Cocoknots

株式会社ココノッツ

君島邦夫のココノッツブログ

ココノッツ創立者であり現在は取締役会長の君島邦雄が
広報や医療に関する話題を中心に日常感じたことを勝手に書いています。

君島邦夫のココノッツブログ

ココノッツ創立者であり現在は取締役会長の君島邦雄が広報や医療に関する話題を中心に日常感じたことを勝手に書いています。

福祉分野の勢いを見た

2017.09.28

国際医療福祉展に行ってきました。昨年に続いて2回目です。2週間前に痛めたコシが完治していないので、ざっと一回りしただけですが、医療系の展示会が勢いをなくしつつあるのと対照的に、相変わらずの大盛会でした。出展社も入場者も比較にならないほどの規模です。
福祉・介護の分野はまだまだ発展途上、さまざまな工夫の余地が大きく、新製品や新サービスが開発される余地もまた大きいということなのでしょうか。
最近のとくに電動車いすの進歩がすごい。展示されていた最新の高機能車いすを見ていたら、モーターショーでニューモデルを見たときのワクワク感のようなものを思い出しました。操作レバー部も好みのものにカスタム化できたりするようです。昔のMT車のシフトレバーのようですね。こんなカッコいい車いすに乗りたいなあ、などと考えてしまいました。技術の進歩や活発な製品開発が、障害者の生活の質を高めると同時に、新たな趣味性をもつくりだしたりする。障害を持っていたって楽しい生活は送れるよという提案。いいですね。
会場を出たら、広い通路を2台の電動車いすがすごいスピードで駆け抜けて行きました。そういう時代になっているんですね。

意思決定の遅さ

2017.09.26

日本企業の意志決定の遅さがしばしば批判されます。その要因はさまざまあろうかと思います。
私どもが経験するのは、提出した企画書なり見積なりに、いつまでたってもご返事がいただけないという極めて卑近な事例です。
ある企業さんでは、トップが漠然とした、あるいは抽象的な指示を出します。それを部下の担当者様が忖度して仕事を進めるというパターンです。担当者様からご相談を受けて、私どもではあれこれイマジネーションを巡らせて企画書を提出します。ところが、それをお忙しいトップに説明する機会がなかなか得られないようなのです。ここで何日も、ときには何ヶ月も経過します。
ようやくトップに企画書をお見せすると、なんとなく気に入らない風情を示されます。そこで、また私どものところに戻って来て、仕切り直しとなります。こんなことを何回も繰り返すことがあります。そのような案件で、成功した経験はありません。
要するに社内の意思疎通が悪いのです。それ以上に問題なのは、明確な意志や指示を出さないトップです。トップ自身も何かやらなければ、という思いだけで、何をやったらよいのかわからない、あるいは決断がつかないのでしょう。

わかっちゃいるんだけど・・・

2017.09.21

世の中には「広報のご意見番」みたいな方々がおられて、その多くが大企業の広報部長経験者だったりするのですが、「あの謝罪会見は失敗だった」、「あの事件の広報対応には問題がある」と厳しいご批判を、広報関係者だけが読むマイナーなメディアなどに書いておられます。中には、メルマガでわざわざご意見を送ってくださる危機管理広報専門家と称する方もおられます。
なるほどなあ、といつも感心しつつ読ませていただいてはおりますが、こういう方々の多くは実際のコンサルなどの実務はしておられないようです。
実務ばかりしているこちらとしては、「あれほど口を酸っぱくして注意しておいたのに、本番で『やっちゃった』んだよなあ」と残念な思いをすることが少なくありません。わかっちゃいるんだけど、そうはならない事情もあるんだよ、とも申し上げたい。
若いころ、「評論家みたいなことを言ってるんじゃない」とよく上司から叱られましたけど、その気持がいまにしてわかります。

素人談議

2017.09.04

政治に関してはまったくの素人だし、ましてや外交となるとさっぱりわかりません。でも、隣の国が物騒なものを開発して脅しをかけてくるとなると、いささか心配です。なにがなんでも戦争だけはごめんです。なんとか外交で解決できないかと思います。そんなアブナイ国には圧力をかけて「マイッタ!」と言わせるべし、というのがいまの「真っ当な」意見なのでしょうけれども、「わかった、わかった、そちらの言うことはなんでも聞いてやるから、核兵器とICBMだけは捨ててくれないか」と持ちかけるのはどうなんでしょうか。
そこで「はて?」と思ったのは、そちらの言うこと、つまり隣の国の真の要求は何かというのが、さっぱりわからないことです。米国の高官は、独裁体制を転覆させようとは考えていない、と明言しています。それでもミサイルは撃つし核実験もやるわけですから、ほかにもっと重要な要求があるのかもしれません。それは報道をみる限りよくわかりません。
「どんなに有利な条件を出されても核兵器とICBMだけは捨てられない」というのなら、何のためにそれらを開発しているのかわからないことになります。一番恐ろしいのは、核兵器とICBMそのものが目的化していることです。もしそうだとすると、話し合いの余地はなくなってしまいます。
以上、まったくの素人談議でありました。

なぜ助けないの?

2017.08.24

夏の高校野球は埼玉県の代表が初優勝したらしいですね。興味がないので今朝の新聞やテレビニュースで知りました。高校野球に興味がないのは、東京の生まれであること、都立高校の出身者であることが影響しているのかもしれません。その出身校も毎年予選1回戦敗退ですから。
興味がないので最近まで知らなかったのですが、開会式で選手たちが整列しているときに校名のプラカードを持って列の先頭に立っていた女子生徒が突然倒れてしまったということです。ネット動画で確認したところ、係員が駆けつけて、倒れた生徒を列の中に引き込み、観客の目に触れにくいように列外に運び出していました。
高校野球の恩恵を受けている大手メディアは取り上げませんでしたが、ネットでは整列している選手たちがそのまま直立不動を保ち、誰一人として倒れた生徒を助けようとしないことを批判する書き込みが見られました。当然です。選手たちの人間性を疑います。そのように育てた指導者は非難されるべきかと思います。それから、観客に見えないようにコソコソと倒れた生徒を連れ出した係員のやり方にも違和感を覚えます。
学徒出陣の出陣式じゃあるまいし・・・とイヤ~な気分になりました。

喜びの表現

2017.08.17

シリアスな記者会見のトレーニングで、笑顔を見せないようにとアドバイスすることがあります。サービス精神が旺盛なのか日本人の特性なのか、つい口元がほころんでしまう方がおられますが、そのような一部の方を除いては、深刻そうな表情を維持するのはそれほど困難なことではありません。
難しいのは喜びを表現する方です。記者会見で大喜びをするケースはめったにありませんが、たまにはお祝いごとや表彰式など、笑顔を必要とすることもあります。もちろん心の底から喜びがわき上がるときの表情は最高ですが、たいしてうれしくもないのにうれしい顔をしなくてはならないときが難しい。訓練を積んだ俳優さんならともかく、一般の方に、メディアトレーニングを行ったくらいでできるものではありません。
最近ミサイルの成功を北朝鮮市民が喜んでいるシーンがテレビに映し出されますが、喜びの仕草を振り付けるのに、かの地の当局者も苦労しているのではないでしょうか。彼らだって「白々しいジェスチャーだよなあ」と気づいているに違いありませんが、他に適当な喜びの表現やアイデアが浮かばないので、バンザイさせたり拍手させたりしているのでしょう。最高指導者の背中に負ぶさって喜んでいる軍幹部の写真もあります。あれは何度か撮り直したのでしょうか。「合図をしましたら、将軍は委員長のお背中に乗ってください。よろしいですか。ではサン、ニー、イチ。はい、撮れました」なんてやっていたとしたら面白いですね。

開けゴマ

2017.08.09

自分では新しもの好きだと思っているのですが、どうにもやる気が起こらないものもあります。スマホに向かって音声で指示を出すというやつもその一つです。開けゴマと唱えると岩壁が開くようなものですが、あれって、どういうときにやるんでしょう?
人混みでやると、周囲の人がびっくりしてしまうでしょう。電車の中ではやりにくい。タクシーの中でやったら、「お客さん、なんですか?」と運転手さんに問いかけられてしまいそうです。部屋の中に自分一人でいるときなら不都合はなさそうに思いますが、そのシーンを想像すると、なにかおかしい。
知り合いの経営者に、部下との会議の最中にもスマホに語りかけて調べ物をするという人がいます。「平気ですよ」とおっしゃるのですが、どんなものでしょう? 部下のみなさんも奇異に感じていて口に出せないだけなのではないでしょうか。
音声入力で原稿を書く人もいます。これは便利だろうと思いますが、文章言葉でしゃべることに抵抗があります。
著名な写真家が誤植だらけのブログを毎日書いています。おかしいなあ、と思っていたら、タブレット端末に音声入力をしているのだとわかりました。それは結構ですが、公開して多くの人に読ませるなら、入力後の文章の校正くらいしたらどうだと言いたい。まだ音声入力はそれほど信頼できるレベルには達していないようです。

SNSは単純接触効果がよく出る?

2017.07.26

SNSの浮沈は激しく、さしものFacebookもこのところ勢いが鈍ってきたような印象を受けます。ニュースフィードに掲載されるコンテンツが面白くなくなりました。どうしてだろうと考えたら、ある時期から「友達」を増やしていないことに気づきました。熱心な投稿者だった人もだんだんと飽きてくる。すると相対的に職業的あるいはマニアックな投稿者の書き込みや、特定の「友達」が「いいね」を押した投稿ばかりを読まされることになります。テーマの幅が狭くなっているようです。Facebookの勢いではなく個人的な問題でありました。
筆者の場合、午前中は反保守の記事、午後は保守系の記事が多くなります。反保守の「友達」は午前中にFacebookをチェックしていて、保守系の「友達」は午後にチェックしているためです。その影響で午前中は反保守で、午後は保守になっております・・・そんなことはないか。
がんの非標準治療を舌鋒するどく批判する投稿ばかり読んでいるので、わけのわからない免疫療法を受けようという人がいたら、断固止める決意をしております。
「いいね」をしたグループの投稿もどんどん表示されます。その中に蕎麦好きのグループがあって、毎日どこそこの蕎麦屋へ行った、こんな蕎麦粉で打ってみた、といった書き込みを読んでいます。すると蕎麦が無性に食べたくなってきます。
これらは、何度も見たり聞いたりすると次第によい感情が起こるようになってくるという単純接触効果(ザイアンスの法則)そのものです。意外に単純接触効果が出やすいのがSNSなのかもしれません。

「ところでございます」

2017.07.24

このところ「ところであります」をよく耳にします。もともと役人言葉として使われてきたようです。何事かを要求される、あるいは批判されると、〈その件はすでに把握していて手は打ってあります〉と釈明する際に使われることが多いようです。ところがこの役人言葉を、最近は政治家もやたら使い始めました。
以下は、先の都議会議員選挙で、「防衛相、自衛隊としてお願いしたい」と発言した問題に対する稲田大臣の釈明記者会見からの引用ですが、
「今日も含めて、一昨日の演説の直後に二度趣旨は説明いたしましたが、今日冒頭でも明確にさせていただいたところでございます。」
「こういう趣旨を繰り返し申し上げてきたところでございますし、・・・」
「誤解を招きかねない『防衛省・自衛隊、防衛大臣』のところは撤回をしているところでございます。」
「私は自民党の国会議員として、応援演説に伺ったところでありますが、」
「誤解を招く発言については撤回し、そして、お詫びを申し上げているところでございます。」
「誤解を招きかねない発言であったことから撤回し、お詫びを申し上げているところでございますが、」
「私の意図はあくまでも自民党員として、自民党の候補者を応援に伺っているところでございます。」                   (防衛省発表「防衛大臣記者会見概要」より抜き書き)
まだまだありますが、このあたりでやめておきます。
これをまともな表現に書き換えますと、
「今日も含めて、一昨日の演説の直後に二度趣旨は説明いたしましたが、今日冒頭でも明確にさせていただきました。」
「こういう趣旨を繰り返し申し上げてまいりましたし、・・・」
「誤解を招きかねない『防衛省・自衛隊、防衛大臣』のところは撤回をしております。」
「私は自民党の国会議員として、応援演説に伺ったわけですが、」
「誤解を招く発言については撤回し、そして、お詫びを申し上げております。」
「誤解を招きかねない発言であったことから撤回し、お詫びを申し上げておりますが、」
「私の意図はあくまでも自民党員として、自民党の候補者を応援に伺っているわけでございます。」     
どうして、こんなフツウの言葉が使えないんでしょう? そこに何ものかが潜んでいるようです。
政治家や役人の口から「ところです」、「ところでございます」が出て来たら、何かを守ろうとしているんだな、と思って間違いありません、と推測しているところであります

日野原重明さん逝く

2017.07.18

日野原重明さんが亡くなりました。
医療機器会社にいたころ、何度かお目にかかりました。すでに90歳代だったかと思います。日野原先生に関しては、いろいろな思い出がありますが、その一つ。
社内報の取材で、元気のよい女性の部下が二人、先生の取材に赴きました。帰社した二人をみるとグッタリした顔をしています。
彼女らによると、取材が終わったら急に強い疲労感に襲われたのだそうで、「なんだか日野原先生に精気を吸い取られてしまったような気がします」
偉大な人物への取材なので特別に緊張したのかもしれませんが、日野原先生の元気は若い人から吸い取った精気によるものかもしれないと、私ではなく、彼女らは信じ込んでいたのでした。実話です。
ご冥福をお祈り申し上げます。

メラビアンの法則

2017.07.11

「人は見た目が9割」などと誤解、というより意識的に悪用されまくっている感があるメラビアンの法則ですが、正しく説明しようとすると意外に難しい。広報のセミナーなどでは、シンデレラの継母を例に説明しています。
家中をきれいに掃除したシンデレラが継母に「お母さま、掃除はすべて終わりました」と報告します。すると継母は、シンデレラを睨みつけながら、「そうかい、それはよくやったね、シンデレラ。オマエはよく働くいい子だね」と言います。そのときシンデレラは、継母の表情や語調から、継母が本当の気持を述べてはいないと見抜いてしまいます。
学問的な正確性には自信がありませんが、これがメラビアンの法則です。
しかし、もっとよい例がありました。昨今のモリカケ問題に関する政府答弁です。与党政治家や官僚が言葉では否定したり、しらばっくれたりを延々と繰り返していますが、テレビ中継を見ている国民は、それが真実ではないことを、彼らの表情や態度や言い方から十分に読み取っています。彼らには、内容には問題があっても、「人は見た目が9割」といった本を読むことをお薦めしたいですね。

投票のセキュリティ

2017.07.03

一応都内に住んでいるので、昨日の都議会選挙も投票してきました。自民党が惨敗しましたが、これからの国政はどうなるのでしょう。各紙もそのあたり奥歯に物がはさまったような書き方です。要するに「わからない」ということなんだろうと推測しています。わからないことを「わからない」と書かずに、わかったような表現をするのが日本の新聞の悪い癖です。
それはともかくとして、投票所へ行くたびに不思議に思うことがあります。事前に「投票所入場券」というものが自宅に送られてきます。それを持って行くと、氏名を読み上げられて、「はい」と答える以外に、なんのチェックもなく投票権が交付されます。それでいいんですか?
選挙民はみな顔見知りというような地域はともかく、東京では立会人と面識を持っている人は一部に限られます。身代わり投票をしようと思えば実にたやすい。
たとえば配当を受け取りに、自宅に送られてきた郵便振替通知書を持って郵便局の窓口へ行くと、身分を証明するものの呈示を求められます。政治を左右する投票の方が、金銭の受け取りよりずっとセキュリティが緩やかだということなんです。

新聞の投書欄

2017.06.30

今朝、朝食をとりながら新聞を読んでいたら、投書欄に学生時代の友人の名前を発見しました。そこで改めて投書欄を眺めると、投稿者のほとんどが高齢者と若年者であることを再認識させられました。担当記者が意識的に若い人の投書を取り上げているのでしょうが、新聞購読者の現在の姿をそのまま反映しているとも言えます。若年者は、親や祖父母が講読している新聞を読むことができますが、成長して実家を離れたら、新聞を購読することは、たぶんありません。
学生時代の友人の投書はこれが初めてではありません。警句のような風刺のような短文も投稿していて、ときどき採用されています。ソーシャルメディアにはまったく縁がありません。日常的にTwitterやInstagramやFacebookなどで発信している人が、いまさら新聞に投書する気にはならないでしょう。
新聞の投書欄の役割を否定するつもりはありませんが、なんとなくシャッター商店街を眺めたときのような、寂しさ、空しさを感じてしまったのでした。

余計なことばかりしてるんじゃないよ、ってか?

2017.06.12

一人の高齢者が、もうそろそろいろいろな仕事をするのがしんどくなってきたなあと考えて、「もうやめたいよ」と言ったら、「オマエは余計な仕事ばかりしているからしんどくなるんだ。ハンコを押すためだけに生まれてきたんだから、死ぬまでハンコを押していればいいんだ」と言い放つ人が現れました。ヒドイことを言いますね。このような、一人の人間の生き方を否定する考え方は、回り回って障害者否定にも通ずるものではないでしょうか。
他人事ではなく、こちらも「余計なことに首をつっこんでばかりいないで、本業をしていればいいんだ」と言われそうですが。

これが「先生」なんですか?

2017.05.31

自殺者を出した学校や教育委員会の記者会見をニュースで見ると、哀れを感じると言うか、悲しくなると言うか。こんな「先生」に「教育」を受けていていいんだろうか、と思います。事実を隠す、責任を回避する、知らぬ顔をする、保身に走る、建前を振りかざす、ウソをつく。そして、裁判でいじめがあったと認定されると、あっさりと前言をひるがえす。これが「先生」なんですか?
もっとも先生の親玉である文部科学省だって、事実を隠す、責任を回避する、知らぬ顔をする、保身に走る、建前を振りかざす、ウソをつく。まったく同じことをしているようですから、仕方がないんでしょうね。いや、仕方がないなんて言ってはいけませんね。なんとかしなければ・・・。

大笑いの効果は?

2017.05.16

テレビでプロ野球中継を見るとき注意しているのは、味方に点が入ったときの監督の態度と表情です。選手と一緒に大喜びをする監督とクールな監督がいます。それぞれの性格を反映しているのだと思いますが、チームに与える影響としてはどちらが好ましいのでしょうか。
昔の監督、たとえば川上監督などはあまり喜ばなかったような気がします。「気がします」というのは、その頃テレビ中継をあまり見ていなかったからですが、長嶋監督などは大喜びする方でしたね。
人の上に立つ人間は喜怒哀楽を表に出すな、というのが少なくとも明治以降の日本の教えでした。だから昔のエライさんや威張っているお父さんは嬉しいことがあっても無理して仏頂面をしていたものでした。
いまの監督もいろいろですが、点が入っても仏頂面をしているような監督はいなくなったようです。
それにつけても興味深いのは北の指導者です。ミサイルが成功したといっては満面の笑み、というより大笑いしている映像を国営通信社が配信しています。少々笑いすぎではないか、とも思うのですが、そんな表情の写真を配信することが国益にかなうと向こうの人は判断しているのでしょうね。大笑いがどのような効果を世界の世論にもたらしているのか、だれか検証してみたらいかがでしょう。

リクルーティングの季節

2017.04.27

電車の中でリクルーティングスーツの若者が目立つ季節です。定期採用など縁のない零細企業の弊社にも季節は巡ってくるもので、広報の仕事がしたいという学生が紹介を受けてやってきました。希望としてはある政府系機関に入社して広報部門に配属されたい。しかし、入社できるかどうか、入社しても広報に配属されるかどうか、二重の高いハードルがあるので、大手PR会社の採用試験を受けたいということでしたので、広報業界の内情を含めてアドバイスをして差し上げました。そのおおよそは弊社サイトのFAQの内容とほぼ同じことですが、一流大学の学生が就職活動時から広報を志望するというのは、30年前には考えられないことでした。広報もずいぶんポジションが上がってきたものです。
それと同時並行で、弊社でも中途採用を行っていました。そこでは、広報について何も基礎知識を持たずに面接を受けに来る方がほとんど。詳しく勉強してから来いとは言いませんし、未経験でも結構なのですが、広報がどんな仕事なのか、ネットなどで概略くらいはつかんで来てほしいものです。
現状は売り手市場だそうですが、一方でなかなか買い手がつかない方も少なくないようです。買い手がつかないのは、それなりの理由があるということを理解していただきたいというのが、10名ほどの面接をした実感です。

失礼します

2017.04.14

謝り方って本当に難しいですね。不祥事の謝罪会見で何秒頭を下げるかといった話ではありません。仕事上でお客様にほんの少しご迷惑をかけたとき、謝るべきか知らん顔するべきか。どんな小さいことでも、お客様に不利なことが発生したら謝るべきだ、というのが正論ではありますが、実際には「そんなことはどうでもいいですよ」ということもあるので、そのあたりの判断は新入社員には難しいところです。
先日、本屋のレジカウンターで、カバーをかけた文庫本を「お品ものを失礼します」と差し出されました。なに故に「失礼します」と謝られなければならないのか、しばし考えてしまいました。そう言えば、飲食店でも「前から失礼します」とか「後から失礼します」と言って注文した品を出されることが少なくありません。失礼しないのは横からなのか、と思ったら「横から失礼します」とラーメンを出されたので、それではどこから出しても「失礼した」ことになってしまいます。なにかおかしいなあ。

マネジメントは人間関係をつくれるか?

2017.03.27

昨日の千秋楽、稀勢の里の逆転優勝の相撲には久しぶりに感動してしまい、涙が出てしまいました。日本国中の心が一つになった、などと言ったら、もっと別のことで一つになってほしいと保守派の人たちは思うのでしょうか。相撲でよかった。
それはさておき、優勝が決まった瞬間に、弟弟子の高安も号泣したとか。いい話ですね。この部屋の力士たちの人間関係はとてもうまく行っているのだろうと想像できます。何年も同じ部屋で稽古を続ける中で形成された仲間意識が、こういう場面で発露したのでしょう。
終身雇用の時代の日本企業がこうだったなあ、と思います。終身雇用を賛美するつもりはありませんが、何年か一緒に働くことで仲間意識や信頼関係が醸成され、組織の求心力が高まるという面は否定できません。そこへ行くと、新興企業や外資系企業のような労働流動性の激しい組織では、社員同士が互いに信頼しきれていない状況が出現します。企業としての成功より、自分自身の評価が優先します。もし田子の浦部屋がそうなら、横綱が優勝しても、高安が号泣することはなかったでしょう。
経営学のさまざまなテクニックを駆使しても、本当に強い仲間意識をつくりあげるのは容易ではありません。マジメントの技術がどこまで人間くさい情の領域に介入できるのか、少々懐疑的であります。

経験の価値

2017.03.14

NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』の視聴率が20%を超えたのだとか。出勤時間と重なるので、出だしの2分間くらいしか見ていませんが、なんとなく辛気くさくて盛り上がりに欠ける印象です。さらに、俳優さんがみな若いことが気になります。一生懸命老け役に挑戦しているのはわかりますが、舞台ならともかく、リアリティが求められるテレビドラマでは、学芸会を見ているような違和感が拭いきれません。
企業にも同じことが言えるようです。若い人の抜擢、活用は大切なことですが、若い人たちだけの組織は、どこか脆弱に感じられます。「常識」はずれの判断をしてしまったり、不可思議な失態をしてしまうのをしばしば目にします。経験豊かな人材が社内にいないことがその遠因になっているのではないでしょうか。若い人たちだけで構成されている組織では、経験値、あるいは暗黙知が累積しにくい。社歴の浅い人たちばかりの組織では、お互いの信頼関係が醸成されておらず、阿吽の呼吸が望めません。腹の探り合いばかりして余分なエネルギーを消費するばかりです。MBAも結構ですが、経験の価値にも目を向ける必要があります。
DeNAの第三者委員会報告の報道を読みながら、ここにも一例があったと思いました。

やはりリアルワールドか

2017.03.06

遠出をしたり出張したりするとき、ちょっとうまいものを食べないなあと思いますよね。以前(だいぶ前ですが)だったら、“食べログ”などで検索して探したのですが、近頃はどうもいい店が見つかりません。Googleで検索しても上位にはそれらの大手飲食サイトがずらりと並ぶばかり。ステマとまでは言いませんが、本当に「いい店」はネットでは探せなくなっています。
それらの飲食サイトの“口コミ”をみると、妙に上手ぶった文章がならんでします。「ヨメさんとどうしたこうしたので、どこそこへ行ったら満員だったのでこの店に行ってみた・・・」などと、こちらには関係ないどうでもいいことがズラズラ並べられていて、うまかったのかまずかったのか、なかなか結論に到達しません。“ガッテン”じゃないんだから、そんなにひっぱらなくてもよさそうなものです。食べる前にヘドが出そうになります。
一体あの“口コミ”はなんなのでしょう。どこにも自己表現する場のない人たちが、あそこで自己満足に浸っているのでしょうか。それとも消えた某健康サイトのような裏マニュアルが存在しているのでしょうか。
やはりリアルワールドで友人知人から教えてもらうのがたしかだということになるのでしょうね。

それでも取材を受ける

2017.02.27

テレビや雑誌の取材を受けたが、自分の発言と異なる主旨の記事となって掲載されたと抗議したり、SNSで嘆いたりする人が少なくありません。もう二度と取材を受けないと息巻く人もいます。とくに医師に多いようです。
企業の優秀な広報担当者は、取材を受けるときは誤った理解をされないように十二分に配慮をしますし、誤解されそうな部分はくどいほど繰り返して説明します。それでもこちらの意図と異なる報道になってしまう可能性は残ります。日常の会話でもミスコミュニケーションはしばしば起こります。その確率をできる限り低くするのが広報の技術というものです。
企業の広報担当者は、間違った報道をされても、もう取材を受けないなどとご気楽に宣言するわけには行きません。誤報されても悪意のある報道をされても、繰り返し繰り返しコミュニケートし、正しい認識を得る努力を続けなければなりません。それが仕事ですから。

嘆く前にやることが・・・

2017.02.22

製薬協が京大大学院でやっていた寄付講座「医薬産業政策学」のシンポジウムが先週、丸ビルで行われました。知人に誘われて初めて行ってみたのですが、今年度で寄付講座が終了するために、シンポジウムも今回が最後なのだとか。高額医薬品と財源が今年のテーマでした。
盛りだくさんのプログラム内容はさておき、主催者である教授が最後に発した言葉が誠に印象的でした。「毎年シンポジウムを開いてきたが、参加者は製薬会社の人ばかりで残念だった」。
当たり前です。一部のジャーナリストを除いて、製薬業界以外にシンポジウムの開催を知る人がほとんどいないのですから。
医学系ばかりではありませんが、とかくアカデミアや一部の行政の方々は、イベントを開催することだけにほぼすべてのエネルギーを費やして、参加者を集めるための告知の重要性に気づかないケースが少なくありません。また、告知にはそれなりのコストが必要であることの認識にも乏しい。いくら立派なイベントでも、誰も集まらないのでは効果は望めず、単なるマスターベーションに終わってしまいます。
今回のシンポジウムは、製薬業界の人たちばかりとは言え、ほぼ満席でした。それで十分とは言いませんが、嘆くくらいなら、その前に努力しなければならないことがあったのではないですかね。

カブル

2017.02.15

2月25~26日は国立大学の入学試験日なのだそうです。福岡では、ちょうどその日に人気グループの大きなコンサートが予定されていて、受験生の宿が不足しているのだとか。そこで西鉄が自社の寮などの宿泊施設を受験生に提供することにした、というニュースがありました。
コンサートの主催者側も、この季節ですから入試スケジュールとかち合わないように配慮してほしいものですが、諸々の事情でそうも行かなかったのでしょう。
地方都市へ出張しようとすると宿がとれないというケースにはしばしば遭遇します。調べてみると医学系の学会が予定されていたりします。その学会に関係していないこちらにとっては大いに迷惑なのですが、これもやむを得ないとあきらめるほかありません。
私たちの仕事では、メディアイベントが他社とカブルという事態にしばしば見舞われます。似たようなメディアイベントが重なると、出席してくださるジャーナリストが分散してしまい、お互いによいことはありません。しかし、日時の決定は主催する企業様のご都合によることが多いので選択の余地がほとんどありません。他社の動向も調べてはいるのですが、同じようなタイミングで案内が出るので避けようがないのが現実です。これを回避するよいアイデアがあればなあ、と考えるのですが、なかなか思いつかないのであります。

民主主義で選ばれた封建君主

2017.02.06

種々の矛盾を抱えながらも自由主義、民主主義を建前としてきたアメリカ合衆国が、その制度のもとで選んだのが、大統領を中世封建君主と勘違いしている人物だったとは・・・もうマンガですね。
しかし、民主主義がこういう事態を引き起こす仕組みでもあることを、世界中が再認識させられたのではないでしょうか。これが、あらためて自由主義、民主主義、市民社会の原点を見直すきっかけになれば、それはそれで悪くないかな、などと楽天的にも考えてはいるのですが、それでも世界中の多くの人たち不愉快に感じているのと同じように、不愉快です。その不愉快な気分が社会をどう変化させて行くのか・・・不安ながらも興味津々です。

なにをいまさら

2017.01.19

文部科学省が高級官僚の天下りを組織的にあっせんしたと報じられています。なにをいまさら、と思わないでもありません。
ある元ノンキャリ官僚さんは、もうそろそろかなと思ったので、所属する役所の人事課へ退職を申し出て、次の就職先を斡旋してもらったと自慢げに話してくれました。銀行が取引先に行員を送り込んだり、大会社が子会社や下請けに社員を送り込んだり、そういうことは日本では「当然」と受け止められてきました。電通や三菱電機で摘発された過重労働もしかりです。「私ら、若いときはあんなことは普通やったしなあ」と、ある医療機器企業のOBが言っていました。そういう昔からの悪しき慣習が、これらの問題化をきっかけに是正されるのでしょうか。信じられません。
それにしても、天下りを唯々諾々と受け入れた大学も大学ですね。卒業生の顔を見たいもんです。というわけで、いま鏡を見ております。自撮り写真は失礼させていただきます。

人柄で仕事する

2017.01.17

キャロライン・ケネディ米大使が離任します。在任中には沖縄の基地移設問題やオスプレイの事故など、米国に対する反感がもっと高まってもおかしくない事件がいろいろありましたが、そうはなりませんでした。日本政府による強引な世論誘導があったとしても、彼女のパーソナリティに負うところも大きかったのではないかと推測します。そういう意味では、日本政府にとってありがたい存在であったばかりでなく、米国政府にとっても成果を挙げた大使だったのではないでしょうか。
同様のことは広報の担当者にも言えます。あの会社にはあの人がいるから、ということでメディアとの関係がとてもうまく行っているという例を、これまでたくさん見て来ました。やり手であるかどうか、有能であるかどうかということよりも、人柄で仕事をする人がたしかにいます。

いや、お恥ずかしい

2017.01.11

「特発性」がつく疾患名には、特発性血小板減少性紫斑病、特発性拡張型心筋症、特発性間質肺炎、特発性正常圧水頭症など数々ありますが、要するに原因がわからないということ。「突発性」がつく疾患名には、突発性難聴、突発性発疹などがあり、これは文字通り突然発症するという意味でしょう。その違いは一応存じておりました。
にもかかわらず、「特発性」と書くべきところを〈toppatsusei〉と打ち込んでしまい、気づかずにコピペしたものだから、何カ所も間違ったまま某社へ送ってしまいました。いや、お恥ずかしい。まさに特発性ミスタッチであります。
古い話ですが、米国でつくられた医学映画(ビデオではない!)に日本語のナレーションを吹き込む仕事がありました。その日本語台本に「増悪」という医学用語がありました。これを「ぞうお」とナレーターに読ませて日本語版を「完成」させてしまった人がいました。いや、私ではありません。

どうしても成長しなければならないのか?

2017.01.10

正月になると、どうして新聞は大所高所からの論説をしたがるのか、よく考えるとよくわかりませんね。
朝日新聞が、3日付でしたか、経済の成長は本当に必要なのかと論じて各方面から批判されたようです。しかし、「産めよ殖やせよ」といくら叫んだって人口は増えませんよ。人々の考え方や社会状況が子どもを産むことをモチベートしていないのですから、いくら育児手当を増やしても効果は限定的でしょう。人口減よりGDPの減少の方が少なければ、それで十分ではないでしょうか。売上高より利益、とは経営難の陥った経営者がしばしば口にすることですが、ここしばらくはそのような考え方をした方がよいような気もします。冨の再配分のために増税をして、少しでも多くの人がまあまあの生活ができる社会を目指すべきではないかと、市井の素人経済評論家としては考えるのですが。

あけまして おめでとうございます

2017.01.05

p1020649新年です。しかし、去年今年を貫く棒がぐにゃぐにゃ曲がりそうです。予測不能です。
世の中がどうなろうと株価さえ上がればいいや、といった株屋さんや経済人のコメントがたくさん報じられていましたが、どうかと思いますね。そんなだから誰も夢を持てないのではありませんか。
と、まあそんなことを考えながら、弊社では今年も社員揃って近所の平河天満宮さんへ初詣いたしました。天神さんですから学問の神様です。弊社の企画がどうも理屈っぽくなるのは、そのせいかもしれません。そこで境内のお稲荷さんにもお詣りして商売繁盛を合わせて祈願したのであります。

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