彼はとまどえる群れの代表なのか?
2016.11.14トランプ氏当選のニュースを聞いて、米国の有名な言語学者ノーム・チョムスキーの「メディア・コントロール」という本を思い出しました。
彼は民主主義には2つの機能があると言います。
「責任を持つ特別階級は、実行者としての機能を果たす。(中略)その一方に、とまどえる群れがいるわけだが、彼らも民主主義社会の一機能を担っている。民主主義社会における彼らの役割は(中略)「観客」になることであって、行動に参加することではない。しかし、彼らの役割をそれだけにかぎるわけにもいかない。何しろ、ここは民主社会なのだ。そこで、ときどき、彼らは特別階級の誰かに支持を表明することを許される。(中略)これを選挙という」(鈴木主税訳 集英社新書より)
彼の考えによるならば、クリントン氏はまさに特別階級の一員であって、観客であることを強いられてきた「とまどえる群れ」の人たちが、今回の選挙では特別階級を支持しなかった、ということになりそうです。不幸なのは、それでトランプ氏が当選してしまったことで、彼が本当に「とまどえる群れ」の代表なのかどうか、いまのところまったくわからないということです。
絶対休んで!
2016.11.11昨日、具合が悪そうにしていた社員に「早く帰って寝たら?」とアドバイスしたのですが、「大丈夫です」と言って定時までがんばりました。そのがんばりは会社としてはありがたいことなのですが、夜中に熱発したとかで今日はお休みです。早退しても同じだったかもしれませんが、かぜは早めに休んで寝てしまうのが一番よいようです。
ところが、地下鉄のドアに貼ってあった広告を見て驚きました。
「かぜでも、絶対に休めないあなたへ。」
かぜグスリの広告ですが、これはまずいでしょう。症状を悪化させるばかりでなく、他の人に感染させてしまいます。この会社の広報責任者だったら、このコピーは絶対やめさせますが・・・。
広告主の責任
2016.11.09電通の長時間労働の一件、厚労省による強制捜査、立件などまだまだ拡大しそうです。
報道やブログなどを読んでいると、クライアントにも責任があるなどと言っている人がいますね。クライアントが遅くまで仕事をしているから、“究極のサービス業”である広告代理店も、それにつき合わなければならないのだというのですが、その論理なら、広告主である大企業も長時間労働が慣習化しているということになります。これは責任転嫁のように聞こえます。
しかし、クライアントにまったく責任がないか、と言えばそうとも言えません。「この資料、明日の午前中までにまとめて持って来てくれないかなあ」などと前日の午後8時過ぎに電話をする。電話の相手が作業する時間をまったく考慮することのない指示です。これに“究極のサービス業”である広告代理店は従わなければなりません。それがビジネスというものでしょう。
殿様か独裁者にでもなったかのように錯覚している大スポンサーの宣伝部員も、この際、反省すべきだと思いますね。もっとも宣伝部員をそのように思い上がらせたのもまた広告代理店なのですから、そのことも重々反省すべきだと思います。
かつて企業の宣伝責任者であったときを振り返っての自己反省でもありますが。
趣味の世界
2016.11.08スポーツをするのが好きな人と見るのが好きな人
絵を描くのが好きな人と絵画を鑑賞するのが好きな人
楽器を演奏するのが好きな人と音楽を聴くのが好きな人
クルマを運転するのが好きな人とクルマそのものが好きな人
写真を撮るのが好きな人とカメラを集めるのが好きな人
同じものを対象にしていても、まったく異なる志向になるところが趣味の面白いところですね。
スポーツを見るのが好きな人は必ずしもスポーツが得意でなくても構いません。上手に絵を描けなくても絵を見るのに問題はありません。ピアノに触ったこともない人がショパンが大好きになってもいい。前者はダイナミック、後者はスタティックという形容詞が当てはまるかもしれませんが、どちらが上でどちらが下ということもありません。好きなら、楽しいならいいじゃないか。それが趣味の世界というものですよね。
京都に
2016.11.04広報担当者養成講座の10回(週)に及ぶ長い講義のトップバッターを10年以上つとめています。ときどきは大阪や名古屋や福岡での講座にも呼ばれることがあります。
一昨日は、大阪での講座を受講された方々に呼ばれて、京都でおいしいものを食べてきました。受講生同士が親しくなって、ときどき集まる例はいくつかあるようです。東京でもかなり以前の講座に参加された方々がFacebookなどを通じて連絡を取り合っておられる例を知っています。
広報の担当者は他の会社の担当者と横のつながりを持つ機会が限られているようです。セミナーなどの機会をとらえて、人脈をつくるのはとてもよいことだと思います。
だんまり会議
2016.11.02東京都の2回目の調査結果が発表になりました。豊洲の土盛り問題です。
その中に、会議に出席していた部長たちから何も発言がなかったというくだりがあるようです。発言するのは議長と提案者だけ。
議 長:どなたかご意見がございますか?
出席者:(無言)
議 長:ご意見がないようですので、承認ということで、次の議題へまいります。
こういう会議にときどき出くわします(出席者ではなくて発言権のないオブザーバーとして)。これは会議ではなくてセレモニーです。だから議案の内容などだれも真剣に吟味していません。
このような会議では、反対意見などを言おうものなら「あいつはうるさいから、出席者のリストからはずそう」ということになります。それでは出世に響きます。誰も発言するわけがありません。
小さなNPOの幹事会でのことですが、会長兼議長の提案に反対意見を述べたところ、幹事をやめろと言われてしまいました。そんな理不尽な組織には属していられないので、即座にNPOからも脱退しましたが、日本の社会には、どんな小さなところにもあの「空気」が充満しています。
ハローウィンて何だ?
2016.11.01昨夜までの数日、遅い時間帯の電車に奇妙なかっこをした人たちがたくさん乗っていました。ハローウィンだったそうですが、なんで日本で急に盛んになったのか、さっぱりわかりません。そもそもハローウィンて何だ?
バレンタインデーも子どもの頃には知りませんでした。チョコレート会社の仕掛けだそうですが、いかにも作為が感じられるイベントです。
恵方巻きもそう。江戸っ子なので、つい10年ほど前まで、そんな風習があることを知りませんでした。誰が仕掛けたのかなあ。調べればわかることでしょうけど、コンビニあたりが怪しい。
幼い頃から馴染んでいるのはやはりクリスマス。大昔はイブの夜にキャバレーで大騒ぎしているサラリーマンが白黒テレビのニュースで報じられていました。キリスト教徒ではありませんが、もみの木やらホワイトクリスマスやらサンタクロースやら、あの雰囲気は嫌いではありません。ま、いいか、というカンジですかね。
で、ハローウィンなんですが、あの大騒ぎは初期のクリスマスのキャバレーみたいなもので、そのうち米国のように家庭のイベントとして定着するのではないでしょうか。
最愛の
2016.10.31文章とか言葉の使い方などが気になり出すと止まらなくなりますね。そういうことで今月はその続きで締めようかと・・・。
土曜日の「モヤモヤさまぁ~ず2」を見ていたら、テロップに「子弟愛」と出て来ました。変換間違いだろうと思いますが、ひょっとすると担当者が「師弟愛」という言葉を知らなかったのかも。
何の番組か忘れてしまいましたけど、「最愛の祖父」というのもありました。間違いかどうか微妙ですが、これまでの日本語の遣い手たちは「最愛の子」か「最愛の妻」にしか「最愛」という形容を使わなかったと思います。おじいちゃんの方から「最愛の孫」というのもアリでしょう。しかし、最愛のおじいちゃんとは言わなかったなあ。
大人の文章
2016.10.28昨日の続きなんですが、日本の学校教育で実務的な文章力を養う教育が不足しているのは間違ありません。その結果として、真っ当な文章、いわば大人の文章が書ける人が少なくなっているように思います。プレスリリースなどはその代表的なものですが、社会向けて公開する報告書とか取引先へ提出する依頼書などには、大人としての文章が求められます。ある面では定型的、紋切り型の表現も必要になります。それをご存じない、使えない人が多くなりました。それでは舌足らずで稚拙な文章しか書けません。ベンチャー企業や外資系企業など、若い企業でしばしば見られる現象です。教えてくれる年配の社員が少ないためではないでしょうか。
個人的には紋切り型の文章は大嫌いです。役所の文書のような極端な紋切り型をお薦めするつもりは毛頭ありませんが、知らなくて書けないのと知ってて書かないのとは大違いです。
国語教育の問題、本を読まなくなった最近の風潮、働き方の変化、いろいろな問題が影響しているのでしょうね。
国語力
2016.10.27小学校から英語を学ばせるようになるのだそうですが、日本語の方はどうなっているんでしょうね。
つくづく思うのですが、いまの日本人の国語力というか作文力は恐ろしいほどお粗末ですよ。企業に勤めていたとき、主任や課長に昇進する試験の作文を審査していましたが、何十人もの作文(一応論文と呼んでいました)を読んでいるうちにだんだんと気持が滅入ってきました。何が言いたいのかわからないのがほとんど。あちこちでいろんな人が言っている陳腐な議論を引き写していて、最後まで読まなくても結論がわかってしまうのも少なくありませんでした。それに加えて誤字脱字の多いこと。英語よりまず日本語だと、これもいろんな人が言っている陳腐な結論なのですが、つくづく同意いたします。
自治体ブース
2016.10.26午後からHOSPEX(病院・福祉設備機器展)の見学に行ってきました。似たような展示会がいろいろありますが、微妙にテーマやターゲットがずれていて、それがそれぞれの存在意義になっているようです。しかし、出展する企業の側とすれば、どこに出展しようかと悩ましいのではないでしょうか。
医療系の展示会で最近目につくのは、自治体のブースです。地域の中小企業を後押しして産業振興を図ろうという目的ですが、これはとてもよいことですね。地方の中小企業単独では出展しにくくても、県が大きなブースを確保してくれるならハードルはかなり下がります。もう少し見栄えのするブースを自治体がつくってくれればアピール度はさらに増すのでしょうけれど、それはこれからの話ということでしょう。
ハズしたあ
2016.10.25毎月のようにセミナーの講師を依頼されます。ほぼすべてが広報活動がテーマですが、オーディエンスは必ずしも広報を仕事にしている方ばかりではありません。会社の経営者や幹部の方、クレーム処理を担当している方、学生などさまざまです。その日のオーディエンスがどのようなことに興味を持っておられるのか、どのような問題意識を持っておられるのかなど、あれこれ推測し思案した上で内容を決めてはいるのですが、ときどきハズしてしまいます。不思議なもので、話しながらなんとなく気がつきます。芸人さんがウケているかどうかを舞台の上から敏感に察知するのと同じことです。
飽きているなあとかハズしたなあとか思ったときは、がっかりするよりも傷つきます。もちろん自分の失敗ですから言い訳はできませんが。
反省会議
2016.10.24上司は部下を集めて「反省会議」をたびたび開催しました。会議の進め方は以下のようなものです。
部員全員に発言の機会が与えられます。部員は他の部員一人ひとりについて批判をしなければなりません。欠点、弱点、失敗、気に入らないところなどを指摘するのです。親切な先輩、親しい同僚に対しても容赦は許されません。ごまかそうとすると叱られます。上司も批判対象ということになっていますが、批判する人など誰もいません。これについては叱られません。
毎日一緒に働いている仲間のアラをあげつらう。指摘された方も、あの人はこんなふうに私を見ていたのかと思います。こんな残酷な会議があるでしょうか。
これは実話です。私はその部員の一人でした。30年も前の話ですが、このようなパワハラの方法もあります。ご参考まで。いや、絶対に参考にはしないでください。
そういう人
2016.10.21男性用かつらが売れなくなってきたのだそうです。この20年ほどの間に、禿頭(とくとう)に対する価値観に変化が生じたのが不振の要因とのこと。つまり、ハゲだっていいじゃないか、という風潮になってきたらしい。
ある日、友人と下町の居酒屋で待ち合わせることになりました。少し遅れて着いたら、友人の姿が見あたりません。とりあえず空席に落ち着いて店内を見回したら、友人に似た体型の後ろ姿を見つけました。これ以上描写する必要はありませんね。
その日初めて男性用かつらをつけて現れた友人を前に、言葉を失いました。「そういう人」だとは思いもよらなかったからです。それから十数年、おつき合いは続いていますが、いまも彼のいアタマにはヅラが乗り続けております。
ミルク温めますか?
2016.10.18液体ミルクが解禁に向かって動き出したようです。遅いねえ、と誰もが思ったでしょう。食品衛生法に「粉ミルク」、「粉末」としか記載されていなかったから、という言い訳はいかにも官僚的。行政の怠慢でしょう。
液体ミルクが解禁になると男性の育児参加も後押しできると報じられています。たしかに、ミルクをつくるのはお父さんにとっては手間ですが、それよりもコンビニで液体ミルクが売られることの方がインパクトがありそうです。赤ちゃんを抱いたお母さんは哺乳瓶やらオムツやらが入った大きなバッグ持って外出しています。それが、いつでもどこでもコンビニでミルクが買えるとなったら朗報でしょう。お弁当と同じように、レジで「温めますか?」と聞かれるんでしょうね、きっと。
D さん
2016.10.17労働基準法違反の疑いで労働局が電通に立入調査に入ったそうです。このニュースに対する新聞各社とテレビ各局の扱いにはかなり違いがありました。深読みすると大いに楽しめます。
電通ばかりでなく大手広告代理店の営業さんは昔から夜遅くまで働いていました。大手代理店が夜まで働いているので、その下請けであるプロダクションも遅くまで帰れない。クライアントの方までそれにつき合わされることになります。これには朝刊の締め切り時間も影響しているのでしょう。緊急事態ともなれば、早版を確認する必要が生じることもあります。
なにはともあれ電通の力は圧倒的で、下請け企業ばかりでなく広告主やその団体まで、電通に関する話をするときは、「Dさん」などと声を潜めて隠語で呼ぶのは、どう考えてもおかしなことです。
明るい気分になりました
2016.10.13
国際福祉機器展へ行ってきました。医療関係の展示会は毎年あれやこれや見学していますが、福祉機器は初めてです。いや、驚きました。会場の広さ、出展社数、ブースの規模、入場者の多さ。どれも医療系の展示会を凌駕しています。この市場がそれだけ拡大しているのでしょうし、また将来の発展も見込めるということなのでしょう。
自動車メーカーは揃って福祉車両を展示していました。足だけ、あるいは手だけで運転する仕組みなど、実によく考えられています。それが200万円少々で買えるのですから驚きます。
車椅子もカッコよくなりました。持っていたらちょっと自慢したくなるようなデザインや機能を持つ製品が内外のメーカーから出展されていました。トイレの工夫や入浴設備などもずいぶん進化しています。
このような工夫や進歩によって、誰もが暮らしやすい世の中に少しずつなって行くのだろうなあ、と見て回るうちに明るい気分になってきました。そこが医療系の展示会と少し違うところかもしれません。
恥ずかしながら
2016.10.12恥ずかしながら引っかかってしまいました。クレジットを使って詐欺サイトへ商品を発注してしまったのです。
休日にたまたまサングラスを落として割ってしまいました。代りを購入するつもりでネットを探していたら、amazonで4割引きを見つけて発注しました。そこでやめておけばよかったのですが、さらに欲深くネットを探索したところ、驚くべき安さのサイトを見つけてしまったのです。あわててamazonをキャンセルして乗り換えたのですが、発注をかけたまさにその瞬間に「これは詐欺サイトだ!」と気がついたのでした。なんでもう3秒早く気がつかなかったのか、そこが不思議なところです。だからこそ詐欺屋さんの商売が成り立つのでしょう。
すぐにクレジット会社へ電話してカードを無効にしてもらいました。すると担当の方が「こちらで対応いたしますので、何もご心配はいりません」とやさしく言ってくださいました。詐欺被害に遭って心的トラウマを受けている人たちへの対応を十分に研究しているのでしょう。これは素晴らしい対応だと、すっかり感心してしまったのでした。
マナーがよ過ぎませんか?
2016.10.07日本人のマナーが最近悪くなっていると主に保守的な人たちが主張されているようですが、そんなことはない、戦前戦後の方が悪かったのだという記事をネットで見かけました。実感としてはそれが正しいと思います。
先日の土曜日、神楽坂の毘沙門様(善國寺)の境内でしばらく休んでいました。すると、参拝を終えた人たちがかなりの割合で山門で振り返り、一礼してから出て行きます。個人的な印象ではありますが、少なくとも昭和の後半にはこのような行動はあまり見られなかったような気がします。寺社の参道の真ん中を歩いてはいけない、などというのもありますが、おじいさん、おばあさんと一緒に参拝することも少なくなり、改めてネットで調べたら、そのような参拝方法が書かれていたのではないでしょうか。よいわるいの話ではありませんが、あまり世の中を堅苦しくするのもどんなものでしょうか。
奈良時代の破斯人
2016.10.06平城宮跡で出土した「天平神護元年」(765年)と記された木簡に、ペルシャ人の役人とみられる「破斯清通」という名前があったいうニュースがありました。
http://mainichi.jp/articles/20161006/k00/00e/040/212000c
私事ですが若いときに、異色の趣味を持つ医師を訪問してルポを書く仕事をしていました。その中に歴史に詳しいドクターがおられて、奈良時代にペルシャ人が日本に来ていたというお話をうかがいました。毎回、同じような切り口のルポでは面白くないので、続日本紀に書かれている李密翳という名のペルシャ人を主人公にした短い物語を書いて、冒頭の「つかみ」にすることにしました。
幸か不幸かそのルポが掲載されたPR誌も原稿も残っていませんので、いまさら読まれて恥ををかくことはないと思いますが、ニュースを見てしばし恐れを知らぬ若き日を思い出したのでありました。
カステラとおくんち
2016.10.052年前まで勤めていた社員が福砂屋の「特製三五焼カステラ」をお土産に会社を訪ねてくれました。折しもこの7日から長崎のおくんち(長崎くんち)が始まります。
何年か前におくんちを見物に行きました。町内ごとに異なった傘鉾や曳物を持っているのは京都の祇園祭と似ています。ただ、その年に出演できる町内が決められていて、踊町と呼ばれるその順番は7年に一度しか巡って来ません。
メイン会場で見物していたら、ある演じ物にかわいいお稚児さんが登場しました。スピーカーで紹介されたそのお稚児さんは福砂屋さんのお孫さん(?)でした。こういう役割はやはり地元に貢献している老舗、名士の家に割り振られるものなんですね。
おくんち見物の記憶より、そのことが妙に印象に残っています。
ノーベル賞週間
2016.10.04大隅氏にノーベル賞が授与されることが発表されて、今年もノーベル賞週間が始まりました。日本人が受賞するとメディアはその話題ばかりになりますが、そんなことがいつまで続くのでしょうね。
湯川博士が1949年に受賞してからしばらく日本人の受賞がありませんでした。もう日本人は受賞できないのではないかとか、人種差別だといった悲観論が出ていたときに、16年ぶりに朝永博士が受賞しました。そのときは日本中が大喜び。そういうことならまあ理解できますが、すでに26人も受賞しているんですからね。日本人以外の受賞者に対しての冷淡さと比較すると、さらにその異常なはしゃぎぶりが際立ちます。受賞は素直に祝福するとしても、授賞式までの間の大騒ぎにはメディアの商業主義の臭いもして、いささか違和感を覚えますね。
反論は無茶でしょう
2016.10.03国立がん研究センターが、受動喫煙によって日本人の肺がんリスクが約1.3倍に増えると発表したのに対して、JTがすぐに社長名で反論しました。ところが、がんセンターが先週、再反論をホームページのトップで発表したと朝日新聞が報じました。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ9Y5GC8J9YULBJ00J.html
さっそくそれらの文書を読んでみたのですが、がんセンターの反論は極めて冷静かつ理論的で説得力のあるものでした。明らかにJTの負け。疫学ないし医療統計学に対する無知をさらけ出し、科学的な会社ではないなあ、というイメージを発散させてしまいました。
想像するに、がんセンターの発表で、JTははらわたが煮えくりかえったのでしょうね。「すぐに反論しろ!」とトップから号令がかかったのかもしれません。しかし、敵は日本の疫学の総本山。生半可な知識と理論で対抗しようとするのは極めて困難です。そのことに気づかなかったのがそもそもの敗因ではないでしょうか。広報的にはツッコミどころがいっぱい。いきり立って真っ正面から反論するのではなく、ほかにも有効な手段が考えられたと思うのですが、筆者もアンチタバコなので、これ以上は書きません(^O^)。
国立がん研究センターの発表「受動喫煙による日本人の肺がんリスク約1.3倍
肺がんリスク評価「ほぼ確実」から「確実」へ」8月31日
http://www.ncc.go.jp/jp/information/press_release_20160831.html
日本たばこ産業株式会社(JT)の反論「受動喫煙と肺がんに関わる国立がん研究センター発表に対するJTコメント」(8月31日)
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/opinion/fsc_report/20160831.html
国立がん研究センターの反論「受動喫煙と肺がんに関するJTコメントへの見解」(9月28日)
http://www.ncc.go.jp/jp/information/20160928.html
できないヤツほどバタバタする
2016.09.30若いとき、ちょっとした大仕事をやり終えたので、ものすごく大変で苦労しましたと上司に言ったら叱られてしまいました。誰でも苦労して仕事をしているのだから、そんな程度で大騒ぎするなということでした。できる人ならそれほどのこともない仕事だったのかもしれません。未熟な故にバタバタしてしまったということだったのでしょう。そのときは、よくわかりませんでしたが。
その後、できない人ほどバタバタ大騒ぎして、その割には大した成績が挙げられない。できる人は涼しい顔して仕事をしていながら、よい成果を挙げるということが実感としてわかってきました。仕事はクールにやりたいものです。