自爆
2011.12.1
申し訳ないことながら(謝る必要もありませんが)私は軽度の阪神ファンです。「軽度」という意味は、めったに球場へ足を運ばないということであり、甲子園にも行ったことがありません。ただ、試合翌日のスポーツ欄ではタイガースの試合経過を真っ先にチェックしますし、シーズン中は全試合をテレビで見られるようにスカパーと契約しております。
さて、シーズンオフにプロ野球の話を持ち出したのは、例の讀賣ジャイアンツ騒動が起こったからです。
日曜日にテレビの報道バラエティを見ていたら、卵焼き屋の息子タレントが口を極めてクビになった元GMを批判していました。そうなのかな、とも思いましたが、新聞やテレビの情報しか知らない私には判断する手がかりがありません。またどちらが正しいとか間違っているとかいうような問題でもなさそうです。
しかしながら、世の多くのサラリーマンは元GMの方にある種のシンパシーを感じているのではないか、と推測します。
何年か会社勤めをすると、ほぼ100%の確率で自分の利益しか考えない経営者や“しょうもない”上司と巡り合います。自分の考えを通したい、でも通らない。自分の意見を言いたい、でも言えない。このような葛藤と戦いながら、気がつけば定年となっている。そのような勤め人たちには、元GMが自分の姿の写し絵のように見えるだろうと想像しております。
企業は民主的な組織ではありません。ではどんな組織なのか。その明確な定義は聞いたことがありませんが、社内では何事も多数決で決まることはなく、たいてい職階上位の人に決定権があります。そんな組織なのに、法律上取締役会は多数決が原則となっていて、なんとなく民主主義風な仕組みがあるために、勤め人たちはついつい企業の意思決定に対して幻想を抱いてしまいます。
社会の視点と企業の視点の交点で仕事をしている広報担当者のみなさんは、とくに強い葛藤を抱えているはずです。トップに直言したい、という思いを何年も心の底に抑えつけていて、ついに爆発させてしまった人も少なくありません。その多くは単なる自爆で終わったはずです。私には、そのような一途な広報担当者の姿と元GMの姿もまた重なって見えて仕方がないのです。〈kimi〉