Cocoknots

株式会社ココノッツ

君島邦夫のココノッツブログ

ココノッツ創立者であり現在は取締役会長の君島邦雄が
広報や医療に関する話題を中心に日常感じたことを勝手に書いています。

君島邦夫のココノッツブログ

ココノッツ創立者であり現在は取締役会長の君島邦雄が広報や医療に関する話題を中心に日常感じたことを勝手に書いています。

カテゴリー:「よもやま」の記事

ご厚意には感謝いたします、が

2022.06.23


世の中で最も読まれない出版物は「社史」、と常々断言しております。たまたま元の勤務先が100周年を迎えるとのことで、現役当時の会社のことを話してほしいと依頼を受けました。その社史が出来上がって送られてきましたが、パラパラとページをめくっただけで本棚の奥へ直行となりました。協力者一覧に記載されている私の氏名に誤字もありましたし・・・。
もう一つ、どうしたらよいか途方に暮れる出版物があります。知人の書いた自費出版本です。
つれづれに書かれたエッセイ(ある年代より下ならブログとなるのですが)、趣味で研究した新発見、俳句集、中にはご自身が一生懸命努力したプロジェクトを記録したものも・・・その他もろもろ。
先日、ある大先輩にお会いしたら、「また本を書くから送るよ」と言われて、返事に窮しました。ご厚意はありがたいのですが、いただいた以上は目を通さなければなりません。その上で、礼状ハガキかメールを出さなければ・・・。それが俗世の義理というものです。ところが、これが難しい。小学生の頃から読書感想文は大の苦手で大嫌いです。
こういうことが度重なるうちに、この苦境をなんとか切り抜ける方法を見出しました。
その一。本は読む前に礼状を出す。
送られて来たら、そのことに対してのお礼を申し上げる。「これから読むのが楽しみです」なんちゃって。すぐに読む義理はなくなります。
その二。本の内容には直接触れることなく、その周辺のことを書く。
読んでいないのですから、内容について書けるわけがありません。ざっとページをめくってみて、海外旅行記だったら「衰えることのない好奇心とご健脚には頭が下がる思いです」。句集だったら「よいご趣味をお持ちでうらやましい」。中身がなんであっても使えるのが「ご健筆にはホトホト敬服いたします」。いかにも白々しいですが、そこはやむを得ません。
さてつい先日、昔の同僚で隣町で趣味の教室を開いている人が、エッセイ集を発行したので買ってくださいと、SNSに投稿しているのを見つけてしまいました。間違っても「いいね」などは送らないように、黙ってやり過ごすことにいたしました。

巨人、大鵬、卵焼き

2022.05.30


「巨人、大鵬、卵焼き」は、堺屋太一氏が言い出しっぺだそうです。誰も彼もが好きなものを挙げたと理解されていますが、大勢に迎合できる無難な方法を象徴的に示したとも考えられます。自立した精神の持ち主ならば「阪神、柏戸、だし巻き玉子」で行きたい。
と、この導入はさほど意味はありません。阪神タイガースに関連したことを書きたいと思っただけです。

「まあ、見た目に大仕事ってことではないけど、(長坂)拳弥(捕手)もなかなかスタメンで出るっていうチャンスがない中で、それがどうつながっているかは分からないけど、俺も球場早く来るけどアイツたぶん一番早く、選手で(来ていて)。必死に何か変えたいとか、何かしたいっていうのがアイツの中でも変わってきているところがある中で今回、チャンスって最初はそんなに多くないんで。少ない中でどうつかんでいくかっていうところをこの2試合でアイツ自身がいい形でつかみとった2試合だと思うんでね。これをやっぱり1軍の試合でこれだけ勝つ試合でマスクをかぶれば、これだけ緊張もするけどこれだけ充実感があるんだとか。そういうのも味わえるポジションだと思うんで。ほんとに拳弥の働きっていうのは数字に大きく表れるようなことじゃないけど、貢献度は高いんじゃないかな」(2022.5.22. デイリースポーツonline 阪神矢野監督インタビューより)

何が言いたいのか、阪神ファンならわかりますが、そうでなければさっぱりわかりません。たぶん矢野監督の頭の中をそのまま反映しているものと思われます。正直と言えば正直なんですが、矢野監督にメディアトレーニングをしてほしいと依頼されたらどうしようと、阪神フアンとしては、頼まれるはずもないのに少々気を病んでおります。
まさか「巨人、大鵬、卵焼き」のビジネス界で経験を積まれてこられた方々の中に、これほどの例はないだろうとは思うのですが・・・。

SNS上の悲しみ

2022.03.29


インターネット上に残った故人の書き込みや写真をどうしたらよいものかと、ときどき話題に上ります。
身近にも、Facebookで写真のグループを主宰していた写真家さんが亡くなり、その後も主のいないままグループが存続しているケースがあります。メンバーからの投稿は続いていますが、代表を他の人が継ぐことも閉鎖することもできないようです。
Facebookで経験するもう一つのつらい現実があります。
在宅医療の患者さんを支援する活動に携わっていた知人ががんの末期になってしまいました。彼は毎日のようにFacebookに書き込みを続けていて、その投稿の末尾には必ず「今日も無事に楽しくお疲れ様でした~ルンルン~」と記していました。その投稿は亡くなる数日前まで続きました。それを読む私たちは、彼の入院や治療や一時退院などの経過を逐一知ることとなり、病状が徐々に悪化して行くさまを目の当たりにすることになったのでした。
そしていまも知人が一人、末期がんと闘っている日々をFacebookに書き込んでいます。いまは書くことが、その人にとっての何ごとかになっているのでしょう。
SNSがなければ肉親や親しい友人だけに共有されていたであろう病気の進行を、それほどは親しくない私たちまでもが同時進行で知ることになる。SNSが登場するまでは考えも及ばない事態と言えます。
それがよいことか悪いことか、と二者択一で判断できることではありません。書き込む人もそれを読む人も、これまでとは異なる、なにがしかの覚悟が求められていることだけは間違いないようですが。

「ココランチ」本日閉店

2022.03.12


本日、このココノッツのサイト(ホームページ)にあった「ココランチ」というコラムを削除しました。
2008年の創業間もなく、ココノッツのある麹町/半蔵門界隈でランチをとるのにお薦めのお店を紹介するコラムとして設けました。少しでもココノッツのサイトを覗きに来てくださる方を増やしたい。つまりPVを増やす目的で始めて足かけ14年続きました。自分たちで実際に食べて「ここはいいねえ」と言える店だけを紹介することにこだわりました。ときには批判や皮肉も書かせていただきました。しかし、もうダメです。ご推察の通りCOVID-19、新型コロナの影響です。
2020年から出たり引っ込んだりした「緊急事態宣言」やら「まん延防止等重点措置」やらの中で、この界隈でも多くの素晴らしいお店がひっそりと、いつの間にか消えてしまいました。
ココノッツもリモートワークが中心となり、社員が出社する日が極端に少なくなりました。会食が制限されると、お昼を食べに出るよりコンビニ弁当やキッチンカーで購入したランチが多くなりました。外食しなければお店の情報も得られません。知らないうちに閉店していて驚いた、といったことが重なりました。
そんな中、新たに開店するお店もありました。しかし、それらを利用する機会が滅多に訪れないので、「ココランチ」で自信を持ってお薦めすることができません。
そんなこんなで、「ココランチ」を継続することはあきらめました。
これまでお読みくださったみなさま、利用していただいたみなさまには申しわけありませんが、そんな次第で「ココランチ」も新型コロナに負けたのでした。
(画像は本文と関係ありません)

「はい、ハム~!」

2022.02.28


Photoshopという画像ソフト、とても高機能なのですが、そこにまた新しい機能がつけ加わりました。顔写真を笑顔に自動修正するというもの。
むっつりを笑顔にすることもできますが、笑いすぎを修正することもできます。パスポートや免許証の写真は大笑いだと却下されることもありますから、役立つかもしれません。試したのが上の写真です。どちらが修正したものかわかるでしょうか。
一般にはニッコリ笑顔の写真が歓迎されます。「はい、チーズ!」も口角を上げさせるおまじないです。どうして写真は笑顔でなくてはいけないのか。そこに噛みついたのが、かの夏目漱石です。
ある雑誌社から写真をもらいたいと電話がかかってきます。「あなたの雑誌へ出すために撮る写真は笑わなくってはいけないのでしょう」と言うと、「いえ、そんなことはありません」と言う。当たり前の顔でよいのならと承諾して撮影にのぞむと、「お約束ではございますが、少しどうか笑っていただけますまいか」と言う。その注文には取り合わなかったものの、送られて来た雑誌に載った写真は笑っていた、というのです。随筆「硝子戸の中」に出てくるエピソードです。
どうやら写真を修正したらしい。その頃のことですから筆で修正したのでしょう。フィルムの時代、つい最近まで修正用の細筆などが販売されていました。
この話に出てくる雑誌は大正時代に発行されていた「ニコニコ」のようです。ある銀行の頭取によって創刊されたこの雑誌は当時発行部数第二位。口絵はもとより本文中にも「笑う写真」を多数配していたそうです。この雑誌によって「笑う写真」が誕生し、普及したということです(岩井茂樹:国際日本文化研究センター刊日本研究 61, 45-67, 2020-11による)。
私たちは笑顔で撮るのが当然と思い込んでいますが、そんな経緯があったのですね。さすが漱石先生です。物事の本質を射抜いています。そうと分かれば、「はい、ハム~!」と口を閉じてもよさそうな気がします。

式が嫌いな次第で

2022.02.21


冬季オリンピックが昨夜で閉幕しました。閉会式の中継は見ないで寝てしまいました。開会式も見ていません。昨夏のオリンピックの開会式も、事前にもろもろの問題が報じられていましたので、傍目八目で少々見たものの、やはり途中で寝に就いてしまいました。
競技は楽しませてもらいましたが、セレモニーにはどうにも興味がわきません。面白い趣向が登場するかもしれませんが、それがどうした?というカンジ。感性が鈍いのだと言われれば、その通り。セレモニーへの感性が薄いのです。
小学生のときから入学式だの卒業式だのにはうんざりしていました。校長の挨拶というか訓示というか、あんなものまるで聞いていなかったし覚えていません。来賓の地方議員やPTA会長の挨拶においておや。なぜあんなことが続いているのでしょう。大学の卒業式にも出席しませんでした。
先日、マンション管理組合の重要事項説明会というものが開催されました。1000人以上いると思われる住人のうち、出席者は6名のみ。管理業者の社員さんの説明と若干の質疑のみで終わりましたが、出席者の一人が「組合長がこの場に立ち会っているのだから、挨拶の一つもしたらよかったのに」と言っていました。そういう挨拶好きもいるんですね。ま、「けじめ」がほしいということかもしれません。その気持もわからないではありませんが。
さて、記者発表や記者会見をセレモニーの一種と思い込んでいる会社があるようで、これは大きな誤解だと思います。会社にとって記者会見の開催は一大事であることは間違いありませんが、記者会見は情報提供の場であると認識した方がよいと考えます。記者が会見に出席するのは、情報がほしいからであって、セレモニーに出席する栄誉を得たいと考えているわけではありません。だからエライ人の単なる「ご挨拶」は不要です。エライ人が登壇する以上は、報道に足る情報を提供しなければならないのが記者会見というものです。

どうにも手に余る

2022.02.07


10年以上前、退職祝いに有志の方々からいただいたのがこの写真の携帯用ボトル。スキットルとかフラスコとか呼ぶらしいんですが、「酒好きにはこれだろう」と暖かいお気持で選んでくださったものです。中央には伸縮カップはめ込まれていて、これでスコッチをチビチビできる。なぜスコッチかと言えば、これがスコットランド製だからです。間違ってもバーボンやらジャパニーズを入れてはいけません。そんな法律はありませんが。
このタイプの新品はいまは手に入らないようです。結構なお値段します。
しかしです。贈ってくださったみなさまには申し訳ないことながら、たった1度使っただけで、どこにしまったかすっかり忘れてしまいました。家内捜索の結果、ようやく発掘したところです。
何故使い続けることがなかったのか。
理由の1:通でなくてごめんなさい。スコッチはストレートで飲むのはちょっとキツイんです。だからと言って水割りにして詰めるのもなんだかなあ。うまい焼酎を本場鹿児島でやるように前の日から水でで割っておく「前割り」ならよいかもしれません、日本酒を入れたらすぐに飲んでしまいそう。もう少し入るといいんですがね。いずれにしても、スコッチしばりですから、そんなことをしてはいけません。
理由の2:中身を飲み切ったあとも、そこらに捨てて帰るわけにはいきません。環境には大変好ましくはありますが、旅先で空容器を持ち歩くというのは抵抗があります。その昔の遠足では空水筒を持ち帰りましたがね。
ではさらに注ぎ足したらどうでしょう。行った先の酒屋で追加でスコッチを買うとしても、全部は入りきらない。残りはどうしたらよいでしょうか。飲んでしまう、というのも一つの解決策ですが、前後不覚に酔っ払ってしまいます。身体にも悪い。スコッチの残りが入ったビンをを持ち歩くなら、このスキットルを使う意味がありません。どうにも手に余る。
まあ、そんなこんなで使っていなかったのですが、寒い日が続きます。これを湯たんぽ代りにするのもよいかもしれません。どうせならただのお湯ではなく、スコッチのお湯割りを入れたりして。でも、冷めたら美味しくないだろうなあ。
と、寒い寒い昨日の日曜日、外出はオミクロンが怖いので、家に籠もって思案し続けていたのであります。

誤用を「お聞きします」

2022.01.27


「お聞きします」という表現は日本語としていかがなものか、ということになっております。
上はwordにATOKで「おきききする」と打ち込んで変換をかけたところですが、他の表現に言い替えろという指示が出て来ます。
「先生にお聞きしますと」
といった表現は誤用。
「先生にうかがいますと」
が本来の日本語の敬語表現。
ところが、いまは「お聞きします」ばかりで「うかがいます」なんてほとんど耳にしません。テレビを見ていると出演者たちが、アナウンサーを含めてみな「お聞きします」、「お聞きします」と何の疑いもなく連発しています。ディレクターがチェックを入れないのかしら、とも思うのですが、若いディレクターに「お聞きして」もまともな返答が返って来るとも思えません。
実は筆者もときどき口にしてしまいますので威張れたものではありません。それではいけないとずいぶん前に反省して、以後、意識的に「うかがいます」と言うように心がけています。何年間も意識し続けていると、90%くらいの割合で「うかがいます」になっているかと思います。だから意識すれば修正可能ではありますが多勢に無勢。すでにすっかり「お聞きします」の世になっています。
たとえばメディアトレーニングなどで、年配の社長さんが「お聞きします」とおっしゃったとき、修正をお願いすべきかどうか大いに迷います。信頼を得ようと思えば「うかがいます」、若さを演出したいなら「お聞きします」かなあ。よくわかりません。

開け植物園

2022.01.21

COVID-19の流行がオミクロンと呼ばれる変異型の登場でまたまたひどいことになってきました。この2年間にわたる知見の積み重ねで、少しは有効かつ合理的な対策が取れるのかと考えていましたが、そうでもないようです。
わが国政府もトップが変わって、前任者の轍を踏まないようにと苦労しているようですが感染者は増えるばかり。英国も米国も現時点では感染者数のピークアウトが見えていないようですから、どこの国も同じようなものなのでしょう。

まん延防止等なんとか、というのが多くの都道府県に出されました。それによって東京都の場合、都立庭園や神代植物公園などが休園となってしまいました。都立公園には入れるようですが、昨年の緊急事態のときはそれらも立入禁止となっていました。
これが疑問なんです。
素人考えではありますが、密閉した室内にも大人数の会食(バーベキューは禁止)にも当たらない開放的な場こそ、こういうときには開放した方がよいのではないでしょうか。庭園や植物園を休園する必要がどこにあるんだ、と思います。
1年に1回行くか行かないかの神代植物公園に、こうなると無性に行きたくなるのは、生来の根性曲りだからでしょうか。

なかなか

2021.12.20


日常的で何気ない言葉が、ある人には特別な感情や思いを喚起させるといったことがあるようです。過去の体験、エピソードなどによって一度色づけされてしまった言葉は、もう何気ない言葉などではなくなってしまいます。私にとっては、「なかなか」という言葉がその一つ。若き日、先輩社員の口癖でした。その人は、
「あの部長はなかなかだからねえ」
というふうに使っていました。
その時の口調をいまでも鮮明に思い出しますが、なんだかわかるようでわからない。想像するに、「なかなか手強い」とか「なかなか言うことを聞いてもらえない」といった含意のようで、そこに「ちょっと普通ではない」といったニュアンスが加わっているようにも感じられました。言っている本人もどう表現してよいのかわからずに「なかなか」を使っていたのかもしれません。あるいは明確に表現するのをはばかっていたのかもしれません。

辞書の「なかなか」の項には次のように書かれています。
1.なかほど。半途。中途。
2.不徹底・不十分な状態、もしくは過度の状態が、逆に不満をかき立てること。
3.逆の状況や意味をもたらすこと。かえって。
4.かなりの程度であるさま。ずいぶん。相当に。「―のものだ」
5.(否定の語を伴う)簡単には。すぐには。

狂言で太郎冠者が「なかなか」と返事をすると、打ち消す意味で「とてもそうはなりません」だったり、「いかにもその通り」といった意味になるそうです。どうにも中途半端な表現ですね。

 何ごともなかなかのまま年暮るる

よいお年を。

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