斜め読みしましたが、7割方の結びの言葉が、「・・・を持ちまして、新年のご挨拶といたします」とか「新春の挨拶に代えさせていただきます」という紋切り型で終わっていることに、いまさらながらうんざりさせられました。これから各所で開催される賀詞交歓会でも「業界のご発展を祈念いたしまして、ご挨拶とさせていただきます」が締めの言葉になります。まあ、目くじらを立てるほどのことでもありませんが、こんな言葉を読んだり聞いたりするたびに、年が明けても世の中変わらないなあ、と思うのであります。

「いいね」はもういいね

2019.12.13

FacebookやTwitterなどへの投稿に対する「いいね」について、心理学やら社会学やら民俗学やら、ネットでいくつかの考察を読んでみましたが、どれが「いいね」なんだか「よくないね」なんだかよくわかりませんでした。「いいね」が多いとうれしいのは承認欲求が満たされるから、という説には納得できますが、若い人たちは「いいね」をつけるかどうかですべての事象を判断している、みたいな極論には「いいね」をつけかねます。それほどのものかどうか・・・。
Facebookなどに投稿すると、何でもかんでも「いいね」をつけてくる人がいます。知り合いの投稿には、中身を読まずとも「いいね」をつけるのが礼儀と心得ておられるようです。「読みました」というお印といった意味合いもあるでしょう。一方で、まったく「いいね」を送って来ない人もいます。何万というフォロワーを持つタレントさんや有名人なら理解できますが、そうでない人たちの場合はどういうことなのか? 威張っている、見下している、ばかにしている、まあそんなところでしょう。こちらは、ときどき「いいね」しているというのに・・・。どちらにしても「いいね」がうざったいことには変りありません。SNSにも少々飽きてきました。世の中でもいまがSNSのピークである、と大胆に予言しておきましょうか。

アジア的な

2019.10.04

脱亜入欧。いまとなっては胡散臭いスローガンですが、明治の頃はみんな「そうだ、そうだ」と燃えていたのではないかしら。時代が下って、戦後の日本では「アジア的」という表現がネガティブなニュアンスで使われていました。日本は欧米型の民主国家であるという前提で、アジア諸国における非民主的な政治体制や、袖の下がなければ何事も進まない社会を上から目線で軽蔑するニュアンスの「アジア的」だったように思います。
ところがどうです。いまとなっては日本こそが典型的にアジア的な国家であることが、あちらこちらで露見しつつあります。「民主的」なのは外形だけで、極めてアジア的な政治運営がまかり通り、選挙結果は国民がそれらを是認しているかのようです。億という単位の袖の下をもらった電力会社の経営者が平然と記者会見に応じているのもまた、アジア的奇観と言えるでしょう。
一方で、日本が範をとってきた欧米諸国の方も少々怪しくなってきました。袖の下が堂々とまかり通るほどには堕落していないかもしれませんが、独裁国家への願望が膨らんだりしぼんだりしています。
おっと、こんな偉そうなことを書くつもりではありませんでした。関西電力の記者会見を見て、これをサポートしているだろう広報コンサルタント氏に同情しているということを書こうとしたのでした。
あるジャーナリストがSNSに「このケースは非があまりに明々白々で、会見の場で関電経営陣を辞めさせなければならなかった」と書いていました。私も同意見ですが、このような会見で会社側へのアドバイスを頼まれたらどうするか。広報コンサルタントは弁護士ではありませんから、限りなくブラックな事例をカバーする理由はありません。莫大な金額を提示されたらグラグラ来るでしょうが、それを受ければ一蓮托生となってしまいます。ま、広報コンサルにびっくりするほどの金額を提示する会社もないでしょうし、実際に頼まれてもいないのですから私が悩む必要はありませんが。

実用文も文学も

2019.08.19

8月17日付の朝日新聞「天声人語」を読んで、初めて高校の国語で「文学」が選択科目になることを知りました。代わりに実用文として行政のガイドラインや駐車場の契約書が出てくるのだとか。
行政のガイドラインが実用文の模範例かどうか大いに疑問ですが、これまで日本の国語教育において実用文が不当なくらい軽んじられてきたことを考えると、これは悪いことではありません。企業にいた頃、主任や課長への昇進試験の「小論文」をたくさん読まされましたが、9割ほどは日本文を書く基礎がまるでできていませんでした。しっかりした文章が書けるような教育はとても重要です。欧米ではすべての課目のベースとしてwritingやécritureが重んじられていると聞きます。問題はそれを教えられる先生がいるのかどうか、ですが。
蛇足ながら、実用文の一典型はプレスリリースではないかと考えています。ぜひプレスリリースを書く練習をしてほしい。間違いなく有益です。
一方で、文学を選択科目にするという暴挙には絶対反対です。先日、某放送局の敏腕ディレクター氏が米国へ取材旅行に行くに当たり持参する5~6冊の本をSNSで公開しているのを見ました。その中に小説は一冊もありませんでした。「勉強熱心」なのは結構ですが、この方の10年後を思うと、かなり残念な気がしたのであります。

日韓問題とネコ問題

2019.08.06

最近の嫌韓、韓国バッシングと反日、抗日は少々度を超しているようです。どちらが悪いのかウソを言っているのか、そんなことはわかりません。双方とも政治的プロパガンダが激しいので、報道を注意深く読み込んでも真実を把握することは不可能に近い。広報を仕事にしているからには、両国のプロパガンダを冷静に見極めたいところですが、昨今はそのような一歩引いた立場さえ批判の対象になりかねません。いまの政権に批判的な発言は激しい批判にさらされ、その対象が拡大しつつあるようにも感じられます。
さて近頃、ネコ好きの人が多くなったと思いませんか。SNSでも、私の場合だけかもしれませんが、愛猫やらノラ猫やらの写真を連日見せつけられます。法整備が進んだこともあり、動物愛護の精神が普遍化しつつあることも背景にあるのでしょう。私自身は子どもの頃から動物を飼った経験が少なく、ネコにもイヌにも小鳥にも馴染みが薄いのですが、動物愛護には大賛成です。
問題はここからです。私はネコが好きではありません。しかし、そのように言いにくい雰囲気が、いまの日本にまん延しているような気がします。ネコ好きから大顰蹙を買うばかりでなく、非猫民と厳しく批判されそうな恐怖さえ感じます。
日韓問題とネコ問題、どこか似ていると思っているのは、たぶん私だけでしょうね。

乗り気になれません

2019.07.24

1964年、どうしてもオリンピックを見たい、見逃したら一生後悔すると思い詰めて、新宿三丁目の交差点にいまもあるJTB(当時は日本交通公社)にチケットを買いに行きました。すでに発売から日が経っていて、売れ残っていたのは人気薄の競技ばかり。その中からホッケーのチケットを1枚買いました。
ところが開会式間近となって、その試合に出るはずの国が棄権だったか来日しなかったか、どちらにしても試合は中止となりました。これでオリンピックを見るチャンスは失われてしまいました。
大会中は休校になったのかどうか記憶にありませんが、白黒テレビでマラソンを見ていたら、そのコースは甲州街道。自宅からそれほどの距離ではありません。いまから行けばアベベや円谷が見られるかもしれない。「オリンピックを見た」ことになると急に思い立ち、闇雲に走り出しました。しかし、半分ほどのところであきらめました。中学生が思っていたより甲州街道は遠かったのです。
さて、来年のオリンピック・パラリンピック。56年前の中学生と同じような気持になっている人もいるでしょう。経済的に潤う人たちが存在するのは間違いありません。しかし、多くの予算を費やし、多くの人たちを動員し、交通を渋滞させ、メディアを巻き込み、テロのリスクを増大させることが、どれほどこの国に住む人たちの将来の幸せに貢献するのか、さっぱり理解できません。広報を仕事としている以上は、お祭り騒ぎに乗じて多少のおこぼれにあずかろうとするのが当然かもしれませんが、あまり乗り気にはなれません。普段見慣れない競技を会場で見るのも悪くないなとは思うもののチケット購入にもいまのところ積極的に動いてはいません。
先日テレビを見ていたら、どこかの大学教授が、来年のオリンピックやパラリンピックは「第二の開国」になると言っていました。能天気もいい加減にしろ、と言いたくなりました。

 

メディアの偏向

2019.05.15

市民間で意見が割れるような問題について、新聞やテレビなどのメディアがどちらに組みして報道しているか。なぜこちら側に同情的なのか。以前と異なる報道が出て来たり、新しい事実が次々に明らかになってもなかなか論調を変えないのはなぜなのか。と思うと、口を拭って沈黙しつづけることもある。それはなぜなのか。
政治に関してはむしろ単純です。近頃は大手メディアの旗幟が鮮明になっていますから、ある新聞は大きく報道しある新聞は黙殺していても、はは~んと推測できる。こんな報道姿勢をとるだろうなあと読む前に予想がつくほどになっています。考えてみればつまらない話です。新聞が読まれなくなった要因の一つでしょう。
そんなとき、よい本が出版されました。小島正美著「メディア・バイアスの正体を明かす」(エネルギーフォーラム新書)
小島さんは昨年まで毎日新聞で編集委員を務めておられた医療や食品問題を専門とするジャーナリストです。ここには右や左の政治のことは書いてありません。子宮頸がんワクチンや遺伝子組換え食品などを例に、なぜ新聞がこのように書くのか、このように書かないのかを極めてクリアカットに説明しています。新聞社を退職されたので自由に書けたという面もあるのでしょうが、すべての新聞記者OBがこのように書けるわけでもありません。報道の内側にいて、「これはおかしいじゃないか」という問題意識を常々持ち続けておられたからこそ書けたのだと推測します。広報を仕事をしている人にも、目を開かせてくれる好著です。

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