代替エネルギー
2012.07.10
代替エネルギーという用語を3.11以来よく目にするようになりました。Alternative energyの直訳なのでしょうが、なにか違和感を感じてしまいます。
終戦直後に使われた「代用食」は、白米に代わる主食という意味です。食糧事情が悪かった当時は、トウモロコシ粉とかコウリャン粉などを指してそう呼んでいたのでしょうが、そこには白米こそが主食であって、一時的にその代用で我慢しているというニュアンスが感じられます。いつかは白米に戻りたい、という願望が反映されているのでしょう。
「代替エネルギー」には、化石燃料や原子力こそが主たるエネルギーであって、その他はその「代替」である、という意図的な過小評価が込められているように思えます。
さて、気がつけばいまや日本人は白米がなくても平気になってしまいました。三食カップラーメンというのは感心しませんが、そば、うどん、ラーメン、つけ麺、パスタ、ペストリー、サンドウィッチ、スープ春雨、シリアル・・・たまには白米もいいよね、などと言う人もいます。それなら代替エネルギーだって、気がつけばエネルギー源の主流になっていた、という時代が来るのかもしれません。
と、こんな堅いことを書くつもりではありませんでした。
電車から毎日、ビルの中でランニングマシンを使っている人たちが見えます。エアロバイクで汗を流している人たちもいます。これらに使われるエネルギーがいかにももったいないような気がしてきたのです。これをエネルギーとして利用すれば、まさに再生可能エネルギーになります。走りながらベルトを回して発電する。エアロバイクにも発電機をつなぐ。そんな発電装置をアスレチッククラブばかりでなく、あちこちの公園や広場に備え付け、時間がある人は、ちょっとそこで汗を流す、と同時に発電をする。運動不足の解消と発電の一石二鳥になります。荒唐無稽でしょうか。しかし200年ほど前まで、ヨーロッパでは帆船とともにオールで漕ぐガレー船が実用に使われていたのです。日本にだって人力車や輪タクがありました。マンパワーを過小評価してはいけません。〈kimi〉