そろそろ高校の同期会をやろうじないかと幹事として十数名が呼び集められました。
卒業生名簿の確認・再整理から当日の段取りまで、もろもろを決めなければなりませんが、そのような事務的な話はほんの十数分で終わってしまい、あとは焼酎で酔っ払う宴会になってしまいました。
肝心の打合せが簡単にすんでしまうのは、隅の方に坐っている一人の男の存在があるからです。
彼は幹事代表でも元生徒会会長でもありません。一幹事に過ぎませんが名簿の作成から出欠メールや往復はがきの文案まで、すべて彼の手によって事前に用意されています。それを見て「まあ、こんなところでいいんじゃないの?」と、あっという間にすませてしまうのです。
宴会に移ると彼はみんなの話の輪にほとんど加わりません。ウケル話も冗談の一つも言うことなく後景へと退いてしまいます。
この種の人物がどこの会社でも団体でもあらゆる組織に存在します。しかも多数派です。彼らは完璧なスケジュール管理や在庫管理などをなし遂げます。文書を作成させても誤字脱字がありません。一方で原理原則にはうるさい。前例を尊重したがる。細かい。整合性にこだわる。斬新な提案には抵抗を示します。クリエイティビティは一般に乏しい。しかし、命じられれば着実に遂行する。規則が変更されればそれを忠実に順守する。一旦前例ができてしまえばその後は何事もなかったようにそれを実行します。
こういう人たちは往々にしてアタマがカタイと評価されます。これは一種の悪口でもあって、時として「アタマがワルイ」の言い換えであったりします。実直ではあるけれどリーダーにはなりにくい。しかし、組織も社会もそのような大多数の人たちによって下支えされています。彼らがいなければ世の中回りません。
個人的にはこういう人種は少々苦手なんですが、こういう人たちのことをエスタブリッシュとかエリートとか上級国民とか呼ばれている人たちはいま一度思い出してほしいとも思うんです。だって彼ら多数派がいるから、その上にあぐらをかいていられるんですから。