広報では常識ですが
2013.05.31
橋下大阪市長の発言の「歴史認識」についてはコメントできるほどの知識を持ち合わせていませんが、危機(彼にとっての)への対応には首をかしげざるを得ません。
問題点はいくつかあると思うのですが、「誤報だ」とメディアに責任を押しつけたのはいただけません。囲み会見での発言はすべて各新聞社がICレコーダーで録音しているし、TV局はビデオで撮影しています。発言の全文を掲載した新聞もいくつかあります。これでは誤報もなにも起こりようがないことは誰の目にも明らかです。そこをいくら責任転嫁しても事態を悪化させるばかりです。
見出しに文句をつけるのは苦し紛れでしょう。新聞の編集権は言論の自由に関わる問題です。そう堂々と反論すればいいのに、「間違ったことは決して書いておりません」といった主旨の言い訳をしている新聞があったのには驚きました。企業が記事にクレームをつけたときの対応とはずいぶん違いますね。
危機広報では、饒舌に弁解すればするほど泥沼に陥るリスクが高まるのは、広報を経験した人ならみな知っていることです。企業でも、内向きの論理で強気に出たがる経営者が少なくありません。それでは社会の納得が得られません。
彼が弁護士であることも象徴的です。企業が危機に直面したとき、広報の専門家のアドバイスを軽んじて弁護士の意見にだけ従うのは大きなリスクです。相手を証拠と論理で論破しても、得られる利益はそれほど大きなものではなく、反対に失うものの方がはるかに大きい。しかも、回復が困難なダメージを受けてしまう可能性が高いということは、広報の常識となっているのですが。 〈kimi〉
「騒ぎが収まる」ことと評判リスクを解消することとは別であると認識する必要がある。危機収束を速さよりはるかに重要なのは、顧客が他のステークホルダーなどが会社および経営陣を好ましいものとして心に留めるか、好ましくないものとして心に留めるかである。
-- ダニエル・ディアマイアー著 斉藤裕一訳「『評判』はマネジメントせよ」(阪急コミュニケーションズ刊)より